謝罪
このnoteでは「ご質問・ご要望」を受け付けているのですが、なかなかご返事ができていなくて、本当に申し訳ございません。
それで、長期間ご返事できていないご質問があるところ、ご回答の順番が前後してしまって、大変恐れ入ります。
月末が迫っている都合などで、本日は、比較的書きやすいものについて、ご返事させていただきたく存じます。
本日のお題
次のようなご質問をいただいております。(ありがとうございます)
ご期待に添えられるかは怪しいのですが、以下、私に書ける範囲のご返事をさせていただきます。
基本的な情報みたいなやつ
手塚賞は、『週刊少年ジャンプ』の新人漫画賞です。
『ジャンプ』誌上で、こんな感じに募集されていて……。
この手塚賞が、1971年から現在まで続いており……。
筒井康隆先生は、第1回~第29回(1971年~1985年)の審査委員を務めました。
余談(手塚治虫文化賞のこと)
筒井先生の特技は漫画をかくこと
筒井康隆先生は、子供の頃から『フクちゃん』や『のらくろ』が好きで、『漫画少年』に投稿するなど、ご自身でも漫画を描いておられます。
筒井康隆先生曰く、
ということでした。(その空間スゴすぎる…)
筒井康隆先生の選評
それでは、『週刊少年ジャンプ』の手塚賞結果発表ページに載った範囲で、筒井康隆先生の選評を見ていきたいと思います。
第1回
古家嗣治さんの『いーじーらいだー』は佳作(賞金5万円)だったのですが、たぶん未掲載で、詳細は不明です。
(「異色だった」というのは、この場合は褒め言葉なのでしょうか?)
「ぼくは絵はシロウト」みたいなコメントは、この1回目だけなのですが、今後も作家として評価をしていくという姿勢を最初に宣言なさったのかな……と思います。
第2回(『ガキすて山』)
第2回では、『ぼっけもん』のいわしげ孝先生なども佳作に入っているのですが、筒井康隆先生が注目したのは『ガキすて山』でした。
(雑誌掲載時のアオリでは「高岡正夫くんは四国の出身で21歳。少年時代、障害物競走が得意だった」という、死ぬほど無駄な情報が得られます)
『ガキすて山』は、「十歳になったガキは みんな 山にすてられるのです」という町の話。
てな感じで、主人公の子供が山にすてられるまでの過程や悲しみを丁寧に描いたあと、
ラスト2ページで、「山にすてられた子供たちは、意外と楽しく元気に暮らしていたのだった」というオチがついて終わります。
個人的にはそんなに嫌いじゃないのですけど、筒井康隆先生の目から見れば、このアイデアでは物足りないのかも知れません。
第3回(中本繁先生)
と、第3回では、中本繁先生の『ガラガラウマウマ』を非常に高く評価していました。
中本繁先生は、この半年ほど後、『週刊少年ジャンプ』1973年2号~36号に『ドリーム仮面』という漫画を連載。一部でカルト的な人気があります。