【教育×小説】本質研究所へようこそ(9)【連載】

■最初は国語

「さて、そこであえて科目に優先順位をつけるならば、言葉の扱いを覚えるという意味でやはり一番は「国語」ということになるだろう。全ては言葉から始まる。まずやるべきことは、語彙を鍛えて、自分の世界を広げる。それと同時に、読解問題の解き方や記述の仕方を訓練することによって国語の成績が上がると、今度はそれに伴って他の教科も上がる。言葉が自由に操れる状況になってから数学、理科、社会に入るべきだと俺は思う。英語だってそうだ。日本語の言葉を知らない日本人が、母国語でもない英語で概念を理解しようとしても、できるわけがないよな。どんな言語を勉強するにも、まずは母国語を十分に操って思考を深められる状態であるのが理想だ。そうでない限り、表面だけの薄っぺらい学習になってしまう」

「数学をするにも英語をするにもまずは国語が大事ってことかあ」
「そうそう。算数や数学をやっていても、問題文の意味がわからないという子は多い。俺は前に中学受験に挑戦したいという小学生に、算数の特殊算を教えていたことがあるが、あれはほとんど読解力が問われているのであって、計算力以前の問題なんだ。まず言葉で書かれている定義を覚えないと何も始まらない。もちろんその後には計算力と、頭の中で状況を動かして整理する抽象的な力も必要になってくるわけだけど。どんな計算式を立てればよいかというところまでたどり着けないことが多い。これはもう数学(算数)をやっているとは言えない。」
チロウもたまにクラスメイトに数学の問題を教えることがあるが、言われてみれば定義から説明しないといけないという場面によく遭遇する。「言葉の伝わらなさ」というようなものを感じる。

「元お茶ノ水女子大の教授で、数学者でもある藤原正彦先生は『祖国とは国語』(★)という著書の中でこう言っている。「一に国語、二に国語、三四がなくて、五に算数」。小学生においてはそれくらい国語が大事ってことだ。

「へえ。数学者なのに国語を大事にするって面白いね」ユキは感心しているようだ。

「十分に語彙を身につけたところで、次の段階が読解力を高めることだ。いま、文章が読めない中高生が増えていることが問題になっている。さまざまな調査の結果、多くの子どもたちが一般的な教科書の文章を驚くほど読めていないというんだな。これは数学者でAI研究者でもある新井紀子さんの本『AIvs教科書が読めない子どもたち』(★)を読んで欲しいが、そういう人間が大人になって急に読解力が付くとも思えないから、読解力のない人間はこの世の中に相当いると思っていい。読解力がないと、当然人からの指示も伝わらないし、人に何かを伝えることも難しい。他者に伝えるメッセージを構築する力が弱く、文章も書けない。言葉が十分に使いこなせないから、自分の考えを深めたり、問いを立てたり、試行錯誤する力も弱いということになるだろう。

特にこれからは、これまで人間がやっていた仕事がAIに置き換わる時代だ。よくあるのが「人間の仕事がAIに奪われる」という言い方だが、これは経済的な観点から言っても避けられない現実だよ。だけど、これは捉え方次第で、ネガティブに考える必要はない。もちろんその瞬間にはどこかで血は流れるかもしれないが、イノベーションとは往々にしてそういうものだ。自動改札が当たり前になって、改札に駅員を立たせる必要はなくなった。グーグルカレンダーはクラウド上でスケジュールを管理したり、組織の中で共有してどこからでも更新できるという、アナログ時代には考えられない画期的なサービスで、秘書二人分の働きをしてくれると言われている。これで世界中から何人の秘書が失業したかわからない。
そして今、あらゆる小売店のレジを無人にしようという開発が進められている。商品を棚に並べる人員は今後も必要だと思うが、レジに人が立っている必要がなくなる未来がもうすぐそこまで迫っている。amazonの倉庫では、すでに商品のピッキングをロボットが行っている」

「もしこの先、車の自動運転が実現したら、あらゆる運転手という職業は不要になってしまう。その瞬間、失業して困る人が出てこざるを得ない。だけど長い目で見たら、これまで人間がやらなければならなかった仕事をやらなくても済むようになるということなのだから、その分を余暇や本当にやりたいこと、別のクリエイティブな活動に充てることができる。それは嬉しいことじゃないか。

そうなったときに、その状況をただ無策で眺めているだけの人と、来るべき時代にどんなことができるようになるかという向上心がある人では、これからますます格差が広がっていくことになる。」

「そうか。AIに仕事が奪われるというのは、ネガティブに考える必要はないのね」
「そう。記憶容量や計算速度で言ったら人間はコンピューターに勝ち目はない。特にディープラーニングと言う手法が出てきてからは、コンピューター自身が計算を深め続けて、囲碁や将棋と言った限定的なゲームではほぼ人間が勝てないところまで来ている。じゃあどれだけAIが普及しても人間が変わらず優位性を保てるところはどこかと考えると、それは「文章を読むこと」だ。」
「ええっ。」それは意外な答えだった。たしかアメリカで、AIがクイズのチャンピオンにも勝ったという話を聞いたことがある。
「でも検索すれば何でも調べられる時代だし、自動翻訳とかも発達していて、AIは文章を読んでいるんじゃないですか?」
「ネットの検索というのは実は記号的な処理をしているだけで、文章を読んでいるわけではない。文章を読むというのは単純なようでいて非常に複雑な頭の使い方をしている。先ほどの『AIvs~』の本であげられている例だが、siriの音声入力で「おいしいイタリアンのお店」と聞くと、GPSの情報をもとに近くで食べログなんかに掲載されている何店舗かを表示するだろう。しかし「おいしいイタリアン以外のお店」と聞いても全く同じ検索結果を出すんだそうだ。それは「以外の」という言葉の意味が分かっていないからだ。「まずいイタリアンのお店」と聞いても同様だろう。」

「文章読解とは、行間を読んだり、助詞の複雑な使い分けだったり、言葉通りの意味じゃない皮肉だったり、文学的な比喩表現を読み取らなくちゃいけない。それでなくても言葉自体が時代とともに変化していくなかで、適切に文章の意味を読み取るというのは、実はAIにはできないことなんだよ。ここでは少なくとも向こう数十年、マンパワーに分がある(笑)。だから特にこれからの時代には文章読解力こそが大切になるのに、リーディングスキルテスト(RST)というもので今多くの中高生が教科書の文章を半分も正しく読み取れていないという実態が浮き彫りになった。そのことに警鐘を鳴らすのが新井紀子氏だ。だからこそ、幼少期のうちから絵本に親しんで、言葉を覚え、本を読み慣れておくのはものすごく強い。昔から大事な能力ではあったが、AIで多くの仕事が置き換え可能になった現在において、相対的にその重要性が増しているのだ」

■読書好きだけに与えられる、人生の大きな特典

「さて、ここまでさんざん本を読むことの大切さを説明してきた。そのメリットは知識を身につけるとか、語彙を獲得できるとか、他にも集中力が身に付くとか、多方面にあるんだが、最後にとっておきのお話をしよう」
所長は少し間を取った。これから大事なことを言うぞというときのテクニックなのらしい。

「本当の読書好きになったら、人生の過ごし方においてものすごい大きな特典があるよ。それはなんだと思う」
「特典・・学力が上がるとか、言葉を覚えられるとか以外に・・」
「なんだろう」
「答えは・・これからの人生で一切の退屈というものから解放されるんだ。なぜならこの世界には、人生全てをかけても読みきれないくらいのたくさんの本があるからだ」
「なるほど、そうくるかっ」ユキは感心したように言った。
「でもそれは同時に、欠落感を抱えてしまうことにもなる。世の中にある本の数は膨大だし、日々新しいものが出版されている。世界に対してどれだけ興味を持っても、すべての本は読むことはできないんだという事実を受け入れなければならない。このアンビバレント、葛藤こそが人生に深みを与えるんだな」
「うーん、人生はうまくいかないね」

退屈から解放されるってすごいことだなあとチロウは思った。読書が好きになるか、ならないかが、この先の人生(死ぬまでに何年あるんだろう?)全てに影響を与えるってことか。所長の話はあちらこちらに展開する。そしてどれも新しい視点を与えてくれる。いろんなことに興味を持つということが実感としてなんとなく分かってきた気がする。辞書を開けばどんな言葉でも調べられる。
チロウは何か、自分のこれからの人生を大きく決定づける瞬間に立ち会っているような気がしていた。

「さて、では改めてあの本棚の説明をしよう。基本的にこの研究所においてある本は図書館のように自由に借りていってくれて構わない。映画やドキュメンタリーのDVDもある。特に貸し出し期限も設けていないが、そこは空気を読んでくれよな。そして一番右の本棚には俺が厳選した、この世界の本質をとらえるために特に必読だと思われる重要本が並んでいる。この本棚にあるものに関しては、1冊読むごとに200円の報酬をあげよう。ただし先ほども言ったように、読んだ内容についてのフィードバックをしてもらうぞ」

「漫画ももちろんある。ただし漫画に関しては200円の報酬はナシ。『ドラゴンボール』『スラムダンク』『ジョジョの奇妙な冒険』この辺は日本が世界に誇る漫画文化の基礎教養だからな。ぜひ読んでみてくれ。『キングダム』『進撃の巨人』『鬼滅の刃』は現代のヒットコンテンツだ。
ジャンプの二大巨頭『ワンピース』、『ハンター×ハンター』も押さえておくといい。ちなみに俺は『ハンター×ハンター』派だ」

う~ん、名前は聞いたことあるけど、古い漫画が多いな。『ハンター×ハンター』は知っている。今も連載中だけどたしか作者がすぐ休載するっていう。漫画なのに文字量が多くて、なんだか難しいイメージ。『ジョジョの奇妙な冒険』は絵のクセがすごい。

「人間の心理や極限状態について描写させたら右に出る者はいない福本伸行先生も俺のお気に入りだ。『アカギ』『カイジ』『銀と金』『最強伝説 黒沢』。漫画の神様こと手塚治虫先生も一通り揃っているぞ。やっぱり『ブラックジャック』がオススメかな。『火の鳥』もテーマは難しいがぜひ読んでほしい」

「実用的な漫画と言ったら三田紀房先生は鉄板だ。受験生なら『ドラゴン桜』で勉強方法のヒントを得る。高校生~大学生なら『インベスターZ』で経済や投資のことを、社会人なら『エンゼルバンク』で自分に付加価値をどう付けるかを考える。どれも現代に生きていて向上心がある人間なら読まなきゃいけないというくらいに重要だ。現在は『ドラゴン桜2』が絶賛連載中」

所長の好みが反映されているとはいえ、多くの有名タイトルがあるようだった。これはちょっとしたマンガ喫茶だと思った。
「せっかくだからチロウくん、何冊か借りていけよ」
「はい。ぜひ」
さて、いざ読書をしようと思っても、何から読めばいいのかわからないなあ。
「何から読むのがオススメですか」

「最初はとりあえず伝記ものを読んだらいいんじゃないかな。たとえば伊能忠敬は五十歳から江戸に出て学問の世界に入り、日本地図を作るという偉業を成し遂げた人だ。人生五十年と言われていた江戸時代にだよ。始めるのに遅すぎることなんてないんだと勇気が湧いてくる。杉原千畝は命のビザを発行して多くのユダヤ人の命を救った、日本が誇る外交官だ。どんな時代にあっても、人として何が本当に大切なことなのかを決断できるというのは、自分の芯をしっかり持っていなきゃできないことだ。他にも、日本を変えるために私塾を立ち上げ、明治初期の日本のリーダーを多く輩出させた吉田松陰なんかはオススメだけどな」

「歴史を勉強するにしても、誰か一人好きな人物がいると、それをハブにして時代の流れや出来事の前後関係を把握しやすくなる。まあ今回は伝記モノの入門本とも言える素晴らしい本をおすすめしよう」

そうして渡されたのが、『ミライの授業』★(瀧本哲史)という本だった。さらにもう一つ、先ほどの先生の話にも出てきた『AIvs教科書が読めない子どもたち』★(新井紀子)という本をぜひ読んで欲しいということで渡された。いずれも重要本の棚にラインナップされているものだった。

チロウは家に帰ると、早速借りてきた本を読んでみることにした。『ミライの授業』は冒頭にこんなことが書いてあった。

僕たちが学校で学んでいるものの正体、それは「魔法」なのだと。数十年前の子どもたちがどんな生活をしていたか。好きなアイドルの情報を得て、好きな音楽を聴いて、ラジオを聴いて、漫画を読んで小説を読んで、辞書を引きながら勉強をして、テレビゲームやボードゲームで遊んでいた。それらが部屋に並んでいたことだろう。それが今は、スマホ1台でできる!それどころか、インターネットもメールも電話も、カメラで写真を撮ることもできる。
チロウは中学入学と同時にスマートフォンを買ってもらった。これでできることが格段に増えているということを感じる。

―――【引用】―――
「みなさんが学校でなにを学んでいるか、なぜ学校に通っているか、なんとなくわかってきましたか?
いま、みなさんがあたりまえに暮らしている21世紀は「魔法の国」だということ。
そしてみなさんは、学校という場所で「魔法の基礎」を学んでいるということ。
そんな大発見や大発明も、すべては学校で学ぶ知識をベースに成し遂げられてきました。国語、数学、理科、社会、そして英語。これらはすべて、みなさんがあたらしい未来をつくっていくための「魔法の基礎」なのです。
勉強の目的は、いい高校や大学に合格することでも、いい会社に就職することでもありません。もっと大きな、もっと輝かしい未来をつくるために、勉強しているのです。

「学問の目標は、地位や名声を得ることでも、いばることでも、誰かを言い負かすことでもない。ほんとうの目標は、人類の未来を変えるような、発明と発見にあるのだ」
―――【引用】―――


実際に大きな発明や発見をして、世の中を多く変えた人物とその功績を紹介していく本で、今の世の中では当たり前に考えられていることを最初に作った人がたくさん登場した。この長い人類の歴史のなかで、たった100年前と比べても大きく違うんだということ、僕たちが生きる現代は、その大きな変化の只中にいるんだということを思い知った。ならばこの先、少なくとも僕が生きているうちにも、想像もつかないような大きな変化が起こり続けるのかもしれないと思った。

(次回に続きます)

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