【教育×小説】本質研究所へようこそ(5)【連載】

■第二章 本を読む

二日後の土曜日、午前中の部活が終わって昼食を食べたあと、チロウは再び「本質研究所」を訪れた。

「というわけで、こちらにお世話になりたいと思います」
そう言うと、所長は「おおっ!嬉しいよ、チロウくん」と言って嬉しそうに握手を求めてきた。

「ここは基本的に自由な空間だ。好きなことをやっていい。時間的な制約はないし、いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。唯一のルールは、学校の定期テストをすべて持ってくること。点数を管理して、自分が今どれくらい分かっていているかということを把握するんだ。今は春休みだが、新学期が始まると始業一発目の実力テストか何かがあるんじゃない?」
「はい。来週が、中学一年間の内容の総まとめテストです」
「イイね。それが終わったら、主要五教科について、結果だけじゃなく問題も答案も全て持ってきてくれ。これはすべて記録し、できる限りテスト直しをして、解けなかった問題を無くしていく。大丈夫、必要ならば僕が解説するからな」
「えっ、全教科ですか?わかりました(なーんだ、結構しっかりやるんだなあ・・・)」


「チロウくん、テストってのは直前に詰め込むことも点数に繋がるが、一番頑張るべきポイントはむしろテスト後なんだよ」
「そうなんですか?」
それは意外な発想だった。本番であるテストで少しでもいい点を取るために、直前に詰め込むものだと思っていたからだ。もちろん見直しが大切なのは分かっているんだけど。

「だって自分が理解していなかったところがハッキリと分かったわけだから。そこを重点的に潰していくことのほうが効率的だ。長い目で見たら、直前に詰め込んで良い点数をとることは、自分ができているという勘違いを引き起こす原因になってむしろマイナスだよ。勉強においてつまづくのは、出来ると思っていることが実は出来ていなかったとき、というのは定番だ。それに、一夜漬けで詰め込んだ知識は二、三日後にはすっかり忘れてしまうというのが認知心理学の知見だ。スタンフォード大のリンダハモンド教授によれば、テストのために記憶したことの90%は●週間後には忘れ去られてしまうそうだ」
「ほとんど忘れちゃうんですね」
「そう。だから覚えるというよりは理解する・納得すると言った方が良いかな。それは短期記憶から長期記憶に移行するということだ。テストのために一時的に覚えるのではなく、今後の人生のために、この世界を正しく捉えるために理解する。アウトプットを繰り返す。定期テストはそのチェック機能に過ぎない。だから大切なのは終わったあと!」
そう言われると、不思議とやってやろうという気持ちが湧いてきた。自分の弱点を知るために早くテストを受けたい気持ちにすらなってきた。

「ここで孔子先生のありがたい言葉を紹介しよう。
過ちを改めざる、これ過ちという
間違えた問題を修正しない、これこそが過ちなんだということだ。これほど本質に切り込んだ言葉はない。」
エジソン風に言えば
これは失敗ではない、誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。(上手く行かない方法を見つけただけだ)」

「しかも今回は1年生の総まとめということだから、都合がいい。一からキッチリ埋めていこうじゃないか。なーに、別に難しいことじゃない。テストの直しをその都度きちんとやるということを繰り返していけば、今後の勉強も高校受験もすごく楽になる。その意識作りができれば自然に点数も上がっていくさ。当面の目標は8割、500点満点の400点!」」

「むしろここでやってほしいのはその先だ。勉強以外でも何かやってみたいこと、気になること、興味があることがあったら何でも聞いてくれ。ここは教え合いの場でもあるから、今ハマっていること、学校で流行っていることなど、逆に僕に教えてくれ。君たちからも学びたいと思っている。そして急に僕の思いつきでどこかに出かけることや、勉強会、セミナー、レクリエーションなどいろいろ提案するかもしれないが、それも強制じゃないからその都度自分の判断でやってくれればいい」
「分かりました」

「さて、これがざっくりとした年間スケジュールだ」
所長はそう言って、一枚の紙を渡してきた。

■年間スケジュール(あくまでも暫定です)

■週間スケジュール
●月曜日、ドキュメント番組の日
●火曜日、Youtubeの日
●水曜日、遊び、ゲームの日
●木曜日、イベント日(予備日)(何もなし)
●金曜日、映画の日

■イベントスケジュール
●1月、初詣
●2月、節分、恵方巻、豆まき
●4月、花見
●6月、キャンプ
●7月、夏祭り、プール遊び
●8月、盆踊り、花火大会
●10月、遠足、山登り、紅葉、ハロウィン
●12月、クリスマス会

■検定試験
●漢字検定・数学検定・各種模試(マーク模試、二次対策)、早押しクイズ大会、社会人用SPI、適宜

■ルーティンワーク
小学生:新聞の社説『天声人語』『新聞社説』。音読or読み聞かせ。時事問題・ニュースについて
中学生:『声に出して読みたい日本語』解説、著者・背景など。『小学生なら知っておきたい教養366』(斎藤孝)
高校生:『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 人物編』(文響社)


「じゃあ早速LINEのグループに入れておくよ。IDを教えてくれるかい」
チロウはiPhoneを開いてQRコードを見せた。所長が友達登録され、すぐに招待されたグループは「本質研究所」というものだった。(メンバー数は6?)
「細かい連絡は基本、グループラインだ。ちょっと前はメーリングリストだとか、もっと前だと連絡網なんて言って順番に家の電話にかけていったものだが。今は便利な世の中になったよ」

「さて、この研究所でのざっくりとしたルールは説明した。あとは自由に過ごしてくれ。とはいえ、今から自由にしていいって言われても困るだろうから、最初の提案として読書をしてみてほしい。基本方針の3つ、覚えているか?「本を読む」「体験する」「本質を知る」だ。そのうちの最初の一つだよ」
「読書、ですか。」

「この場所では皆で一緒に映像を見たり、ゲームをしたり、議論をしたり、あるいは皆で出かけることがメインになるから、基本的にはここ以外の場所、まあ特に家でということになるんだけど、積極的にやってほしいのは読書だ。何といっても読書はすべての学習の基本中の基本だからな。知識も付くし、好奇心や集中力を養うのにもこれ以上の学びはない。語彙の獲得にもなる。ある学問に最初に触れるのにも、より深めるのにも、読書をしなければ何も始まらない。ほかにも、他者の人生を追体験できるというところに価値がある。一人の人間が一生で経験できることなんてたかが知れてるから、先人たちの知恵と知見を借りる。どれだけ読書をしているかがその人の深みを決定づけると言っても良いだろう」

「論語で有名な孔子先生に素晴らしい言葉がある。「私は一晩中眠らずに考え続けたことがあった。それはほとんど無駄だった。やはり、書を読んだり、師の話を聞いたりするほうがよい」」

所長はそう言って、本棚のある方を指差した。壁一面の本棚に、本がギッシリ詰まっている。気になるのはやはり「1冊200円」という一際目立つ大きな文字だ。あそこにある本棚から買って読めっていうことなんだとチロウは思った。
「あっちの棚は一冊200円で販売しているということでしょうか?」

■ユキ登場

ちょうどその時、ガラガラっと入り口の戸を開ける音が聞こえ、誰かがバタバタと入ってきた。
制服を着た高校生らしき女の子だ。
「やっほー」
そういって所長の元にやってくる。手には一冊の本を持っていた。
「やあ、ユキちゃん。いらっしゃい」その子はユキと言うらしい。
「所長、オススメのこの本読んだよー。『ぼくたちの洗脳社会』(★)この作者ってオタクなんでしょ」
「ああ、岡田斗司夫先生ね。自らオタキングを名乗っているよ」
「キングなんだ。凄そう」
「元々SFのマニアだったり、アニメ制作会社を立ち上げたりとオタク界の有名人だったんだけど、最近だと「評価経済」という言葉を流行らせたり、月額制サロンの先駆けのようなシステムを作ったりと、重要な人物だよ。そのアイデアの骨子となったのがこの本だ」
「評価経済・・なんか聞いたことがあるなあ」
「簡単に言うと、これまで経済的な指標はお金だったけど、今はTwitterとかインスタグラムのフォロワー数がその人に資産になっているんじゃないかという話。で、どうだった?感想なり要約を聞かせてよ。あるいは読書感想文にする?」
「今話すよ」
そう言いながらユキはカバンからメモ帳のようなものを取り出した。ページを繰って目当てのところを探す。
「洗脳社会だなんてなんだか物騒だなと思ったけど、情報の整理がうまくてすごく理解しやすかったよ。えーっと、今の時代は人類の歴史の中で三回目の大きな社会変革の時代なんだって。それをパラダイムシフトと言う。1回目が農業革命、2回目が産業革命。そして今起こっているのが情報革命」
「そう。トフラーの整理だな。アナログからデジタルへ。インターネットによるIT化で世の中は大きく変わった。これは今となっては当たり前に感じるだろう。パソコンやインターネットなしの生活は考えられない。生活上のあらゆる行動記録を収集して、ビッグデータとしてどう活かしていこうかという時代だ。しかしこの本が書かれたのは1995年だというのが驚きだよな」
「そうなの?古い本だとは思ったけど、本の書かれた時代まで気にしなかったなあ」
「どの時代に書かれた本なのかというのも結構重要だから、これからは気にしてみて。その予測の的確さは驚くべきだ。1995年というのは重要な年だから覚えておくといいよ。ウインドウズ95が出てインターネットが大きく普及したために「インターネット元年」と言われる。それに阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こった。アニメ界で言うと、「新世紀エヴァンゲリオン」が放送されて社会現象になった。とにかく社会にインパクトがある出来事が立て続けに起こった年だ」
「そうなんだ。いっぺんに言われても分かんないよ」ユキは呆れたような声を出した。
「何の話だっけ。そうそう、情報革命。いったん変わってしまうと元に戻れない社会変化のことを「引き返せない楔」と言うんだって紹介していたね。革命は常に「引き返せない楔」を伴う。農業革命の後には狩猟時代には戻りたくても戻れないように。産業革命の後には豊かさを捨てることはできない。そして情報革命が起こる。今だったらネット接続やメール、スマホを手放すなんて考えられないってことさ」
「その感覚もすごく分かったよ。便利さを知ったらもう元に戻れないもんね。最初、私たちは洗脳されているから気を付けようっていうメッセージかと思ったら、一歩踏み込んで、現代はお互いに洗脳しあう「自由洗脳社会」になっていて、その世界でどう生きていくかっていう話だった。マルチメディア、つまり双方向のメディア状況が、マスメディアの特権であった洗脳を一般市民に開放したんだって。グーテンベルグの活版印刷が、聖書を権力者から一般人に開放したというのはよく聞く話だけど、現代にも特権の開放が起こっているんだね」
「技術は、権力者の特権を市民に開放する。そこの原則は変わらないんだね。現代では、他者を洗脳するというのも、人生をより良く生きていくために我々に解放された権利なんだよ。それは誰でもブログを書いたりYouTubeに動画をアップできるということが象徴的だ。もちろん、カルト宗教や詐欺師が無理やり考えを押し付けるようなネガティブなものじゃなくて、ここではファンを作ったり応援されたりする力だな」
「SNS時代にはフォロワーをたくさん作るのが重要ってことだよね。あとさ、近代の学校教育は言われたことを忠実にこなす工場人間を育てるために始まったっていう話、所長もよくするけどこの本にも出てきたよ」
「鋭いね。そうそう、この本からも俺は影響を受けたよ。もちろん俺はそれで学校教育は完全に間違っているって言いたいわけじゃない。そういう視点も持っておくっていうことが大事なんだ。学校教育についての話は、また今度じっくりやろうじゃないか」
「ふうん。じゃ、ご褒美ちょうだい」
「しっかりしてるな。でも良い要約だったよ。よく読めてた。はい200円」
所長はポケットから小銭入れを出してユキに200円を手渡した。
「サンキュー。あとでスタバ行こ」
「贅沢だな。ノマドのビジネスマンか。高校生にはマックかファミレスがお似合いだ」
「うるさいなー。期間限定の○○ラテがあるの。しかも200円じゃ足しにしかならないんだから」

その光景を眺めていたチロウに気づいたように、所長は言った。
「ああ、これがこの研究所のシステムね」
そうか、一冊200円というのは本を売っているんじゃなくて、本を一冊読むと200円もらえるっていう意味だったのだ!そんなのこれまで聞いたことがなかった。200円、そんなに大金じゃないけど、塵も積もれば何とやら。五冊で千円、十冊で二千円。百冊読んだら・・二万円!?チロウは皮算用をした。
「君はいま百冊読んだら二万円とか考えているだろう」
ギクリ。この人は心が読めるのか?とチロウは思った。
「それは実際にそうだよ。ただし、報酬をもらうには条件があるんだ。その本の内容を要約すること。筆者の主張は何だったか。読んで思ったこと、感じたこと、自分の考えがどう変わったか、それとも変わらなかったか、それは何故か、そういうことを話してもらう。もちろん口頭で構わない。今みたいに俺と会話を何往復かしてくれれば良い。あるいは読書感想文を提出するっていうのもOKだよ。これは作文や小論文の練習にもなる。もちろん要約や感想が甘かったり、浅いものだったら却下だ。百冊読んだら大したものだよ。ハハハハハ」
読書感想文。小学生の時から、夏休みの課題でいつも最後まで苦戦させられたアレだ。小学校時代はいつも夏休み最後の夜に泣きながら書いていたのを覚えている。あんなものはできれば書きたくない、とチロウは思った。それに比べたら感想を話すというのなら何とかできそうだ。でもこの女子高生のさっきの要約は、すごい。ノートにメモしているってのもあるのだろう。大人同士の会話っていう感じがした。自分にはあんなキャッチボールができるだろうか?(産業革命・・ってなんだっけ?革命って?あとでこっそり調べておこう。)さすが高校生は違うと思わされた。きっと賢い人なんだろう。

(次回に続きます)


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