【教育×小説】本質研究所へようこそ(12)【連載】

■全力でテレビを見る

「テレビは本当に受動的で生産性がなく、時間を無駄にするものだろうか?それは番組の内容と、テレビとの向き合い方によるんじゃないか。テレビは面白いし、情報収集ツールとしてもとても優れている。映像でしか伝わらないもの、あるいは同じ情報量でも映像ならば一瞬で理解できるものも当然ながらたくさんある。そこで俺が提案したいのは、全力でテレビを見るってことだ」
全力でテレビを見る?集中して見るということだろうか。

「全力で見るってどういうこと」
「メリハリをつけて真剣に見るってことだ。それは本を読むときの姿勢と一緒で、気を散らして見逃すということをしない。皆も経験あると思うけど、LINEのメッセージを一つでも見ていたら、その瞬間テレビでどんなセリフを言ったか聞き逃すんじゃないか?」
「確かに。完全に意識が持っていかれるもんね」
「スマホの存在はあまりにも俺たちの行動の在り方を変えた。リアルタイムで反応があり、刻々と状況が変化する。意識を細切れに持つということが当たり前になった。ますます変化のスピードが速くなったんだ。それでいま、改めて映画館というものの価値が見直されている」
「どういうこと?」
「映画はヒット作はたいていテレビでも放送したり、あとでDVD化されるから、わざわざ1800円を払って見に行く必要がないかもしれない。それでも未だに根強い人気のメディアであり続けているのは、もちろん映画はスクリーンで見るものという映画好きのこだわりもあるが、2時間集中して目の前のスクリーンに集中せざるを得ないという環境が、改めて価値を持ち始めているというわけだ。」
「ええっ」
「周りの雑音をシャットアウトして映画を楽しむ。マナー的にスマホの電源を切ることになるだろう?刺激に慣れ過ぎてしまった現代人たちには、そういう外部からの制限が、逆に価値になっているんだな。」
「制限が逆に価値になっているって、発想の転換だね」
「それに加えて、昨今の映画館は座席が揺れたり、音や匂いを出したりして体験としての側面が強くなってきている。アトラクションの一種だな。」
「同じような理由で、独房のようなところで一晩中スマホを預かってくれるような宿泊施設もあるし、断食をするための山奥の民宿なんかが、都会の人間に流行っているそうだ。」
そういうものなのか。便利すぎると逆に不自由を求めてしまう。人間とはなんて贅沢な生き物なのだろう。

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