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さいとうはるお先生の『ファミコン少年団』『べんとう一本勝負』など
亜種ドラ
藤子先生以外が描く『ドラえもん』も、色々あります。
方倉陽二先生の『ドラえもん百科』とか、しのだひでお先生の『ドラえもんの発明教室』とか……。
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さいとうはるお先生の『ドラえもんふしぎ探検』も、そのひとつです。
![](https://assets.st-note.com/img/1698473768454-LUmUIGuOPy.png)
『ドラえもんふしぎ探検』
『ドラえもんふしぎ探検』は、1990~1994年度の『小学二年生』に載っていました。
超能力の回では、「イルカの超音波」などを紹介。
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![](https://assets.st-note.com/img/1698475844182-sqFbPR127c.png)
「超能力は人間にもある」と語る背景が心霊医療なのが、ちょっと気になりますが……。
さいとうはるお先生は、『ドラえもん』以外にも、『ハットリくん』や『パーマンの英語教室』も担当していました。
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『ファミコン少年団』
そして、「さいとうはるお先生の作品」として一番有名なのは、1986年から『コロコロ』に連載した『ファミコン少年団』でしょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1698492383415-YlpklX4mWG.png)
さいとうはるお先生によると、連載の経緯はこんな感じだったそうです。
「もともと藤子スタジオでアシスタントしてたんです」
「そこでコロコロの編集の人と仲良くなったりして」
「副編集長だった平山さんから『ファミコンの企画があるから連載やってみないか』って言われて。本当に突然だったんですけど、二つ返事でOKしました」
高橋名人登場
当時は「ファミコンブーム」の真っ最中。
そのボタンを1秒間に16連射できるという「高橋名人」が、子供たちに大人気でした。
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『ファミコン少年団』にも、もちろん高橋名人が登場。
江戸川乱歩先生の「少年探偵団」で言うなら、明智小五郎のポジションが高橋名人でした。
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会員証
岩井道さんの『マンガけもの道』では、『ファミコン少年団』について、「『ファミコンロッキー』のイカレっぷりに比べると地味」という感じに書かれていました。
でもまあ、そもそも『ファミコンロッキー』みたいなジャンルの漫画でもないのですよね。
さいとうはるお先生は、こう仰っていました。
「ゲーム自体より、少年団の友情やふれ合いを描くことがメインの作品でした」
「当時はコロコロに(ファミコン少年団の)会員証の付録がついていて、そういうのを積極的に作品に活かしていこうと」
「それで、水戸黄門の印籠のような感じで、会員証をバーンと出したり」
個人的には、『ファミコン少年団』だって十分面白いと思うので、私が好きなシーンを紹介させてください。
これが『ファミコン少年団』だ!
それは、さいとう先生・方倉先生・田中先生という藤子スタジオ系の漫画家3人組が、目の前に札束を積まれるところ。
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「こ、これは!?」
「お金だ……!!」
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と、悪の組織が『高橋名人の冒険島』の営業妨害を企てているのでした。
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