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物語としての料理

※ このnoteは「料理に名前をつけるということ」の続編です


「すべての料理は一つの物語である」
Every dish is a story.

時折口にする言葉です。人間は本来的に物語を求めるのだと思います。身の回りの出来事の連続性を切り分け、点をつなぎ、意味づけをしていくことで、世界を受け入れるための納得感を得ているのかもしれません。こうして物語を与えることによって、昨日と今日を区別できるようになります。

料理と物語の同型性

「始まり」と「終わり」の二つの端点の間を紆余曲折するのが物語ですが、日々の料理も、同じようにして展開(Generate)します。食べたいものを決めたり食材を揃えたりする「始まり」があり、最終的に料理や食卓を楽しむという「終わり」がある。その間、食材との出会いがあったり、思わぬ味付けのインスピレーションがあったりする中で、料理の物語は展開していきます。(この物語を記したものを「レシピ」と呼ぶことがあります。)

もちろん、ほとんどの料理の物語は取るに足らないものでしょう。(帰りが遅くなったから、割引シールの貼ってあった豚肉と台所に転がっていた玉ねぎを一緒に炒めて丼にして食べた。)第一、毎日がドラマチックな物語続きでは、疲れてしまいます。

一方で、これまでの料理経験を振り返った時、たしかに料理中の一コマ一コマが鮮明に記憶に残っている「伝説級」の物語もあります。(大学時代、悪友たちとアメ横の地下街で「豚の鼻」のパック詰めを買ってきてカレーの具材にし、それを「ポークカレー」と称してサークルの仲間たちに食べさせた。)記憶に残る料理とは、それに至るまでのプロセスと表裏一体で存在しています。こうした料理はどれも一期一会であり、同じ味わいはおそらく二度と体験できないでしょう。

日々の料理とは、食べたらなくなってしまう儚い存在です。
しかし、これらの料理は 物語として生き続けます。

物語の反復と突然変異

ところで物語の中には、時代を超えて愛され、何度も繰り返し語られるストーリーがいくつかあります。幾度語り直しても飽きないクラシカルな物語には、どれも特別な名前がタイトルとしてついています。その正体が「シンデレラ」のようなおとぎ話や、「桃太郎」のような昔話です。

ところが、昨日話したシンデレラと今日話したシンデレラは少しバージョンが違うこともあります。魔法をかけられて馬車になるのがリンゴの日もあればピーマンの日もあるかもしれません。桃太郎だって、犬の代打でハムスターを仲間にする日があったっていいでしょう。それは偶然の突然変異かもしれないし、意図したパロディの場合もあります。どちらにしても、「オリジナル」の物語が前提として共有されているからこそ、細かい差異は愉快な新鮮味を私たちにもたらします。

料理名と突然変異

料理も同じです。私たちに安定した味わいと満足感を与えてくれる料理には、特別なタイトルが与えられています。(前回のエッグ・ベネディクトやビーフ・ストロガノフがこれに当たるでしょう。)勝手がわかっている料理には安心感がある上に、おいしさが保証されている。そして何より、メニューに悩まなくてもいいので楽です。

それでも、先程のシンデレラや桃太郎と同じく、使い古された料理名の傘下には多くの多様性が潜んでいます。同じハンバーグでも、つくり手によって、また日によって味や調理法が変わってきます。ある日は紫蘇が入っていたり、また別の日にはチーズをのせて焼いてみたり‥.基本となるハンバーグのアイデアをベースとして、無限のバリアントが日々生み出され続けます。その多様性を、私たちは「ハンバーグ」というタイトルのもと呑み込んでいます。

平凡な物語を祝福する

大冒険の果てにドラゴンを倒して財宝を手に入れたり、波乱万丈の恋模様の末に永遠の愛を誓ったりする物語もいいですが、僕は取るに足らない日常を切り取った随筆文も好きです。それは、料理においても同じです。特別な日の高級料理もいいですが、物語性においては、日常の料理も負けていません。

昨晩のすき焼きパーティのあまりで卵がたくさんあったから、オムライスをつくった(「すき焼きの名残のオムライス」)。たくさん余って困っていた友人から山芋を買ったから、美味しい醤油を用意して朝ごはんのようなランチをみんなで食べた(「農家の朝ごはん風ランチ」)。キズモノのトマトがたくさん手に入ったから全部煮て、シチューとパスタソースにして一週間かけて食べた(「ハネモノトマトのレッドシチュー」)。今日はベジタリアンメニューにしようと思って大根料理をつくったが、最終的に物足りなくなって冷凍庫にあったフライドポテトも揚げてたべた(「ベジタリアンて健康的だと思ってた」)。メニューを考えるのが面倒になって、ココナッツミルクを買って来てグリーンカレーにした(「いつものグリーンカレー」)。

どれもコークッキング社で最近つくって食べたランチです。一つひとつの料理は、どれも取るに足らない物語です。自分自身、この記事を書くために振り返っていなかったら、きっと二度と思い出すことはなかったでしょう。しかし、これらの料理はその連続性の中において、より大きな日常の物語を描いてくれます。

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