『あだち勉物語』に出てこない「漫画家としてのあだちつとむ」の話
基本情報
あだち充先生は、『みゆき』『タッチ』『H2』などの人気作家です。
その実の兄である、あだち勉先生も漫画家でした。
弟のあだち充先生は、2023年現在も、72歳で『MIX』を連載中。
兄のあだち勉先生は、2004年に56歳で亡くなりました。
その「実録青春物語」として、『あだち勉物語』が連載しています。
これを描いているのは、ありま猛先生(現在69歳)。
あだち勉先生のアシスタントをしていたこともあり、付き合いの深かった勉さんのことを漫画にしたい、という企画です。
私見
『あだち勉物語』は、「あだち勉」「赤塚不二夫」「あだち充」周辺の1970年からの様子を、当時の関係者が描いた貴重な作品です。
ただし、あくまでも「ありま猛先生の記憶の世界」だと思って読むべきかも知れません。
確認できる事実と食い違う部分があって、裏を取らずに「歴史的事実」のように受け取るのは危うく感じます。
たとえば、あだち勉先生の『半平太参上』は、デラサンの1970年12月号~翌年3月号の全4話でしたが、『あだち勉物語』では「2回で最終回」とされています。
と、『半平太参上』の件は、2021年11月の記事( ↓ )でも触れたのですが……。
あれから1年半が経って『あだち勉物語』のストーリーも進んだので、最近の話をさせてください。
前提:『中一コース』連載に関する事実
あだちつとむ先生が最も長く連載したのは『中学一年コース』です。
そこで主に描いたのは「野球ギャグ漫画」で、
と、原辰徳が江川卓を「耳でか肥満児」と罵ったりしていました。
1971年『タマガワ君』
あだちつとむ先生の野球ギャグの軌跡を振り返ると……。
1971年に、小学館の『週刊少年サンデー』で『タマガワ君』を連載。
主人公は、巨人の三軍のタマガワ君。王選手や川上監督も登場します。
『サンデー』の担当編集者(武居記者)のコメントは、
しかし、これは10週で打ち切りになってしまいました。
1972年『ズッコケ飛っ太』
ところが、そうして『タマガワ君』が終わった翌年。
学研の『中学二年コース』1972年4月号から、『ズッコケ飛っ太』の連載が始まりました。
主人公が巨人のダメ選手で、実在選手が登場する野球ギャグという路線は、だいたい『タマガワ君』と同じ。
そして、ここから1987年3月号まで、あだちつとむ先生は『中学○年コース』に15年間も描き続けることになります。
1973年『ハッスルパンチくん』
『ズッコケ飛っ太』が満了した翌年も、1973年4月号から『ハッスルパンチくん』が開始。
これは野球ネタではなく、「学園ギャグ」でした。
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