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ヨン・フォッセが奏でる波のリズム

前回のノーベル賞がらみで、2023年のノーベル文学賞を受賞したヨン・フォッセの戯曲『だれか、来る』を読んでみた。

登場人物は海辺の片田舎に世間から逃げてきた意味ありげな男女のカップル、その二人に割り込む若い男、死者たちの気配のみだ。本の表紙がこの作品の雰囲気を如実にあらわしている。

解説からおもしろいと思ったことを抜き出してみる。というのも、フォッセの作品や人物像を知るのに、翻訳者による解説やとても役に立ったからだ。

特殊な言語とリズム

とくに興味が引かれたのは原語だ。フォッセは特殊な言語で執筆しているらしい。ノルウェーには二つの公用語(住民90%が使う”ボクモール”とノルウェー西海岸で使う”ニーノルシュク”)がある。”ニーノルシュク”は、西海岸で古くから使われていた方言と旧ノルウェー語をかけ合わせた「新ノルウェー語」で、19世紀半ばにつくられたという。フォッセはその”ニーノルシュク”を使っている。生まれ故郷は西海岸ハウゲスン。そこで生きる「平凡な市井の人々のあるがままの姿」を描くためだ。

フォッセの文体の特徴は、短縮と反復、リズム。この戯曲も音読してみるとよくわかる。実際、人の会話は短くてリズミカルともいえるかもしれない。
ぼくの周りでよく聞く会話(関西弁版)は、
 ほんまか?
 ほんまよ。
 うそやろ。
 うそちゃうわ。
確かに、短くてリズミカルだ。(やや無理やり)
フォッセは小説でもリズムを重んじている。『七部作』にも繰り返されるセリフがある。解説ではドイツ語訳で説明している。

denke ich und ich denke(直訳だと思う、私はそして私は思う)

『だれか、来る』(河合純枝訳、白水社、2023年12月刊)

このリズム感はドイツ語訳では伝わりやすいが、日本語訳では伝わりにくい。このリズムがないと作品全体の印象が変わる、という。訳者の泣き所だ。

「個の単独性」

この作品には何度も繰り返されるセリフがある。この作品の核になるとして、解説では英語訳を使って説明されている。

Alone together
Alone with each other
Alone in each other

前掲書

解説者曰く、このAloneには「二人きり」「独りぼっち」という二つの意味が含まれている。Alone togetherでは「他の人たちと一緒」という意味で社会のつながりを表し、Alone with each otherではその範囲が「二人に」狭められ、Alone in each otherでは二人の関係の密度が高まる。フォッセは、人は二人でいても、結局のところ孤独なのだ、という‶個の単独性”を伝えたいのだろう。

フォッセが作品で奏でるリズムは生まれ故郷の海でみについた波のリズムだ。フォッセは自分の作品を"song"だと語ってる。同じノーベル文学賞受賞者ボブ・ディランに通ずるところがあると思うのはぼくだけだろうか。

今年9月には、フォッセの小説『三部作(Trilogien)』の邦訳本が出るらしい。いまから待ちきれない。


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