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#2 目指した場所はあの日のまま


こんばんは🌙


前回の初note、読んでくれましたか??
好評で嬉しかったです‪‪☺︎‬

前回と今夜、2日間に渡って
私のことを知って貰えたらな…と。

今夜は少し深めのお話をします、
ぜひ最後まで読んでくれたら嬉しいです。



私の運命が分かれるのは
よく11月でした。

中学生の時に引っ越したのも、
以前活動していた東京のグループを卒業したのも
タイトル未定のお話を頂いたのも

人生が大きく変わったのは大体この時期で。

だからこの時期になると、
今思っている事を書き留めたくなる。
なんだか忘れちゃいけないものが
沢山詰まってる気がするから。

インスタで月記を始めたのも
去年の11月なんだよね。


昨夜は、私のことを軽く広く自己紹介したので
今夜はまだあまり話したことの無い
"タイトル未定に入った本当の経緯" を
初めて、深く、書いてみようかと。

いつか、未来の自分が読み返した時に
「あーこんな事思ってたな」 なんて
思い出せるようにも書くので、
赤裸々に吐き出してみます。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




2019年9月。

どん底でした。

以前のグループを卒業した後は、
通っていた学校に専念しつつ
入りたい事務所のオーディションを
ひたすらに受けてました。


見つけてはすぐさま応募して、
ひとりで知らない島に行ったり、
諦めきれずに無理やり連絡したり…(笑)


それくらい入りたかった事務所なだけに
面接では泣いてしまうこともあって
何度も何度も落ちました。
伝えきれないまま終わるなんて
今の私じゃ考えられないよね、

それでも何度もチャンスがあった事自体が
本当にラッキーだったと思います。

そんなある日、
何気なしに観たテレビに映ってた子達は
すごく楽しそうに笑ってた。

もしかしたら自分が立てたかもしれない場所で。

悔しかった。なんで自分じゃないのかを
ひたすら考えた。悔しかった。


だけど、

自分より悔しい顔をしてたのは
リビングにいるお母さんだった。

自分が落ちることくらい
もはや慣れっこだったんだけど、
親が悔しそうにしている姿をみたら
心臓がぎゅっとなって、苦しかった

ずっと何年も反対せずに、ひたすら
優しく応援してくれてる両親を
早く笑わせてあげたいのになって。

でも、

私には為す術が無かった。




短大2年の秋、

周りの友達はみんな就職が決まっていって
安心した顔でいつも笑ってた。

それなのに自分はまだ足踏みしてて、
何も掴めずにずっと落ち込んでるだけだった。

このまま保育の道に進んだ方が
周りも喜んでくれるかなって。

保育の道を簡単に見ている訳じゃないけど、
2年間学んできた事をそのまま将来に繋げた方が
自分自身ももう落ち込まなくていいのかなって

なんで夢なんてあるんだろうな、邪魔だなって

小さい頃の自分が少し嫌いになった。




そんな中、ひとつの光が来た。

タイトル未定のお話だった。
光、なんてかっこいい言い方してるけど
本当に光だと思った。


だけど実は、自分に来た光では無くて。


以前一緒に活動していた子が、
タイトル未定のメンバーとして誘われた。

だけどその子は以前から断っていて。


オーディションに落ちまくって
もうどうしようもなかった私をみつけて
「この件どうかな?」って連絡してくれた。

まだ自分が入れるかも分からないし、
プロデューサーには連絡もした事がなかったけど

なんとなく、心臓のバクバクが止まらなかった。


そうして、初めてちゃんとお話したのが
2年前の10月31日。



その日の顔合わせで聞かせて頂いた
ひとつだけ完成していた 「 いつか 」 の仮歌。


歌詞を見た時に、直感でこれだと思った。


プロデューサーからも、
「 是非一緒に 」 という事を伝えて貰えた。



だけど、



全グループを卒業してから約一年。

ずっとずっと入りたくて何度も受けた
憧れの事務所があったのにも関わらず、

突然この道を選んでいいのかなって、
思いとどまった。



周りも1年間ずっと応援してくれていたから、
そんな簡単に方向転換も出来なかった。

私が出した結論は、


その事務所は毎年春頃に
大きなオーディションがあるから、
それを最後に受ける。

もし駄目だったら、
タイトル未定を選びます。という形。



でも。


これでいいのかなって、

もし落ちてからこの道を選んだら、
きっと上手くいかなくなった時に
何かのせいにしてしまうんじゃないかって。

「 私が入りたかったの、ここじゃないしな」

そんな風に思ってしまうと思った。



だから私は、
最後のオーディションを受けないまま
北海道への移住を選びました。


やっぱりなにかに迷った時は、
自分で責任を持てる方にしよう!って
そう決めているから。

何かのせいにして生きていきたくないから。



こうして私は北海道へ移住して来ました。






どんどん変化していく世の中と私達。


アイドル始めたての高校生の頃には
全く想像も付いてない現状。

まさか数年後、生まれ育った埼玉から
遠く離れた北海道に居るなんてね!



そんな中、変わらないのはひとつ。

いつかの自分を救ってあげたい。っていう事。

"夢なんて要らなかった" なんて
本当に本気で思ってたから。

そんな事無かったよって
夢は叶うんだよって、楽しいよって
堂々と胸を張って言ってあげたい。


無数にある野望を山ほど叶えたい。

死ぬ時に 「 やり切った〜!!! 」 って
笑いたいっていうのが人生の目標です。




熱がこもりすぎて
肩に力入りすぎて
ちょっと暑苦しい私だけど…

これからもどうか、

見守ってくれたら嬉しいです。


いつも沢山ありがとう。

これからもよろしくね。
まだまだ全力で歌い続けるよ。


目指した場所はあの日のまま!


2021.11.5 阿部葉菜



#葉月記  





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