下心と道徳心

部活に向かうであろう大きな荷物を持った女子高校生が少し混んでいる電車に乗り込んできた
しばらく立っていたのだが目の前の長椅子に座っていたスーツを着た男性が席を譲ってあげた
その時女子高生が小さな声量で「優しい..」と呟いたのがはっきり聞こえた
友達が隣に座っている感じでもなく一人で呟いていたのだ
更に電車から降りる時に男性の方に向いてぺこりと頭を下げた
席を譲った男性は特に気に留める事もなく一瞥をくれただけだったのだが関係ない私は若さにやられて胸がギュッとなった、無関係のくせに
その後ひねくれた心を持った私は果たして乗り込んできたのが大きな荷物を持った男子高校生だったり同世代のおじさんだったらどうしていたのだろうかと思ってしまった

自分がと考えた場合、来し方行く末の「来し方」には滅法冷たい感じがする
つまり、自分が辿ってきた男子小中高、大学生、それ以降では同世代くらいのおじさんは「他人の善意に甘えるのではない」という気持ちが態度に出てしまう
特にこれまで冷たくされた人生ではなかったというのにも関わらずなので意味が分からないが
そのルールからすると目の前に重そうな荷物を持った人が現れた場合、それが自分の「行く末」である年寄りだったら多分席を譲るし「来し方」ではない女子にも席を譲るかもしれない
(下心があると思われたら嫌だから譲らないかもしれないけど心の中では席を立っている!)
話を戻すと今朝女子高生に席を譲った男性がどういう気持ちだったのかは分からないけれど、他人の善意による行動の指針をあれこれ詮索するのは無粋、というか善意を向ける相手を決めるのはその人のルール次第なのは当たり前の話なのだ
善意を義務化してしまう事こそ気持ちが悪い世の中ではないかと思う


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?