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高野山へ③

いよいよ御廟についた。
前の親子に続いて中へ入ろうとしたが、入り口のところに伽羅という茶色の粉があった。これをほんの少し手につけるとのこと。この伽羅の粉をつけることによって、不浄のものを寄せ付けない、またお坊さんも同じものをつけていて、これで身を守っていると書いてあったような気がする。となかく、弘法大師様にお会いするのに、失礼があってはならないと、ほんの少し手に取り、両手で擦り合わせた。独特の香りだ。私はあまり抵抗がなかった。

ようやく中にはいる。
正面に弘法大師様のとても大きな姿絵がドーンとある。ものすごい迫力だ。両脇には同じ大きさの曼荼羅がある。ここに弘法大師様がいらっしゃるのか。少し気が抜けたように、そこにたたずんでしまった。幸い、人はおらず、お坊さんも数名いるくらい。はっと我に帰り、大師様にご挨拶をした。右端では、護摩だきをなさっていた。炎がメラメラと上に上っていた。神秘的だ。全てが夢のような感じがした。お守りなどが売っていたが、ピンと来るものがなかったので、買わなかった。

さて、移動だ。つぎは本当に大師様にお会いする。御廟の前へ。ロウソクとお線香を購入して、供えさせていただいた。お花も沢山供えてあった。
ただただ、こちらにご挨拶に来れたことに感謝した。ご縁をいただきましてありがとうございますと。1人で大号泣だ。周りからしたら、おかしな人だと思われるだろう。大師様のご配慮で、幸い誰もおらず、ひとしきり泣いた後、大師様の前を失礼させていただいた。


本当に色々あった。ここに来るまでが、走馬灯のように頭を巡った。おかげさまで無事に目的が終了して、ほっとしながら、御廟を後にすると、雨が上がり、青空が見えてきた。
これも大師様のおかげ。有り難いと思った。
帰り道は、墓石を見ても怖いという感情は無くなっていた。大師様が祓ってくださったのだと思う。
色々な方のお墓があるのを見る事ができた。帰り道もお地蔵様を見つけては、手を合わせを繰り返した。そうして帰宅の途についた。

次回はもっとゆっくり色々な所を見てわまりたい。そう強く思った。またここに来るのだなと。今思えば、なんてもったいないことをしたのだろうと思う事も。せっかく高野山へ行くのだ。そうそう何度も行ける所ではない。よって、もう少し色々と調べてから高野山に行くべきだったのではないか?


しかし!あの時は必死だったのである。ご挨拶に行けねばという思いが頭の中を占領していた。何かに取り憑かれていたのかもしれない。そのおかげで、今までの自分では、到底考えられない行動をとる事が出来たのだ。全ては最善だ。おかげで少しは変わることが出来たと思っている。

今回学んだことは、輪廻転生という事。
雑草や石ころにも命が宿ってる。
私は次に生まれ変わった時に、人間でなく雑草になっているかもしれないし、石ころになり、何百年とそこにいるのかもしれない。また、虫になり、人間に踏み潰されるかもしれない。そうやって、また生まれかわるのだ。
現世で、人間をやらせていただきありがとうございますと言う事。先祖の方々のおかげで今がある。今を正しく生きること。それが課題でもあるし、ご先祖さまへの恩返しだと思う。


仏教の教えに、「十善戒」と言うもがある。
「十善戒」とは、仏教において、生き方の指針として示された十の戒めだ。

身業
不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを自分のものとしない。
不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。
口業
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
意業
不慳貪(ふけんどん) 激しい欲をいだかない。
不瞋恚(ふしんに) 激しい怒りをいだかない。
不邪見(ふじゃけん) (因果の道理を無視した)誤った見解を持たない。

この十膳戒を心に留め、自分で確認しながら生きていば、正しい道を歩める事だろう。
それが今の私に出来ること。
もう間違えたくはない。
大師様のお導きのままに歩めと言われた感じがした。


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