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【一幅のペナント物語#28】登山者、六甲山頂で謎の円盤に遭遇か!?

◉深い緑の中に「国立公園六甲山」の山吹色の文字が浮かび上がるアルペンムードの作品。「六甲山」の文字も山小屋風だ。旗竿部分には実用性の高そうなスピンドルコードが使われていて、デザインも含めて年代的には古いもののように見える。六甲山が国立公園に指定されたのは1956年(昭和31年)ということなので、それ以降のアイテムであることは間違いない(正確には、1934年(昭和9年)に誕生した瀬戸内海国立公園の一部として追加で区域指定された)。登山者が目指す頂きに見える建物はなんだろう?と調べてみると、少し時間がかかったけど発見!

画像中央のトーテムポール下に「六甲ケーブル」の文字が! というかトーテムポールw

◉この建物、山頂にあった「回る十国展望台」という施設らしい。最大で約350人を乗せ、5分ほどかけてぐるっと一周する仕組みで、現在、自然体感展望台<六甲枝垂れ>がある場所に、2002年(平成14年)まで建っていたようだ。昭和の頃には良く見かけた、円形部分の室内フロアがゆっくり回るタイプの展望台かと思いきや、こっちの動画を見て驚いた。

建物全体が回るのである! 「それはさすがに無いだろう」と最初に外した選択肢だったのに。しかも上の写真には無い3階部分がある(60年代頃に増築されたらしい)。昭和パワー侮りがたし。それにしても竣工が1957年(昭和32年)で、この動画の撮影が1996年とあるから、この回転設備40年間もちゃんと稼働してたわけで、なかなか凄い保守力だと思う。ちなみに「十国」というのは地名ではなく、ここから見渡せる、丹波、播磨、淡路、摂津、河内、和泉、紀伊、山城、大和、阿波の国の数からきているそうだ。

◉1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災を境に、急激に来場者が減ってしまったのが致命的だったということのようだ。最終日にはいつもの5倍に相当する約1,600人の来場があったと当時の新聞が伝えている。まあ、いつでもどこでも、今日が最後となると別れを惜しむ人が退去して押し寄せるのは今でも見かける光景だし、そこに並ぶ人が「こんなにたくさん人が来るのに、どうして辞めちゃうのかねぇ」なんて無責任な話をしてたりするのもまた、変わらないのかも。

◉こちらの記事では、そもそも「国定公園」になったことで、阪神・淡路大震災後にも、必要なメンテナンスができなくなり観光復興に時間がかかってしまったというような話が書かれている。確かに国宝なども一度指定を受けてしまうと、ちょっとした修理を行うのも自治体判断では出来なくなり、大変な時間と労力がかかると聴くので、国の指定を受けることは良いことばかりではないということだ。昭和の頃、どこもこぞって「国定公園」を売りにしているのがペナントからも伝わるが、そのせいで寂れていった観光地も多いのかもしれない。


【余談】調べていたら箱根のほうにも「十国峠」という場所があり、そこにも円形の展望台があるようだ。しかも麓からケーブルカーが走っている。六甲と同じようなパッケージなのだが、なにか関係があるのだろうか?

ちょっと!ここのグランピング、やばくない?!(箱根十国峠HPより)

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