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『星』の新保勝実先生の奇作『かぐや』を知れーッ!!

 

うっすらと伝説の漫画

新保勝実先生の『星』は、『週刊少年ジャンプ』の1980年30号に掲載された読切です。

「人類と神の壮絶な戦いのドラマ」

ネットでは、「漫画の題名がわからない」系のスレでよく挙がる作品となっております。

「あのマンガ、何だった?」スレ

有名人では、『横綱大社長』のゾルゲ市蔵先生も、この作品について「タイトルなんだっけ」とツイートしていました。

と、『星』は新人の読切ながら、ジャンプ本誌に掲載されて内容が印象的だったことで、「詳細は思い出せないけど、みんなの記憶にうっすら残っている漫画。なんかデカい傘のやつ」となっています。

(当時の『ジャンプ』、いわゆる「黄金期」はもう少し後ですが、1980年3・4合併号で初の300万部を突破して大勢の読者に読まれていました)

掲載されたジャンプの連載陣(1980年30号)

しかし、この後、作者の新保勝実先生が『ジャンプ』で連載することはありませんでした。

でも、実は新保先生は『ジャンプ』で芽が出なかったあと、『週刊少年サンデー』でアニメっぽい絵の漫画を連載していたりします。

週刊少年サンデー 1985年12号

『名探偵コナン』が始まる8年前の『週刊少年サンデー』誌上で「身体は大人、心は幼児」というアオリが入ったのは、無駄にスゴイかも知れません。

 

『星』と『かぐや』とその後のこと

『星』と『かぐや』を見比べると、まあまあ雰囲気が違いますが……。

新保勝実作品全体から見ると、どちらかといえば『星』の方が珍しいタイプだったりします。

たとえば、『かぐや』の後に、同じ小学館の『少年ビッグコミック』系で描いた読切も、こんな感じでした。

少年ビッグコミック増刊 SFBOX(1986年1/17号)

しかし、結局、新保先生は小学館でも長く描き続けることはなく、80年代半ばにフェードアウト。

その後もいちおう、1992年に偕成社の『コミックFantasy』の新人賞で佳作(賞金5000円)を取ったりしていますが……。

コミックFantasy No.3(1993年発売)

これは、マイナー誌の応募総数37通の賞で、『ジャンプ』『サンデー』でデビューを目指して投稿するのとは、少し違うノリかも知れません。

そんなこんなで、新保勝実先生は、1980年に手塚賞に準入選してから、少なくとも1992年ごろまで活動していたのですが……。
単行本は1冊も出ておらず、あまり名前を覚えられていない漫画家となってしまっております。

今日は、そんな新保勝実先生の軌跡を、ざっと紹介してみたいです。

 

※念のための補足:「勝美」ではありません

Wikipediaにも、「新保勝実」のページはありません。
いちおう、「手塚賞」のページにお名前が載っているのですが、新保勝「美」となっております。

まんがseekでも、「新保勝実」の作品として登録されているのは『かぐや』と『女王の剣』だけで……。

『星』は「新保勝美」で登録されていました。

と、まんがseekでは「新保勝実」と「新保勝美」が別人として存在しております。

※まんがseek編集の『漫画家人名事典』(8500円)には、どちらも未掲載。

文化庁の「メディア芸術データベース」でも『星』と『風のシュプール』が「新保勝美」で登録されているので、そこから各所にコピペされているのかも知れません。

って、こんな誤字の指摘ばかり書くのも私が器の小さい人間だと宣伝してるみたいでアレなのですが……。
新保勝実先生に関しては極端に誤表記が多いというか、上記のようなサイトから「勝美」の方が広まっているようなフシがあるので、いちおう触れてみました。

※私の見た範囲では、当時の出版物で「新保勝美」となっているものはありませんでした。

 

『青銅の巨人』『変態』で月例賞佳作

新保勝実先生は21歳のとき、『週刊少年ジャンプ』の月例賞で1979年7月期の佳作に入りました。

『週刊少年ジャンプ』1979年39号

(※入選の富沢順先生は、のちに『コマンダー0』『企業戦士YAMAZAKI』などを執筆。受賞作『鋼鉄の殺人者』は1979年50号に掲載され、『PANKRA BOY』の2巻にも収録されています)

新保勝実先生への選評は、「なかなかいいものをもっている」「絵もキレイ」といった感じでした。

西村編集長と車田正美先生の講評

 

『風のシュプール』掲載

そして、年があけて1980年。
中原誠先生の原作による、『風のシュプール』という読切が掲載されました。

『週刊少年ジャンプ』1980年5・6合併号

中原誠先生は、1978年の「漫画原作賞」で佳作を取り、新人原作者として『ジャンプ』で活動を始めていた人です。

※中原先生はこの後、『マリオ』12週、『ロックンロール物語』10週、『アルバトロス飛んだ』11週と、原作作品が3連続打ち切りになります。
(それと並行して、双葉社のコロコロみたいなやつで『激メカライダー陽太』の原作も担当)

『風のシュプール』は、「原作賞佳作の中原誠先生」&「月例賞佳作の新保先生」で本誌に載せてみようという感じ。
80年代のジャンプを担う作家の候補として、新保先生が編集から期待されていたことが伺えます。

ストーリーは、「受験に失敗し、おちこむ薫。その前にあらわれた、不思議な美少女。今、愛がひとつ…始まる予感が!?」というもので……。

見知らぬ女性のスカートの中が見えたので、主人公は、その子をストーキングを始めるのだったという導入が、いま見ると少し恐いです。

(当時の『ジャンプ』でパンツNGなんてことは全然ないのに、スカートの中身がハートマークでガードされています)

主人公は、女の子と同じ電車に乗り込んで雪山まで尾行した挙げ句、彼女が宿泊したペンションでバイトを始めます。
それから、なんやかんやあって尾行した女性を助けたり、バイトの同僚の女の子とイイ感じになったりする青春物語でした。

(新保先生っぽさよりは、中原先生っぽさを感じる内容です。掲載されたジャンプは『Dr.スランプ』新連載号なのでプレミアが付いています)

 

『星』で手塚賞準入選

そして、『風のシュプール』掲載から5か月ほど後。
新保勝実先生の『星』が、手塚賞準入選に選ばれました。

『週刊少年ジャンプ』1980年27号

これがジャンプ本誌に掲載されて、多くの読者の記憶に残ることになります。

『週刊少年ジャンプ』1980年30号

物語の導入では、「まもなく地球から8.7光年しか離れていないシリウスが超新星爆発を起こして、発生する宇宙線によって地球上の生物は死に絶える」と予測されます。

それに対して、宇宙空間にバカでかい傘を建造して、人類が生き残ろうとする物語です。

ハシラの「SFと少女漫画がすき」というのは本当っぽくて、新保勝実先生の作品には、ゆるめのSF要素が含まれるものが多いです。

とにかく、

「世界は狂気におちいっていたのか このとほうもない計画に賛意をしめし 神への挑戦がはじまった…」
「四年後の凶星の爆発にそなえて 人類はひとつになっていた……」

という感じで、巨大な傘が完成。
しかし、大規模な太陽面フレア爆発の影響を受けて、傘は地球に向かって落下します。

主人公たちは、落下する傘をシャトルなどで押し返そうとして……。

(この辺りは、1988年の映画『逆襲のシャア』を連想すると言われることもあります)

「地球が駄目になるか、ならないかなんだ。やってみる価値はありますぜ」

そうして、アクシズ……じゃなくて傘は軌道に戻ったのですが、アムロ……じゃなくて主人公は死亡。

また、その事故によって、傘は十字形に損傷してしまいます。

そうして大勢の人が死んだのですが、この超新星の光は、2000年前にイエスが生まれたときの「ベツレヘムの星」と同じであるという話になって……。

人類が団結して生き残ろうとする姿を見た神が感動して、新たなキリストを誕生させたのだ! みたいな終わり方になります。

※「『ベツレヘムの星』は超新星の輝きだった」というアイデアは、アーサー・C・クラークの短編小説『星』に登場するもので、この漫画のタイトルもそれ由来だと思われます。

手塚治虫先生の選評では、「スケールが大きいし、アイデアがあった。ただ、科学的にメチャクチャだったのが残念だった」とのこと。 

ほかの先生の選評は、次のような感じです。

筒井康隆「まだ内容に、統一がかける点があるが、新人でこれだけこなせれば、りっぱというべきだろう」

松本零士「ムードのある作品にうまくしあがっている」

本宮ひろ志「インテリジェンスがあって、作者にはプロと勝負できそうな力を感じた

と、1980年。新保勝実先生は高く評価されて、手塚治虫先生からも「将来がたのしみの新人」と期待されたのでした。

 

女王ヴェガつるぎ

それから、1982年。
ジャンプの新人育成雑誌として創刊された『フレッシュジャンプ』に、新保勝実先生の読切女王ヴェガつるぎが掲載されました。

『フレッシュジャンプ』1982年10月号

こちらは、魔法やモンスターが登場するファンタジーで、殺された女王の娘が、母の仇を討とうとする物語です。

ハシラには「新分野で熱筆をふるう、新保勝実先生に感想のレターを!」とありました。
SF路線で編集会議を通らず、少しジャンルを変えたのでしょうか?)

読んでみると、主人公はわりと行き当たりばったりで行動するのですが、おおむね血筋のおかげで復讐を果たせたという感じ。
たぶん、英雄物語の雰囲気を楽しむ漫画だと思います。

ちなみに、『フレッシュジャンプ』の同じ号に載っている新人で、のちに『ジャンプ』で成功したのはまつもと泉先生や桂正和先生でした。

『アトミック梵天先生』が『女王の剣』と同じ号の掲載)

勝手な感想を述べるなら、新保勝実先生も濃いタッチより、ライトな絵柄で勝負した方が良かったのかも知れませんが……。
『星』が高く評価されていたところから全然違う作風にするのも難しかった気はします。

ともあれ、新保勝実先生は連載枠を得ることなく、『ジャンプ』系に掲載されなくなってしまいました。

 

『愛してマイMYまい』でサンデーに登場

『女王の剣』の掲載から、1年ほど後。

『週刊少年サンデー』の1983年12月増刊に、フレッシュな新人として、新保勝実先生の読切が載りました。

『週刊少年サンデー』冬休み増刊号(1983年12月)

当時のサンデーは、『うる星やつら』『タッチ』という2つの大ヒット作を抱えて、ラブコメ黄金時代の最中でした。

「マスコミはラブコメの流行を大きく取り上げ、『少年ジャンプ』の快進撃にもストップがかかり、1981年、1982年と年末最終号が300万部を下まわることになる」

西村繁男『さらば、わが青春の「少年ジャンプ」』

と、1981年~1983年の『ジャンプ』について、西村編集長は「足ぶみ状態」と表現しています。

新保勝実先生が『ジャンプ』でハード路線の新人として期待されて芽が出ず、『サンデー』でラブコメの新人となったことには、そういう背景もあったりするのですが……。

『女王の剣』(82年10月)と『愛してマイMYまい』(83年12月)

新作には、『女王の剣』の殺伐とした世界観の面影はなく、いきなり押しかけてくる自称・許嫁いいなずけの美少女。
そして、パンチラ! 風呂! ネグリジェ! ケツ! 乳首! 爆発!

……と、完璧に『サンデー』に溶け込んでいました。

「秘剣パンティーがくれ!」(ヤケクソ)

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