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景山民夫vs野坂昭如の悲しい対談と、2人の死後に大川隆法さんが出したクソ霊言

今日は、この対談の話をします。

対談1

『週刊朝日』1991年9月27日号

・「幸福の科学」の会員だった景山民夫先生(『遠い海から来たCOO』)
・その活動を批判した野坂昭如先生(『火垂るの墓』)

この対談が、当時はけっこう話題になりました。

なので、
「この対談に至るまでの、宗教的な騒動」
「対談内容と、景山民夫先生の信仰のこと」
「2人の死後に大川隆法さんが出した、それぞれの霊言」
(野坂昭如先生の霊が謝罪して、幸福の科学にエールを送ったこと)
などについて、書いてみます。

わりと思い入れがあって、一度書いておきたかった話です。
ただ、色々とあふれたというか、ちょっと整理しきれなくて、読みにくいかも知れません。ごめんなさい。(読んでて途中で飽きるかもです)

また、スケジュール調整の失敗の結果、2日連続で「幸福の科学」ネタの更新となってしまいました。
もう少し違う宗教の話をしてバランスを取りたいです。


景山民夫先生について

景山民夫先生は、『11PM』や『クイズダービー』を担当した放送作家。
1988年に『遠い海から来たCOO』という小説で、直木賞を受賞しました。

景山先生は1990年の秋、『太陽の法』という本を読みます。

太陽の法dfさ

大川隆法・著

そして、「ここに書いてあることは僕が子供のころに疑問に思っていたことだ。その解答がこの本には書いてある」と思ったそうです。

もちろん最初は、「この霊言集って、単なる創作なんじゃないだろうか」と疑う気持ちもありました。
しかし、景山先生が「知力を尽くして探求」してみたところ……。

「1991年に入る頃には、僕は自分なりの結論を得ていた。それは『大川隆法という人は、本物だ』ということであった」

プロの作家としての自負をもっていうのだが、霊言集は、とても書下しフィクションとして作り出しうるものではなかった。もし自分がこれらの霊言集をフィクションで書くとするならば、最短でも、まず資料集めに半年構想に一月半、そして四百字詰め原稿用紙にして三百枚と推定される現行の執筆に三か月はかかる」

「大川氏の霊言集の刊行ペースは、その約五分の一、あるいはそれ以上」

「霊言集に登場する高級諸神霊は、各々が明らかに異なる個性を有していた。小説書きが、登場人物の個性を作り上げるのに、どれだけの汗を絞りださねばならぬかを、身を持って知っている人間としては、それらの著作が単に大川氏の個人的イマジネーションの産物であるとは、けして判断出来なかったのである」

(『「幸福の科学」現象を追う』より)

……ううむ。
私とは違う感想ですが、とにかく直木賞作家の経験と自負を根拠に語っておられます。


ノストラダムス

ちなみに、ここにもノストラダムスの影響がありました。

「霊言集というものを刊行しつづける以上、大川氏には、そうせねばならぬという情熱の因ってきたる理由があるのだと思えた」

「内外の様々な書物によって『二十世紀の末に東の国に救世主が登場する』という知識は得ていた

「情熱の根源は、大川氏が本当の救世主であるということ以外には思い当たらなかった。その時、僕の心の中で、長年の疑問を解く鍵、ミッシング・リンクの欠落部分が初めて埋められ『カチャーン!』と音を立てて輪がつながって連続体となった」

つまり、1987年に五島勉さんが出したコレ

日本2

に書かれていた「世紀末、日の国から救世主が現れて、大きなメシーの法は保たれる」というヨタ話が、当時の景山民夫先生の脳にインプットされていたのでした。

そして、それが大川隆法さんと結びついて、ミッシンリンがカチャーンしちゃったようです。

ノストラダムス

この辺、だいたい五島勉が悪いです。


希望の革命

そうして、1991年3月30日。
景山民夫先生は「幸福の科学」の正会員になりました。

しかし、そのころ、世間のマスコミは「幸福の科学」を叩く方向に動いていました。

ばか

『スコラ』1991年5月23日号(5月9日発売)

月刊げんだ

『月刊現代』1991年8月号(7月5日発売)

そして、大きな騒動の引き金になったのが、『フライデー』の1991年8月23・30号(8月9日発売)の記事でした。

早川

これは、早川カズヒロさんというライターの記事。
石原さんという人物を取材したら、大川隆法主宰を悪く言ってたよ、みたいな内容でした。

ふらい1

ふらい2

幸福の科学出版『マンガ希望の革命』

石原さんは「大川隆法氏に魔王がついているんです。降伏しなければならない」などと主張しており、私的には信頼しがたい人物です。

当時の『フライデー』は「連続追及 大川隆法の野望」という感じで、8月から「幸福の科学」叩きをシリーズ化していました。

そのご

ねつぞう

フライデーに苦しむ幸福の科学の会員さん


そして9月。
『フライデー』を出版する講談社への、抗議運動が開始されました。

希望の革命

幸福の科学では、これを「希望の革命」と呼びます。
9月2日~6日には、講談社に抗議電話やFAXが集中。
(FAXは重さ200キロ、電話は2万回に達したとかで、当時の講談社は大変だったそうです)

そして、この革命で「講談社フライデー全国被害者の会」の会長に就任して、先頭で叫んでいたのが景山民夫先生でした。

かいちょ

3月30日に正会員になって、5か月後には叫んでいるのが、ちょっと恐ろしいです。
このとき、景山民夫さんへの世間の評価も、「人気作家」から「宗教のアレな人」に変わりました。

これを受けて、9月12日発売の『フライデー』(1991年9月27日号)には、「景山民夫氏」「あんたたちはどうして『嘘』ばかりつくのか」という記事が載りました。(筆者は早川カズヒロさん)

どうして嘘

この記事は、のちの裁判で「いつ・どこで・どのような嘘をついたかを明らかにせず見出しで嘘つきと侮辱して、景山先生の名誉を毀損した」みたいな感じに、違法認定されました。

このほか、講談社の一連の「幸福の科学」叩きの記事は、いくつも違法認定されました。(騒動のきっかけになった石原さんの記事はセーフ判定)
一方、「幸福の科学」の会員さんたちの抗議電話も、業務妨害だったと違法認定されています。

その後、講談社は「幸福の科学」批判を書かないようになったみたいです。
「幸福の科学」側も、あまりにも凄まじい「バッシング」を受けたことで、1992年から方針を変更しました。(五島勉の霊言の1章など参照)


余談

この件を受けて、「幸福の科学」が1992年に出版したのが、仏陀を誹謗したカズヒロさんが死んで地獄に堕ちて苦しみ続ける漫画でした。

カズヒロ3

カズヒロ4

『マンガで見る「幸福の科学」』を知れ──っ!!

この件については、11年ほど前に「ちゆ12歳」で取り上げました。

(「カズヒロ」という名前は、幸福の科学を批判したライター、早川和広さんと米本和広さんの両方にかけたものだと思います。たぶん)


直木賞作家 vs 直木賞作家

と、背景の説明が長くなってしまいました。
今日の話題は、そんな「希望の革命」の最中、1991年の9月にあった出来事です。

「フライデー廃刊」「社長退陣」を求めて、講談社への抗議の先頭に立つ景山民夫先生。
それに野坂昭如先生が苦言を呈したところ、景山先生と野坂先生で対談することになったのでした。

対談1

『週刊朝日』1991年9月27日号

まず、講談社への抗議電話やFAXは、「幸福の科学」の上層部の指示で、組織的に行われた嫌がらせだろうと主張する野坂先生。

野坂「大川さんは、どうして出ていらっしゃらないんですか」
景山「直接の責任を持っていないからじゃないですか」
野坂「旧憲法下の天皇みたいなものか。始めたのは、軍部あるいは国民が(勝手に)やった」
景山「大川先生からは何の指示も出ていません」
野坂「そうすると、電話約二万回はすべて不特定多数の人が自発的に行ったわけですか。(大量のファクスには)初めは発信元が書いてありましたが、あるときから(一斉に発信元が)なくなった。これは、上から(指令が)きているに決まっている。ちゃんと認めればいいじゃないですか」
景山「おわかりいただけないのは、たぶん僕の信仰心が浅くて、野坂さんを説得する力が足りないのだと思います」
野坂「客観的事実について、そういう言い方はおかしいと思います

さすが野坂先生が強いというか、会話の文脈を踏まえた反論ができないことについて、自分の信仰心が足りないと考えてしまう景山先生がヤバめです。

それから、大川隆法さんの本については、

景山「大川先生の『太陽の法』を読み、子供のころから考えていた疑問への解答を得ることができたり、ものの考え方に一致するところが多かった」
野坂「僕は、そうは感じなかった。本を読もうとしたけれど、これはとてもじゃないけど読むに足る文章じゃないと思って、読まなかった」

野坂先生のお気持ちは分かります。
(私はアレ、何百冊も読んでますけど)

それから、転生輪廻の話になって……。

野坂「であれば、差別を受けている人たちも因果応報なわけ?」
景山「違います。そうとは限りません。その人たちが生まれてくる前に、四次元の段階にいたとしますね
野坂「『四次元にいたとしますね』といわれたって、こっちにはわからない
景山「三次元というのは、縦、横、高さのある世界。四次元は、もう一つ時間という要素が入ります」
野坂「それは常識としてわかりますが、差別と時間がどうかかわるのですか
景山「これは僕みたいな正会員になって六ヵ月しかたってない者がご説明するよりも、大川先生のお書きになった本を読んでご覧になるのがいちばんいいんですよ
野坂「あなたとは物書き同士としてうかがっている

景山先生、もう少し説明がんばってください。
(教義の説明が不慣れで、そこは「6ヵ月の信者」だなあという印象です)

そして、霊言の話になって……。

野坂「つまりモーゼさんも、アラーさんもみんな(大川さんのところへ)来て、しゃべるわけ?」
景山「そう。たとえば、モーゼが古代ヘブライ語をしゃべったとしますね
野坂「古代ヘブライ語というのはだれが判定するんですか
景山「それは仮定の問題でいいんじゃないですか」
野坂「だけど、古代ヘブライ語が大川さんの口から出るときは、日本語になるという格好になるんですか」
景山「そうですね」
野坂「僕はコレスポンデンス(交感)みたいな格好だろうと思っていました。ところが、言葉でくるんですか」
景山「それは大川先生の言語中枢を使って、日本語で出しているだけのことですね」
野坂「あなた、本当に正気なの?
景山「正気ですよ。だって、僕のいってることって、論理的整合性があるでしょう
野坂「ないなあ」

不毛な会話マニアには、たまらない内容です。


天上界で節子に会える

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