ハンムラビ法典にみる為政者たちの賢さ

古代文明バビロニアの王ハンムラビが、史上はじめて「法律」を制定した。それまでの社会は独裁的な支配者が好き勝手に支配していたが、ハンムラビはすべての人が守るべきルールとして法を成文化し、さらに為政者がこの法を変えることを禁止した。これは前代未聞の新機軸であった。

法典の中身は、死刑とされる罰則が多いようだ。病気によって今よりも無事に成人になれる人数も少なかっただろうし、天災によって失われる命の数も多かったのではないかと推測すると、現代よりも人の命の重みが重かった時代のような気もするのだけど、逆に死という存在はより身近にあって死生があいまいだったのだろうか。

この法典は「正義」の神に捧げた黒い石柱に刻まれ碑文となり広く国民に知らしめられ、ハンムラビは将来の全世代の人々にこの法律を順守するように命じたそうだ。さらに、将来の王たちにも、一時の感情に従って統治するのではなく「私が与えた法」を変えることを禁じ、この法の支配を守らなくてはならないと述べた。為政者さえも、国民を支配する法に従わなければならないというのは革命的な発想だったとのこと。

と、ここまで知ったところで、ハンムラビはよほどの天才だったのだと私は思いました。

国が潤うにつれ国民の数は破竹の勢いで増えていく、そしてその圧倒的な人数の多さは支配者たちにとって脅威に感じられたに違いない。たぶん古代において人の数は武力そのものだっただろうし。そんな数多い彼らを少ない人数でうまく統制していくためには、誰しもが従う「ルール」が必要だった。このルールに国民を従わせるために考えたのが、自分たち支配者でさえこのルールには従わなければならない、というルールだ。誰一人としてこのルールを破れない、としてしまえば、ルールを守らない者を社会から葬りさることができる。しかもルールを守れないような反乱分子を処刑してしまえば、全員を支配する必要はなく効率が良いし、反乱分子の数も増えることはない。しかも、どんな処分も、自分ではなく法が言っていることにしてしまえば、支配者たちは国民の不満の矛先をうまく回避することができる。

そして最後に、この全員が守らなければいけないルールを「正義」と名付ければ計画は完成だ。もともと支配者にとって都合のよいルールを作りそれを「正義」という名前にしておけば、支配者たちにとっては守ることそのものが安泰につながるし、社会全体が一定に保たれることによって国民の毎日の生活は保証される。不平等な状態ではあるかもしれないが、これを「正義」と呼んでしまっても、ある意味では正しいと思う。こうしてルールを守ることこそが国の為になる。国民の義務であることを教えた。

法の支配を尊重する態度は、今も政府に欠かせない基本的な特徴のひとつであり続けている。このハンムラビ法典の碑文は、1901年にフランス人考古学者によって発見されパリのルーブル美術館に保管され、紀元前1750年頃から今でも立ちつづけている。

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