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「面白い」とは?

・子ども主体とは?教師主体とは?
・子どもたちの自律性を育てるとは?
・自律性と主体性の違いは?

上記のテーマで、10月から月に一度全国の先生方とオンラインでお話をさせていただいている。

こういったテーマでお話させていたことで、どういった変化があったか。

私は、自分の思考が変化したように感じる。

思い返せば今まで、方法論ばかりを求めていた。

・困ったことがあった。手っ取り早く解決する方法はないか?
・子どもをやる気にさせるためには、どうすればよいか?

それが、今では方法論を考える事よりも言葉の意味についてじっくり深堀することが「面白い」と感じるようになった。

・自律性って、何だろう?
・主体性と自律性って、どう違うんだろう?
・積極性と主体性の違いって?

こういった一つ一つの言葉を深堀していくことの意味は、自分の哲学が形成されていくと考える。そして、自分の言葉で語れるようになることが「面白い」。

私が、今感じている「面白い」。
子どもたちにも「面白い」という経験を人生の中でたくさんしてほしいなと感じる。
「面白い」と感じることがたくさんあれば、子どもも教師も「学校」と言う場が「楽校」になっていくのではないかと感じる。

では、そもそも「面白い」とはどういうことなのか?
冬休み中にいくつかの本を読んで、考えたことを以下に述べていく。

①「面白い」とは、自由を目指すこと

たくさんの言葉がある中で、私が「面白い」について深く考えようと思ったのは、以下の本をネットで見つけたからである。

この本の中で、興味深い一文を見つけた。

「面白さ」は、自由を目指している。

 満足とは、求めていたものが得られることであり、自分が思い描いた状況に実際になることだ。人間の脳は、頭に思い描いたことが現実になることを欲している。
 他書でも何度も書いていることだが、僕は、この状況を「自由」と定義している。(中略)
 したがって、「面白い」というのは、この自由へ向かう方向性を感じている状況であり、いうなれば、いずれ自分は満足するぞ、という予感が、その人を笑顔にさせるのである。
森博嗣(2019)「面白いとは何か?面白く生きるには?」ワニブックス

この文を読みながら、私は以前読んだある一冊の本を思い出した。

この本には、「自由」について以下の様に述べられている。

 ここでいう<自由>というのは、「生きたいように生きられる」ということです。もうちょっというと、できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、生きたいように生きられているという実感のこと。これが、<自由>という言葉の意味です。
苫野一徳(2013)「勉強するのは何のため?僕らの「答え」のつくり方」日本評論社

共通しているワードは、「満足」ということ。
この2つの本から、「面白い=満足(自由を求めるため)するための手段」かなと感じる。

いきなりだが、小さいころと今の自分を比較してみる。

小さいころ → 与えられることが多い。
今の自分 → 与えられるのではなく、自分で求めにいくことが多い。

違いは、ある。でも、昔も今も共通していることは、「面白い」と感じることと「自分で求めること」が大きく関係性しているというとである。

大人になった今、誰かに言われてではなく、自分から「取り組みたい!」と思うことに取り組んでいくこと。つまり、進んで取り組むことが「面白い」と感じる。記事を書いている今まさに私は、「面白い」と感じている。

そして、私の息子を見ていてもそれを感じる。例えば、先日クリスマスプレゼントを渡した。渡したときも嬉しそうであった。しかし、その後、もらったプレゼントを遊んでいることの方がより楽しそうであり、面白そうであった。対象(プレゼント)に進んで関わっているときの方が、「面白い」と感じているようだった。

この項をまとめると、「面白さ」は、自由を目指している。そして、自由とは満足している状態、自分が生きたいように生きられている状態の事である。そして、それには自分から進んで取り組むということが関係性していると考える。自分から進んで対象に働きかけるからこそ、「面白い」と人は感じるのではないだろうか。


②「面白い」と感じるには、心の余裕が大切

「面白い」と感じるときは、どんなときだろうかと考えてみる。私が。最近「面白い」と感じたことを思い出してみる。

・「ふと」Twitterをみると、面白そうな本が紹介していた。読んでみると、面白かった。

・子どもと公園に遊びにいった。子どもと遊ぶという事自体も面白かった。しかし、もっと面白かったのは子どもの「ふと」した行動である。

・Aの本にかいてある一文を読んだときに、「ふと」Bの本の事が頭に浮かんだ。Aの本とBの本は、関連がある。面白い。

「ふと」という言葉が共通している。
私は、「ふと=無意識」と考えた。意識しているものの中に、「面白い」を見つけることも多くあるし、意識していなかったこと、つまり無意識の中にも面白さがたくさんあると思う。しかし、最近の私の「面白さ」はどれも無意識から生まれているように感じる。

無意識については、以下の本を読んだことがある。

そして、無意識について以下のように述べられている。

驚くべきことに、人の行動の9割は無意識で行われると言われている。
例えば、この本を手に取ったのはあなたの意識的な行動だが、今ページをめくろとしているのは無意識下の行動だ。朝起きて、歯を磨くのも、駅までの道のりを歩くのも、ほとんど無意識に行われる。僕たちが意識して情報処理できる領域は氷山の一角に過ぎず、ほとんどの行動や決定は、水面下の広大な無意識という領域で行われている。
茂木健一郎(2022)「意思決定が9割よくなる 無意識の鍛え方」株式会社KADOKAWA

人間の大半の行動は、無意識という領域で行わている。つまり、意識はしていなかったが、無意識に見ていた対象に面白さを発見するということが大半であると考えられる。無意識を鍛えていけば、「面白い」ことがたくさん見つかるような気がする。では、無意識を鍛え、「面白い」をたくさん見つけていくためには、どうすればよいか。

この本には、「全体を柔らかく俯瞰する視点」が大切だと述べられている。狭い範囲のことにあくせくしながら向き合うのではなく、可能な限り大らかな気持ちで、物事全体を見つめるクセをつけることである。

そのための方法として、「瞑想」の重要性が述べられている。

私が、この本を読んで感じたのは、心の余裕が大切という事である。面白いことを見つけるには、「特別な技術」というよりも「広い視野」であるのではないかと。そして、広い視野を持つことで、たくさんの「面白い」が見つかっていくのではないかと感じる。


③「面白い」と感じることは、自分の心の中に

先ほど、紹介した「面白いとは何か?面白く生きるためには?」の中に興味深い一文があった。編集者の「生きるのが面白くなる考え方、視点はありますか?」との質問に対する著者の答えである。

考え方とか、視点というよりは、まずは「面白い」と感じるものに近づくことが大事だと思います。近づけば、視点が変わりますし、視点が変われば、考え方も変わってくるように思います。
森博嗣(2019)「面白いとは何か?面白く生きるには?」ワニブックス

もう1つ紹介する。
先ほど、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見ていた。
講師は、湖池屋で代表取締役社長を務められている佐藤章さん。その佐藤さんのある言葉に強く感銘を受けた。

「ウソのない思いにこそ、熱は宿る」

今、世の中は情報であふれている。そこで、「面白い」とみんなが共感しているものに引っ張られてしまっている自分がいる。

しかし、そこに自分の熱はない。その時は、面白いと感じるかもしれないが、それは人から共感された面白さであり、自分が本当に「面白い」と感じた「面白さ」ではない。やがて熱は、冷めていく。

人から勧めれた面白さではなく、自分が本当に面白いと思うものを探す。そして、自分にウソをつかない。
本当の面白さは、自分の心の中にしかないのではないかと私は感じる。



以上、「面白さ」についての考えを述べてきた。
一度きりの人生。「面白さ」は生きていく上で非常に重要だと感じる。

そして、学校を「面白い」場所にしていきたい。そのためには、私自身が「面白い」と感じることを増やしていきたいなと考える。

「学校」を「楽校」へ。
この想いを忘れず、また3学期から頑張っていきたい。

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