【教育×小説】本質研究所へようこそ(11)【連載】

■第四章 テレビを見る

ある日、チロウが研究所に行くと、やや照明が落とされている。大きなモニターでテレビ番組を放送していた。見ているのは所長とユキの二人。どうやら過去に録画したテレビ番組らしい。
「やあ、チロウくん」チロウに気づくと所長は声をかけて来た。
「こんにちは」
それはNHKの『100分de名著』という番組だった。取り上げられているのはレヴィ=ストロースの『野生の思考』。なんでも構造主義の第一人者とされ、近代ヨーロッパを批判し、「未開人」とされるような思考の対象も方法にも同じ構造が観察できるとしたとか。ちょうど番組が終わると、少しの解説が始まった。
「レヴィ=ストロースはそれまでのヨーロッパ近代の見方であった、自由な個人が集まって社会をつくり、主体的に歴史を作り進歩しているという世界観を批判した。社会の底には見えない構造が先にあり、個人の考えはその構造によって決定されているという考え方なんだね」
「人間の傲慢さを指摘したってわけね。構造が先にあって、そこに合わせて私たちの価値観とか考え方が形成されている。面白い。民俗学なんて言う学問があるんだ。この人は結局、日本をほめてたの?」
「そう。与えられた条件の中でありあわせの素材を使ってその時で最適なものを作り出すことを「ブリコラージュ(日曜大工)」という。たとえば日本の建築は木材や土が持っている素材の本質を引き出そうとするし、伝統的な日本料理は調味料を混ぜたりしないで素材本来の味を活かそうとする。レヴィ=ストロースは、この「野生の思考」と日本の料理人・職人たちの労働との間に強い親和性を感じ取り、「日本は、近代技術文明と野生の思考の両方を共存させた稀有な国だ」と評価している」
「なんだか嬉しい話だね。この人が日本論を書いてくれたら良かったのに」とユキが感想を述べる。

所長が言うには、高校までの現代文の評論では、西洋と東洋だったり、宗教と科学、文明人と未開人、人間とそれ以外の動物、などのように二項対立で話を展開するが、一方が優れている(他方が劣っている)という結論にはたいていならない。批判するとしたら、自分の主観や周りの空気に流されてしまう態度だ。つねに物事には裏と表の側面があり、それを上から鳥瞰(メタ的に)するような視点を身に着けることこそが本質なのだという。そうすれば現代文の評論も恐れるに足らない。それを養うためにも、この『野生の思考』は重要なんだって言ってた。

こんなふうにこの場所では日替わりで色んな番組が上映されている。こんな番組が見たいとリクエストを出すこともできるし、あるいは時事ニュースに合わせた内容のものを半ば強制的に見せられることもある。この『100分de名著』という番組は所長もお気に入りのようで、そのあと何度もおススメされた。他にもSFから三国志、松本清張、小松左京、手塚治虫、思想から哲学書まで幅広いジャンルを扱っている。各回に招聘されるゲスト(専門家)と、司会の伊集院光のやり取りが良い。



上映が終わるとこちらに向き合って所長が話し出した。
「今日はここまで。おつかれさん」

「俺が子どものころはテレビは当然の如くみんなが見ているものだったが、今はそうでもないのかな」
「あんまり見ないなあ。Youtube見てるほうが多いかも」とユキが答えた。「テレビってずーっと集中してみていなきゃいけなくて、辛いんだよね。スマホも気になっちゃうし。ついついながら見しちゃうな」

「十数年前までは何をおいてもテレビが最強の娯楽だった。俺が子供の頃は、人気のバラエティ番組はクラス全員が見ていて、ドラマが社会現象になることがしょっちゅうだったんだ。テレビがない生活なんてのは考えられなかった。ところがインターネットが普及して、今やスマホを一人一台持っている時代になり、YouTubeやネットストリーミングサービス、ネットフリックスやfuluなどの登場で、テレビを見る時間は少なくなった。今では一人暮らしの大学生だと、テレビを持っていないという人も多いらしいね。俺が子供の頃は、一家に一台だけじゃなく、子供部屋にもテレビがあるというのが最高の贅沢だったんだけど」
「自分の部屋にテレビは必要ないですね。居間にあれば十分です」チロウは答えた。
「そう。たとえばパソコンが一台あればいいという人もいたし、今だとスマホでなんでも見ることができる。ここ10~15年くらいで目まぐるしく世の中が変化しているよ。これも生活スタイルが多様化しているということの現れだ」

「多様化の中でも、ネット回線が強化されて、サブスクリプションが存在感を増してきているという変化が起こりつつある」
「サブスクリプションって?」
「一定期間の利用に対して、代金を支払う仕組みだよ。月額課金とか定額制と言った方が馴染みがあるかな。月額1000円くらいの料金を払うと、登録されている動画が好きなだけ見られるというサービスだ。映画や海外ドラマ、お笑い番組など、各社でラインナップが異なっている」
「ネットフリックスやアマゾンプライムのことね」
「そう。映画やアニメなどの既存のコンテンツだけじゃなく、それぞれのサービスが独自で番組を作ったりしている。たとえばヨシモトがアマゾンプライムと手を組んで、実験的な番組を次々に作ったりしていて、これはアマゾンプライムでしか見られない。これが地上波では到底放送できないような過激な内容だったりして、評判を呼んでいる。他にもabemaTVやGyaoのように完全に無料で、いつでもどこでもスマホ一つで見られるものもある。ネットフリックスは全世界規模で大きな予算をかけてドラマやドキュメント番組を作っている。アメリカ発の、GAFAに続く巨大なIT企業になりつつあるよ」

「とにかくこれまでテレビが誇っていた娯楽としての磐石の地位はゆるぎ始めてきている。国民が空き時間にどんなふうに過ごすかの選択肢があまりにも増えて、競争が激化してきたからだ。夕食時には居間でみんなでテレビを見るというライフスタイルは完全に過去のものになってしまった」



「それで10年くらい前から、テレビの時代は終わるんじゃないか、これからはネットの時代だっていう風潮があったんだけど、やはり未だにテレビの影響力は根強いということがわかってきた。全体的に視聴率は下がってきているとは言え、有名人=テレビに出ている人だし、ネット発の有名人も、結局テレビに呼ばれて出て行ったりする。サッカーや野球のナショナルチーム、箱根駅伝などのスポーツは根強い人気だ。ネットでまとめられる記事はテレビのネタだったりするし、ネットの話題をテレビが取り上げて拡散するのはやっぱりブースターとしての機能がまだあるってことだ」
「たしかに。ユーチューバーも地下アイドルも、人気が出てくるとテレビに出るよね」
「そう。テレビに出ることを売れた証だと捉えたり、知名度や信用にも直結する。それは今の社会のボリュームゾーンが、昔からテレビに親しんでいた世代であり、まだまだ世の中を動かしているのもその世代だからだよ」

「じゃあなんだかんだ言ってやっぱりテレビの影響力は残り続けるの?」ユキが質問した。

「今はぎりぎり維持しているというところだ。もちろん完全になくなることはないだろうが、今ほどの存在感は維持できないだろう。もう数十年すると、つまり世代が入れ替わると、また大きな社会変革が起こると思う。たとえば人気Youtuberの動画やネット番組と、地上波テレビに出ていることが同じくらいの価値になるだとか。テレビ局の持つ力は徐々に縮小していくだろう。世の中が大きく変わるのは、いつの時代も世代交代が起こった時だ。」「物理学者のマックス・プランクはこう言っている。
「新しい科学真実が勝利を収めるのは、反対者を説き伏せて認めさせたときではなく、反対者がようやく死んでくれたときである」」

「ところでテレビってなんで無料で見られるか知ってる?」

「有料で視聴者から直接お金をもらって番組制作しているところもある。NHKがそうだね。これはこれで、テレビを全く見ない人からも徴収してしまったり、未納の問題があったり、その徴収方法だったり、いろいろ問題を抱えているんだけどね。他にネットフリックスやアマゾンプライムは視聴者からの課金で制作していると言える。だけど、一般的に地上波と呼ばれる放送局の番組は、テレビをつないで電気代さえ払えば無料で視聴することができる」

「テレビ番組って、当たり前だけど作るのにものすごくお金がかかるんだ。タレントのギャラ、スタッフの人件費に小道具・大道具の費用、権利関係の利用料。そして何より、テレビ局社員の給与水準はものすごく高いとされている。それだけ莫大なお金をかけて作られているテレビ番組が、無料で見られるっておかしいと思わない?」
タダで見られるのが当たり前だと思っていたが、言われてみたら不思議な話である。テレビは娯楽であるはずなのに、チャンネルさえ入れればいつでも見られるものだ。
「それはスポンサーがお金を払っているからでしょう」とユキ。
「そう。番組の途中で流れるCM。あれを流している企業がお金を払っているんだね。15秒のCMを流すのに数千万とか。時間帯や、番組の視聴率によっても値段はまちまち。もちろんその企業は、CMに起用されるタレントにも多額のギャラを支払っているよ。それで自社のイメージアップと商品の紹介をしてもらうんだ」

「どうして企業がそんな多額のお金を払えるかというと、番組内で紹介されたり、テレビCMが流れると知名度が上がって商品が売れるからだ。じゃあその商品を買っているのは誰かというと、テレビを見ている僕たちなんだよね。つまり巡り巡って、消費者である俺たちがテレビの制作費を払わされているってことさ」
「えっ、ウチらが払っているの!?」ユキは納得がいかないといった様子で答えた。
「もちろん俺たちとしては無理やり買わされていると思う必要はないし、良い商品に巡り会えるかもしれないし、おかげで楽しい番組が見られたり好きな芸能人が見られたりするわけだから、そんなヒネクレた見方はしなくても良いけどね。ただ、人はあるものを見たことがあるとか聞いたことがあるというだけで、好意的に捉えてしまうというところがあって、だからこそCMというのは効果がある。同じような種類の商品で、聞いたこともないメーカーと、CMや広告で見たことがある商品があったら、どうしても知っている方を選んでしまうだろう」
「たしかに、そっちの方がなんか安心という気がする」
「心理学ではそれを単純接触効果という。知っていると安心感につながり、好意にすり替わっていくんだ。たとえば有名人なんていうのは、有名だという事実だけで好意を持たれてしまうということさ。もちろん悪いイメージとともに有名になると逆効果だけどね。それでテレビCMに話を戻すと、宣伝広告費が上乗せされた値段で我々が商品を買っているとすれば、遠回りで俺たちが払っているということになるだろう」
「言われてみればそうね」
「それを極端に言うと洗脳を言うこともできる。僕たちが「洗脳社会」に生きているっていうのはそういうことさ。テレビに限らず、マスメディアというのは大衆を扇動するのにものすごく効果を発揮する。それは歴史的にもそうだ。たとえばドイツで史上最悪の大虐殺に導いたヒトラーは、ラジオを巧みに使って国民感情を煽ったとされている」
「そうか、特に他のメディアや娯楽が少なければ、そういう効果もますます高まるね」

「電波というのは権力そのものだ。テレビというのは強力な洗脳装置になる可能性があるということは押さえておいて欲しい。テレビで言っている内容を丸ごと信じるのは危険だ。ただ現代のようにメディアの種類自体が増えてくると、全国民が一つの思想に極端に走るという危険性は少なくなるだろう。まずこれだけSNSが発達した監視社会では、差別的な発言は許されないし、ヤラセなどはすぐにバレてしまう」
「ヤラセで炎上して打ち切りになること多いよね」
「まあヤラセと演出ってのは紙一重だから難しい側面はあるんだけどね。下品すぎるバラエティ番組はもちろん、生活に密着した情報番組や健康番組なんかはウソの情報を流したら国民に不利益をもたらしてしまう」
「じゃあバラエティじゃなくニュースやドキュメンタリー番組なら安全ってこと?」
「そうとも限らないな。ドキュメンタリー番組はノンフィクションであり、実際の出来事や人間を追いかけているから演出はないと思っているとしたらそれは逆だ。むしろメッセージというのは切り取り方やカメラの写し方でいくらでも印象操作ができるものだからだ。あるいは出演者にやってほしい言動を取るように仕向けたり、撮り直したりしていないという保証もない。むしろドラマのようにフィクションだと分かっているものよりも、ノンフィクションだという体で印象操作をする方が、心の準備をしていないぶんよほど効果がある。自分が洗脳されているということに気付かない洗脳というのが、一番効くんだ。サブリミナル効果というのはその極端な例だろう。本にせよテレビにせよ、この世界に完全なノンフィクションというものはない。そこあたりはドキュメンタリー作家の森達也さんの著書が参考になる」

チロウはテレビというものとどう向き合えばいいか分からなくなってきた。そこで「じゃあ結局テレビは危ないから見ない方が良いということですか?」と聞いた。
「そこが我が本質研究所の方針に関わってくるポイントだ」所長は待ってましたと言わんばかりに答えた。

「十数年前までテレビが娯楽の王様という時代があった。しかし娯楽の種類があまりにも増えて、状況が変わってきた。みんながみんなテレビを見てはいないし、家に帰ったらなんとなくテレビをつけているだけという家庭も多い。それで今はむしろ、受動的な娯楽だとか、時間を無駄にするとか、テレビばかり見ているとバカになるとか、意識の高いビジネス書では「テレビを今すぐ捨てろ」という論調も増えてきた。それは確かに一定の真実は突いている。

「普通にテレビばっかり見てたら怒られるでしょ」とユキ。
「確かに受験生が家で勉強もせずにテレビばっかり見ていたら怒られるだろう。でも今の時代、問題になりがちなのはどちらかというとスマホじゃないか?」
確かにその通りだ。スマホは子供をバカにする、っていうネットニュースや本をよく見るようになった。ニンテンドーDS用ソフト「脳トレ」の監修をした川島隆太教授の著書のタイトルがズバリ『スマホが学力を破壊する』だ。
「たしかにそうだねえ。テレビ見てても、LINEが来るとついついスマホを手に取っちゃうかも」
「よほど自制心がある子でない限り、勉強するときに机にスマホを出していたらまず集中できない。特にSNSでこれだけ友達と繋がっている現代ではな。ある調査では、通知が一つ来るとその瞬間に集中力が切れて、また集中するのに15分かかると言われている。もちろんYouTubeの動画を見たり、ゲームもできるし音楽も聞けるしマンガも読める。恐ろしいほどの誘惑をはらんでいる悪魔のような存在だ」
滝本哲史さんの本では魔法の象徴とされていたスマホも、使い方次第では害悪になる。

「子供だけじゃない。大人だってSNSやソーシャルゲームにハマってバカになっている人だらけだ。もちろん子供は自制心が未熟だから特にその危険性は高い。そういう時代においては、逆にテレビを集中して見るという価値は高まっているんじゃないだろうか」

(次回に続きます)

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