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曼陀羅先生が16歳でジャンプに載った読切『生まれた日に、』

12/22~12/30まで毎日更新する予定から、少し遅れております。大変申し訳ございません。(12/27予定の更新が「12/28 13:19」、12/28予定の更新が「12/29 01:09」となってしまいました)

前置き

『週刊少年ジャンプ』の発行部数は、1991年3・4号で600万部超えを達成しました。
さらに、1995年には653万部を記録。
その後は、『ドラゴンボール』の連載終了から部数を落としていきます。

てな感じで、90年代前半のジャンプは「600万部時代」でした。
その頃のジャンプは、メチャクチャ大勢に読まれていたハズです。

1991年6月の学校読書調査では、男子中学生の80.1%が「ジャンプをよく読む」と回答。
女子中学生でも19.6%がジャンプをよく読んでいました。

この『週刊少年ジャンプ』1992年38号も、そんな時期の1冊になります。

いちおう、当時の目次はこんな感じです。

それで、この号には「特別読切」として新人賞受賞作の掲載がありました。

第43回手塚賞入選『生まれた日に、』

当時のジャンプ読者でも、もう覚えていないかも知れませんが……。
個人的に印象深かった作品なので、今日は、その思い出を書いてみようと思います。

 

(手塚賞のこと)

手塚賞は、集英社が開催している新人賞です。
(ギャグ漫画は赤塚賞で、それ以外は手塚賞という感じになります)

一番評価が高いのは「入選」で、賞金は100万円でした。(現在は200万円)

手塚賞は年2回ですが、入選は「該当なし」になることが多いです。
最近だと、2007年下半期から2015年まで入選はなく、2016年上半期に「9年ぶりの入選」が出て、それから5年ほど入選がありません。

入選者は51年間で16人と、かなり「入選」を出し渋っている賞です。

手塚賞出身の作家の例として、北条司先生、荒木飛呂彦先生、桂正和先生、小畑健先生、冨樫義博先生、藤崎竜先生、甲斐谷忍先生、尾田栄一郎先生、葦原大介先生……などは「準入選」でした。
(諸星大二郎先生や井上雄彦先生は「入選」)

あと、岸大武郎先生(『恐竜大紀行』『てんぎゃん』)と田中加奈子先生(『身海魚 』『三獣士』)が「入選」で、賞の性格がなんとなく伺えます。

ちなみに、赤塚賞は6人しか入選しておらず、その6例のうちの1つが『AT Lady!』になります。

 

「死んだぜ 生まれた日に死んだぜ」

そんな感じで、滅多にない「手塚賞入選」を果たしたのが、今日ご紹介する『生まれた日に、』でした。

手塚賞入選までいくと、受賞作は本誌に掲載されることが多いです。
(※特にそういうルールはなく、助野嘉昭先生などの例外もあります)

てことで、『週刊少年ジャンプ』1992年38号にて、『生まれた日に、』が掲載されたのでした。

たぶん、読者の多くはホップステップ賞と手塚賞の違いが分からないので、「手塚賞入選」と言われてもピンと来ないと思います。
なんか知らんけど今週は知らない漫画が載ってるな……くらいの認識で、気が向いひとだけがページをめくったのではないでしょうか。

すると、そこにあるのは「死んだぜ 生まれた日に死んだぜ 生まれた日に たったひとりで」という謎の開幕ポエム。
柱には、「16才の異才が描く」というアオリ文句。

この導入には、謎のインパクトがありました。

「16才」というフレッシュな響きに逆らうように、「曼陀羅」というペンネームと、ダウナーな雰囲気。

「心を見つめる目を持つ16才の異才」って、なんのこっちゃ……。

てな感じで、この読切、なんだか気になると思います。

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