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手塚賞佳作3回。これが『合体可変戦機ビームトロン』の1兆ビットパワーだ!


ありがちペンネーム話

多くの人が似たようなことを考えるペンネームというのがあります。

たとえば、「一一一一」とか、

第16回赤塚賞佳作

「太宰治虫」とか。

第83回ホップ☆ステップ賞 最終候補作

※「太宰治」と「手塚治虫」を合成したものと思われます。

そして、この『合体可変戦機ビームトロン』の作者、

『合体可変戦機ビームトロン』(ジャンプ 1986 AutumnSpecial)

久利英太くりえいた先生のペンネームも、そういう系なのかも知れません。
(たぶん「クリエイター」→「久利英太」です)

 

手塚賞で佳作3回

久利英太先生は、1965年12月生まれ。

1980年~1982年ごろに、手塚賞の佳作を3回も取っています。

『週刊少年ジャンプ』1981年1号
『週刊少年ジャンプ』1981年27号
『週刊少年ジャンプ』1982年26号

※この準入選の「妖卜ようぼく」について、なぜかWikipediaでは「bdト」になっているようでした。

2004年9月からこうらしいです(ほかにも ROADが「RODO」になっていたりします)

 

受賞作について

久利英太先生の受賞作は、たぶんどこにも掲載されていなくて、内容の詳細は分かりません。

ただ、次のようなカットは載っていました。

19歳 → 20歳 → 21歳

それぞれ、こういう選評をされています。

第20回:「絵のうまさに将来性を感じる」(本宮ひろ志先生)
第21回:「セリフに少し重点がかかりすぎ」(中野編集)
第23回:「あれもこれもと、面白くなる努力のいれすぎ」(ちばてつや先生)

 

受賞後

ともあれ、1980年~1982年に結果発表の手塚賞で、久利英太先生は佳作。
その後、1984年~1986年にかけて、『ジャンプ』の増刊などに読切が掲載されました。

結局、久利英太先生が『ジャンプ』に連載することはなかったので、そこでアンケートの数字はあまり取れなかったと思われますが……。

以下、その読切作品について、簡単に紹介させてください。

 

1984年9月『ムウの戦士』

まず、『フレッシュジャンプ』1984年10月号に、『ムウの戦士』という読切が掲載されました。

地球から8000光年離れた惑星ムウを、ヘルゴッドさまが征服。
その星の姫だけが地球に逃げてきている……という状況設定です。

この、ヘルゴッドさまのくどい顔が素晴らしいです。

そして、主人公は姫を守るために、ヘルゴッドさまと戦うのですが……。

こ、これは……。

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