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【一幅のペナント物語#37】東京国際空港物語(2) 夢と潰えたマッハな空の旅

◉「東京国際空港」の文字以外には未来的なラインを見せる飛行機のイラストのみの、非常にシンプルなデザインのペナントだ。描かれているのは旅客機の中でもファンが多いというコンコルドである。背景に広がる雲海と、その中から顔を覗かせている険峻な頂は、ヒマラヤあたりの山々だろうか。一見、それ以上の情報が無さそうなペナントだが、描かれているコンコルドに注目してみると、垂直尾翼には日の丸、そして機体の上部には「JAPAN AIR LINE」の文字が見えるのだ。つまりこれは全日空のコンコルドなのだ。

◉全日空がコンコルドを所有していたことがあるのか? という問いについての答えは「NO」である。ただし、購入に意欲を見せていたことはあるらしい。1965年(昭和40年)に3機の発注をしていたが、開発の遅延などを理由にキャンセルしている。特に騒音問題や燃費の悪さなど、日本国内で運用するにはスペック的に難しかったというのが最大の理由だと言われている。

前回の投稿でも取り上げた画像は、羽田空港の記念冊子『羽田空港アーカイブ 1931-2023 Tokyo International Airport写真集』に使われているもので、モノクロ画像ではあるがそのカラーリングから、コンコルドのプレゼンテーション用に世界を飛び回ったプロトタイプ機と思われる。羽田へのデモ飛行は1972年(昭和47年)6月12日というから、その時の写真だろう。

『羽田空港アーカイブ 1931-2023 Tokyo International Airport写真集』より
プロトタイプ機(Steve Fitzgerald - Gallery page http://www.airliners.net/photo/British-Aircraft-Corporation/Sud-BAC-Concorde/1804818/LPhotoより)

◉Wikiによれば

計画時には、就航時を想定した2種類の塗装案も作成されてマスメディアに公開され、各種記念品も製作されるなど、大々的な広報・広告活動が行われた。

Wikipedia「日本におけるコンコルド」より

そうで、銀座の模型店に当時展示されていた想像模型を見ると、異なるカラーリングになっているので、もう1つの塗装案というのがこのペナントに描かれているものだったと思われる。ペナントもこの時に生産された記念品ということか。全世界で20機しか造られなかったその後の経緯を見るに、結果的には購入しないで良かったと言えそうだが、日本の空をこんな未来的な飛行機が飛んでいる姿は、ちょっと見てみたかった気もする。

当時の想像模型(旧交通博物館所蔵)(Wikipedia:Naru-W様, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=129844852より)

◉ちなみに、このペナントだが、トップ画像ではわかりにくいが、3D印刷技術が使われている。正確にいうと「レンチキュラー印刷」と言われる技術だ。見る角度によって絵が変化し、動いたり立体的に見えるやつ、と言えばお分かりだろうか? 最近は見る機会も減った気がするが、昭和の頃は絵葉書やステッカーなどにも多様されていた気がする。当時の子どもたちにはコンコルド同様、見る者をワクワクさせる先端技術だった。

◉さて、当時、技術の壁のせいで世界から受け入れてもらえなかった夢の超音速機だが、最近「オーバーチュア」という次世代超音速機が就航に向けて動いているようだ。燃費などの問題は大幅に改善されていて、アメリカン航空なども前向きに進めているようだけど、騒音問題とかはどうなってるのだろう? 気になるところだけども、一度は現物を見てみたいものだ。


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