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山本いさむ先生の話(週刊少年ジャンプでデビュ-→エロ漫画家→痴漢評論家)

『痴漢日記』(1994年)

1994年に、『痴漢日記』という本が発売されました。

20年以上も痴漢を続けているという人物・山本さむさんの体験談を出版したものです。

私は、確か1996年ごろに、市立図書館で借りて読みました。
図書館の棚に入った『痴漢日記』の文字が、少し目立っていたのを覚えております。

 

余談:当時の図書館

当時、その図書館では、こちらの

エロ同人誌のエロサンプルなどが載っている本も、普通に全年齢に貸し出していました。

あと、エロ同人ゲームが収録されたフロッピーディスクが付属する『同人ソフト秀作ゲームコレクション』も置いてました。

このシリーズ。『ぺぺ&ロペ』などが収録されていました

まあ、国会図書館でエロ漫画が読めるのとかは、別に変なことではないのですけど……。

近所の中学生・高校生も多い地元の市立図書館で、エロ同人のカタログや実物が当たり前に貸し出されているのが、ちょっと違和感ありました。
(さっきホームページで資料検索したところ、そういう変な本はもう全部処分されたようでした)

 

『痴漢日記』とは

そんな感じで、市立図書館でほかにエッチな本はないかと物色していたところ、目に止まったのが『痴漢日記』でした。

内容は、本当の痴漢だという人が、長年痴漢してきたという実体験を本にしたという感じ。
どこまで本当なのかは、私には判断できません。

記述を信じるなら、山本さむさんが「本格的な痴漢活動に目覚めた」のは20歳のときだったそうで……。

 

『痴漢日記』の導入部

時は1972年。
山本さむさんは「出版社に持ち込み原稿を運ぶ日々を送るが、芽も出そうになくヤケクソ気味」で、ある日ふと、上野動物園に行ったそうです。

当時の上野動物園は、「カンカン」「ランラン」というパンダが来たころ。
それは物凄い人気で、パンダを数十秒見るのに何時間も並ぶみたいな状態でした。

そこで山本さむさんが目撃したのは、パンダを拝める数十秒の興奮のドサクサにまぎれて女性の尻を触る痴漢たちでした。
それを山本さむさんも真似て、パンダに夢中になっている女性の尻を触ります。

すると、痴漢のオッサンが声をかけてきて……。

「ガキィ、なかなかやるじゃねェかよォ、ほかでもやってやがんなァ」
「いや、はじめてっス」
はじめてじゃ、あんな触り方はできねェよ、お前どっから来た?」
「蒲田のほうっス」
「じゃあお前はカマタって呼ぶか

という感じで、山本さむさんも痴漢グループの仲間になったそうです。

この辺、『麻雀放浪記』のような半実録アウトロー小説っぽさを感じないこともありません。

しっかりしてるね、坊や」ドサ健はいくつも年齢の違わない私を、虎に倣って“坊や”と呼んだ。「はじめてなんて嘘だろう
「本当さ。だからあンたを見習ってるんだ」

阿佐田哲也『麻雀放浪記』の序盤

やってることが「痴漢」なので、犯罪の中でも、特にカッコ悪い部類ですけど……。

 

『痴漢日記』の内容

そうして、20歳から42歳まで痴漢し続けた体験談や、痴漢仲間たちのエピソードが書かれた本が『痴漢日記』でした。

痴漢仲間たちの顔ぶれは、こんな感じ。

「川崎」(リーダー格。32歳。セールスマン)
「カメラ男」(カメラをのぞいたまま痴漢する。せんだみつおに似ている
「ガム男」(アル中。かんだガムを女性のスカートに付ける
「ベンツ」(年配の産婦人科医。痴漢しにベンツで来る
「仙人」(大正時代から痴漢をしている老人

次のようなエピソードが、実体験として語られていました。

「痴漢したことがきっかけで知り合った女性と結婚した
「双子の姉妹を同時に痴漢した」
「シスターを痴漢したら『あなたの救われんことをアーメン』と祈られた

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