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無価値感の正体

そもそも、どうして自分の無価値感に
気づいたのかというと
きっかけは家族である。

父と弟の仲裁に、母に頼まれて行くことになった。
何やってるんだ?何で私が?と思う反面、
役に立っている、とニヤリとする自分もいた。

気持ち悪い、何だこれは、と掘り下げていくと、
どうやら幼い頃、父に怒鳴られていた母を
助けたい、助けねば、だけど何もできない、
そんな自分がいたというところに行き当たった。

何もできなかった自分にがっかりし、
勝手に無価値感を感じたようだった。

それから、母の母代わりのようなことを
続けていたらしい。
典型的なアダルトチルドレン。

母のことは、母自身にしか救えない。

まったくもってその通りである。

勝手に何してたんだろうな、と思いつつ、
悲しくて苦しかった自分を迎えに生きつつ、
また一つ成仏した感情があった。

そしてどうやら、
自分の中には無価値感というものがある、と認識した。

とんでもなく苦しめられているわけではない。と思う。

この子とどう付き合おうか、そんなことを考える。

そして、人と話す中で、
価値がないと思う気持ちの裏には
価値があると思う気持ちもあるな、と感じた。

表裏一体のような。一極二元論のような。
陰があれば陽もある的な。

両方とも自分の中にはあるのか、と思ったら、
一旦、価値がある、という前提に設定しなおして
生きてみようかなと思った。

そうしてみて2日目。
なんともいい感じである。
たまたまかもしれないが
良いお店を見つけたり
好きなことを思い出したり
幸せを感じたり。

もう少し続けてみる。

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