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後悔すらしたくないので破棄をする

人に対して、何か言い過ぎた時に、あそこまで言わなくてもよかったかなあと、思う時がある。
でもそれは、相手を傷付けて申し訳なかったという思いよりは、相手からどう思われるかという、自分の評価を気にしてる時があります。
それは、反省じゃなくて、本当は後悔してるだけなんです。           一楽 真

昨日はとんでもない猛暑といろいろ考えさせられ、最終的にはなにがなんだか、未だにまとまらない。

「蟻の兵隊」というドキュメント映画を観てきた。
これについても書きたいのだが、もう一つの問題も頭に浮かびどうもまとまらない。
2006年に上映された映画。
現在、戦後75年「蟻の兵隊」全国ツアーの最中。
現在は東京の「ポレポレ東中野」で上映中。
これ、ぜひ観てもらいたい。
戦争というものがいかに必要がないか。
人間を変えてしまうか。
日本がどれだけ、他国に対して、そして戦地に行った人々に対して無残なことをしてきているかがよく分かる。
日本というのは、過去のではなく、今の日本でありそれを作っている国民はわたしだ。
戦争責任に過去形はない。

そして、周庭(アグネス・チョウ)さんの不当逮捕と保釈。
アウンサン・スーチーさんや大逆事件を想起させられた。
日本人で良かった、とはまったく思えない。
いつでも日本も同じことが起きる。
国は、いつでも国民を使い捨てることが、殺すことが、力で踏み潰すことができる。
「蟻の兵隊」で描かれている戦争の事実や「大逆事件」の真相が、「日本だってやるときゃやるよ、日本はそういうの好きだよ、だって未だに封建制が好きな国民性だし」と語りかけてくる。
周庭さんのこれからは、日本人の、わたしのこれからと完全にリンクしている。

周庭さんおことも、「蟻の兵隊」のことも、まったく思いがまとまらないので、改めて書かせてもらいたい。

権力者がその権力を傍若無人に弱者に対して振るうときは、権力者はただひたすら恐れをなしているのだとは思う。
バレることが怖くて。

彼らには反省はない。
「失敗したなぁ〜。やり方あっちにしとけばよかった。どうしよう。。。誰に責任取らせよう。。。いや、なかったコトにすればいっか。うるさいやつは潰しちゃえ」
そんな感じだ。

後悔はするが反省はない。
間違いだったと認める気もない。

悪いのは常に弱いもの。

今の日本の社会がまさにこんな風潮だ。

国だけではなく、日本がやばいと思えるのは、国民の多くがそうした考えの持ち主であるということだ。

「今日の言葉」を引いた同書には
もし、慙愧の心が失くなったら、
人の皮を被っていても、
それは、人間とは言えません
と載っている。

この言葉によれば、今の日本人の多くは人間と言えないのではないか。
後悔はするけど、反省はしない。
悪いのは常に相手で、謝ることはしない。
なかったことにさえできれば問題ない。
こんな感じだ、社会全体の風潮が。

人間じゃない、と、ここでは言われているが、
わたしは実に人間らしいと思う。
これだけ、関係性だけしか考えず、本質は見ず、人を見ず、森を見ても木を見ない、そんなことができるのは人間だからこそだろう。

ま、どちらにせよ、今一度ひとりひとりが、身近なところから何かしら考え変えていかないと、日本も世界も、人間も破滅するだろう。

人間って、本当に困った生き物だ。

それでも、人間だって捨てたもんじゃない。
そんな風に思わせてくれる人も確実にいる。

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