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【一幅のペナント物語#43】消滅という闇の予言に抗ったサンシャインの街

◉2014年(平成26年)、世に"増田レポート"の名で衝撃を与えた日本創生会議が発表した<消滅可能性都市>。候補にあがった全国896自治体中、東京23区内で唯一選定されたのが豊島区だった。その豊島区を象徴するエリアが池袋であり、そのランドマークとして1978年(昭和53年)に誕生したのが当時、東京タワーを抜いて都内で最も高く、東洋最速のエレベーターが自慢だった「サンシャイン60」を擁する「サンシャインシティ」だ。たぶん僕は現地に訪れたことはないが、子どもの頃から特撮番組の舞台として頻繁に登場していたし、過去の動画などを見ると、東京都というかもはやニッポンの威信をかけて造られた未来都市だったのは間違いないだろう。

◉ペナントには左から「サンシャイン60」「プリンスホテル」「ワールドインポートマートビル」「文化会館ビル」が完成予想部風に描かれている。それぞれの建物にキャプションなどはついていないが、特徴的なシルエットなどで特定できる。手前を走る高架道路は首都高5号線の東池袋出入口あたりで、GoogleMAPで見てもその外見は大きく変わっていないことが解る。

現在のサンシャインシティの様子(GoogleMAPより)

ちなみに右上に頭を出している富士山は、実際にはこのアングルでは見えないので、ここはペナントあるあるの"空間のねじれ"である。

富士山がこっち側に(GoogleMAPより)

◉ペナントは昭和50年代の製造か。一番最後になったプリンスホテルの竣工が1980年(昭和55年)なので、それ以降の可能性が高い(都市計画そのものは昭和40年代後半には出来ていたと思うので、図面ベースに竣工前に製作された可能性もゼロではないれど)。昭和50年代ペナントにありがちな厚紙・巨大化・写真印刷の"白亜紀種"ではなく、なんなら初期ペナントを思わせる旗竿部のタグも紐もついていて、山岳系に多い円形のモールも贅沢に施されているので、実はなかなかの希少種ではないだろうか。この頃にはペナントを土産に買って帰るという人も少なかったに違いないので数もそこまで出回っていないような気もする(とか言いつつ、まだ現地で売ってたりして)。

◉さて図らずも「消滅可能性都市」に選ばれた豊島区だが、その後、あの手この手で人口減少に対しての打ち手を施し、予言された悲しい未来を回避するために官民が一体となって街のリデザインに現在も力を注いでいるようだ。最近はサンシャイン60の展望台のリニュアルや水族館のリニュアルなども話題になった。日本創生会議が占った「2010年から2040年にかけて、20~39歳の若年女性人口が5割以下に減少する」という未来予測では、その数を2045年に24,666人と推計していた。そして現在(2024年(令和6年)2月時点)を見てみると、豊島区の同世代の女性人口は48,103人。減少傾向にはあるものの、努力は大きく報われ、「増田レポート」の予言をWスコア級で覆すことに成功している。見事!

「未来戦略推進プランの目標」(豊島区)から転載https://www.city.toshima.lg.jp/003/kuse/shisaku/shisaku/kekaku/032617/documents/04_p13-15.pdf

【参考】豊島区「消滅可能性都市の指摘からのまちづくりの発展の姿」
https://www.city.toshima.lg.jp/001/kuse/shingi/documents/r2shingikai1-1.pdf

◉同じように地方の消滅可能性都市も予言を覆せていればいいのだけど、おそらくは多くの自治体が、豊島区のようには上手くいっていないだろう。もしかすると、可能性都市となった自治体が増えている可能性もある。それは様々な要因があると思うが、一番大きいのは財源だろう。そもそも人口規模が大きい都市部の街と、地方の中山間の街では基礎体力が違い過ぎるからだ。腹が減っては戦が出来ぬ、というように軍資金が無ければ戦いに勝つのは難しい。豊島区はその軍資金捻出から頑張ったということもあるが、他の市町にそこまで出来るだろうか。10年後、20年後、いくつかのまちが消えていくのは避けられないことだろうし、消滅しないまでも、まちの形式は否応なく変わっていくのだろうが、ペナントの中に封じ込められたニッポンの風景だけはいつまでも変わらず残って欲しいものだ。

◉昨年の春にリニュアルオープンした展望台は、おもしろそうな趣向満載のアミューズメント感溢れる場所になっているようだ。


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