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受験記録。



この度、神山まるごと高専二期生になりました。

そんな今の私が振り返る、私の受験。
たくさんの優しさに救われた受験を今振り返たいと思って今言葉を紡いでいます。
この数か月、私が本気で楽しいとワクワクと自分と向き合った時間。
とんでもなく成長した私の数か月。
そんな今の私の思う苦しいも楽しいも全部ひっくるめてワクワクした最高の経験をした私の受験の話を少し、したいと思う。


サマースクール。少し大人になった私。

サマースクールに関しては、以前noteに書いたが、その一週間がとんでもなく濃すぎたためその分、終わった後も随分な衝撃があった。
いろんなことを知って、ぶつかって、考えて、笑った六日間で小さい大人になった私は、地元に帰ったとき、学校に行ったとき今までと違う考え方をしている自分が生まれてきたことが嬉しかった。
ただ、その嬉しさによる衝動か疲れかなんなのかは分からないけど、夏休みの後半は完全にフリーズモードの自分がいた。「え?今から自分受験なんでしょ?」ってくらいにただ申し訳程度の勉強しかしていなかった。
しばらくは何をしても空白な時間を過ごしているような妙な浮遊感が私の中にはあって、こんなに私の見える世界は変わったのに、日常は今日も変わらずのほほんと流れていることに多少の驚きすら感じるくらいだった。

始まり

そんな中訪れた、9月15日。待ちに待った受験要項の発表の日。待ちきれなくて、授業中何度もチラチラとタブレットと時計を見比べながら待っていた。
見たときにはとびきり素敵なサプライズプレゼントでももらったような気持になって、考えて考えて、うずうずして、純粋に楽しいと感じていた。数学の授業なんかそっちのけで、窓の外をみながら、明日からの自分にエールを送りながら、伝えたいことをふわふわ考えながらスキップでもしそうな勢いで帰宅した。
もう受験が終わるまで納得いくまで私はこの課題と真正面から向き合おう、そう腹を括ってその日は寝た。

次の日。未来の学校フェスに行った。夜に等しい時間から車を走らせてくれた両親には感謝しかない。
やっぱり楽しかった。もう一度、この学校にどうして行きたいのか再確認できた一日だったし、何より久しぶりに会う友達と話せたのは、ハッピーだった。
後々、自分を成長させるのに大事な一日になったなと思う。
神山まるごと高専という場所を目指すようになってから、楽しむという行動一つがいかに本気で挑む事なのか思い知らされた。
ここでの、楽しむはそんな生半可な思いではできない。ていうかしたくない。私は、この正解のない問いとしっかり向き合いたい。こっから、全力で楽しむことを軸に駆け抜けていく。これが始まりの章である。

楽しいを突き詰めすぎた迷走。前半。

最初はただひたすらに楽しいという素直な感情を純粋に噛みしめながら、課題に取り組んでいた。
でも、日がたつにつれて、自分に嘘をついている気がしてならなかった。
今の私は全然楽しんでないじゃん、煮詰まっちゃってんじゃん。
そういう場面がどんどん増えてきて、こんな状態で私は最高のものを完成させられるのだろうかと焦りや不安が大きくなったりしていた。
分かっていても、自分のことを誤魔化しながら進んだりもしてみたけど、全くもってうまくいかなかった。
Twitterやらインスタやらを広げるとたとえ悩んでも、しっかり前に進んでいる友達の文章を見ていると尊敬と共に、自分の情けなさに焦りと落胆を覚えたりした。
全然形にできていない自分に嫌気がさしてどうしようもなかったんだと思う。
日は刻一刻と迫っているのに、白紙のままの紙。
どれを釣っても、ぴったりのものにはそう簡単に出会えなくて、いつの間にか竿を振ることにすら力がわいてこなかったりしていた。
課題を自分が主役のステージとして最大限に面白い、まだ未完成な自分の姿を垣間見える作品に仕上げたかった。
想像力の豊かな私は理想と技術が釣り合わないことがほとんどで今回も例外ではなく自分で突きつけた「理想」という名の難題に四苦八苦していた。それでも、高い理想があったからこそ、どう変換したら今の自分でも作ることができるだろうと考えていくスタイルで今回もやっぱりできることが増えたなと今となっては思う。
とりあえず考えても考えても、しっくりこなかった課題のゴールが少しづつ見えだしたのは出願までの半月よりちょっと前ごろの話。
ただ、これがはたして魅力的なのかこの時の私はまだ知る由もなかった。

自分という壁。後半。

時は流れ、中間も終わり、うきうきの気分で、課題を進めていき、11月1日まで残り二週間程度となったある日。私の師匠が家に来てくれた。
その人は、愛嬌があって、おっちょこちょいで、興味がわいたらすぐに色んな所に首を突っこみに行って、なんでもしちゃう私の憧れの人だ。
その人に、課題を見てもらうと、「良さを生かし切れていない。あなたの良さも、課題の良さも。」的なことを言われた。
私の今まで進めてきたこの時間は、努力は何だったんだ、の勢いで全部振出しに戻った。この時期にこの壁に出会ったことにメンタルは深くえぐられ、辛かったのが正直な所だ。
私は「自分」という大きな壁にぶち当たった。今まで見ないふりをしてきた、最も身近で、大きい壁。師匠の言葉がなければ、私はとんでもない勘違いをした押し付け野郎になっていたかもしれない。
それまで、いいじゃんと肯定派だった母からも、言われてみればそうかもねと急に手のひら返しで、私の課題を指摘し始めた。
昨日良いといわれたことが、今日にはダメと指摘され、逆に、昨日はあんなに言われて直したところも、前の方がよかったと言われ。
人に左右されずに軸を持っていればよい話なのだけれど、母は私の中で一番信頼できる身近な大人だったから、そこそこ。。。いや、だいぶ影響を受けた。
毎日毎日こんなことの繰り返しで、私は楽しめるのか以前に課題を終わらせることができるのだろうか、心も、体も、疲労に蝕まれ、どうしたら良いのかわからなくなって、泣きたくなって、すれ違って、母に正直に今の気持ちを伝えて、結局二人で泣いた。

私が、「くよくよ」という感情をおいてきた日。

もう本当にお先真っ暗な数日だったから、この時期が一番楽しめていなかったかもしれない。
しかし、その一方で私は、本当に恵まれた15歳だ。
課題を並行しつつ学校には通い続けていた私は、休み時間とか隙あらば課題に全て注ぎ込んでいた。まあ、傍から見ればだいぶ煮詰まっていたのだろう。見るに見かねた私の姿に友達が何度も中庭に連れ出してくれて、課題のアイデアを熱心に聞いてくれた。
この数分に私は何度も救われた。ありがとう。
こんなに素直に私のアイデアについて言葉を紡いでくれたことが、めちゃくちゃ嬉しかった。
どんな時も、心があったかくなるような場面を何度も何度も私に与えてくれた周りの人たちによって楽しいワクワクする受験を全うできたなと思う。
そして、幸運が私の基へ舞い込んできた。学級閉鎖になったのだ。
これがなければ、たぶん私の受験の結果は大きく変わっていたのかもしれない。それぐらい、この一週間は私の救世主になってくれた。

実は学級閉鎖の前日にズル休みをした。多分、人生で初めて。妹と母と近所の山に登って、美術館二つハシゴして久しぶりに自分の好きの感覚が戻ってきて、時間がないくせにのんびりと一日を過ごせたことで「ああ、ワクワクって、ときめきってこういうことか」ってなれて結果オーライだったと思う。

自分という壁にぶつかるのが遅かったわたしだけど、ようやくスタート地点にたてた思いで、今度こそと作っていった。
欲しいデータがなくて、手当たり次第友達にラインでアンケートを送った。クラスが離れて全然しゃべってない子にも、年上の人たちにも、藁にも縋る思いで必死にデータをとった。すると、驚いたことに、想像以上の友達がアンケートに答えてくれた。皆めんどくさがらずに答えてくれて、私はなんて幸せな人間なんだろうって感謝の気持ちでいっぱいだった。
小論文も、納得いくまで粘って書ききった。たぶん今まで書いた文章の中でも特に気に入った作品だった。
前みたいない違和感もなく、ようやく私らしい作品に仕上がって行ってると感じた。今振り返ると、多分どの問題も2から3ぐらいは壊れたし、精神的にもつらかった。やっぱり、真正面から向きあって一度は楽しいと思った課題が崩れるのはそこそこの覚悟が必要だったから。
それでも、何とか、走り切った。私のワクワクを全部背負わせた。動
画も、自由表現も、レポートも。等身大の最高傑作が作れた。
11月7日。私は課題を提出し終えた。

伸びしろのある満足。

この感情をかみしめられた、最高の一日だった。

テストどころじゃなかったテスト。

課題に注いでいた時間を、切り替えて、学力テストに向けて勉強を再開した。課題と掛け持ちすればよかったのに、不器用な私は、結局一つ一つ切り替えた方が効率良いだろうという事で、文字通り、付け焼刃のような勉強を始めた。
学力試験まで、後3日だっただろうか。祖父の訃報が届いた。お通夜が、試験の前日、午前中の試験が終わったら、すぐにお葬式。
私には色んな面でハードルの高いスケジュールだった。
お通夜に出席したはいいものの、気持ちに正直になってみると自分の感情が死というものと向き合えてなくて、明日の受験の事ばかり考えている事に気づいた。
自分の不甲斐なさが情けなくて、怖くて、泣きたくなった。
一緒に来ていた母方の祖母を見ながら、時間があれば勉強した。こんな自己中な孫でごめんね、と何度も心の中で祖父に謝った。すでにキャパオーバーの私には一つの気持ちでいっぱいにするしかなかった。帰りの車の中で、声をあげて泣いた。自分がどうして泣いているのかすらわからないまま。
自分がどうしたら良いのかわからなくてぐちゃぐちゃだった。

翌日。迎えた、本番。とりあえず、頑張って解いた。わからない問題も、とりあえず。何とか気合で粘って解ききった。本当に何が何だかよくわからない感情の渦に巻き込まれて消えていきそうだった。
試験が終わり、お葬式に出席した。昨日の分まで祖父にごめんねと、ありがとうと、さようならを伝えて一日は終わった。そして私の一次試験は全て終了した。

一次で合格をもらえた時は本気で嬉しかったし、涙が出そうになった。
神山まるごと高専が私にマッチしていることも再確認できた。

出発

二次の前日、ぎりぎりまで学校で授業受けて、四時間目終了後、足早に電車に乗り込んだ。移動の道中、色んなことが頭の中を駆け巡って、自分の本気のワクワクの気持ちをどう伝えるべきか悩んで、そしてなぜかその時間を楽しんでいた自分もいた。
電車を降り、高速バスに乗り込み。長時間座って、基本座るのが苦手な私はとりあえず耐え抜いた。徳島に近づくにつれ不思議なことに緊張よりも、ワクワクの方が膨らんでいった。
鼓動が早くなり、血の巡りがよくなった。笑
サマースクールについた時と同じで、徳島駅は真っ暗になっていた。違ったのは、むわっとした熱気が鼻の先をつんとつつくような冷気に変わっていた事。あれから、そんなに時間がたっているなんて信じられない気持ちもあったが、またここに来れたことが嬉しくて、ルンルンでホテルに向かった。ちらほらと学生らしき人が駅周りを歩いていた。明日、一緒に試験を受ける子たちだろうか。
そんなことを考えながら、親友にDMし、気持ちの整理をし、しっかり寝ようと思ったのに、案の定全くドキドキとワクワクで寝れないまま当日を迎えた。
当日は朝なのになぜか月が出ていた。

神山の風景

試験が終わった後、駅前のスタバで親友と話した。
やっぱりその時間が何よりも楽しくて、なんにでも私はなれるんだって思わせてくれて、またすぐに意気投合しちゃったりして、最高のひと時で帰りたくないって思った。笑
親友の目はサマースクールであった時よりもキラキラしていた。かっこいい人だなと心から思った。
絶対会おうね!って駅内のスタバで約束して親友と別れた。
そんなこんなで慌てふためきながらまたバスに乗り込み、家路についた。
途中から家族が向かいに来てくれたので車でゆっくり帰った。母のくれた肉まんがあったかくて美味しかった。
その日は、どうなるかわからない未来をただ素直に信じられる。
そんな心持だった。そして、最後までバタバタな私の神山の受験は全て終わった。

新たな章の幕開け

二次合否発表の日。
朝から、緊張でマックスおなかが痛くて授業もろくに耳に入らなかった。家で見るか悩んだけど友達が見たらと後押ししてくれて、恐る恐る確認した。
合格してた。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しかった。息が止まって、周りからおめでとうって言われて、もう何が何だかよくわからないくらいとにかく嬉しかった。うさぎみたいにぴょんぴょん跳ねてひたすら喜んでいた。
神山の受験を決めた日からずっと神様にそれしか頼んでなかったから、それくらい本気で挑んだ挑戦だったから。
今度、神様にありがとうを言いに行こうと思う。喪中が終わったら。
もちろん、おじいちゃんにも。私を支えてくれた家族にも、友達にも、先生にも。師匠にも。皆に。
私の受験は、決して楽なモノじゃなかった。たくさんの人の支えに救われて、励まされて、そして奇跡と偶然の連続で今こうしていられる。
ありがとう。
この言葉で埋め尽くすくらい、色んな人に感謝する受験だった。こんな幸せな受験ができて私は本当に恵まれている。
大好きな家族と、友達と、仲間に囲まれて。きっと一人じゃここまで来ることはできなかった。
今度は、頑張って!ってみんなが歩むと決めた道へと歩む姿に精一杯エールを送って残りの中学生活過ごそうと思う。
苦しい時も、楽しい時も、誰かがそばにいてくれたから。
夢をかなえるための目標を一つ達成した。でも、それはあくまで私の夢をかなえるための次の章への幕開けに過ぎない。
私は、神山の地で五年間、私の叶えたい挑戦をするために、自分の人生の物語をまたここから綴っていこうと思う。
未来が楽しみで仕方がない。
本当に。
これからも、改めてよろしくお願いします。

最後まで、読んで下さりありがとうございました。

また、改めて自己紹介とかしようかな。。。また色々書きます。

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