【教育×小説】本質研究所へようこそ(4)【連載】

■「ちょっとした強制力」

「どうしても一人では学習が進められない、課題を与えられないと始められない、という精神力の弱い人間には、強制力が必要だ。ただし、ちょっとしたものでいい。無理やりやらせたらそれは逆効果だから。ところでチロウくん、パズルやクイズ形式の問題を出されたりすると、燃えることってない?」
「あります。クイズは割と好きです」
チロウは『プレゼンバラエティQさま』や『東大王』といったようなクイズ番組を見るのが好きだ。YouTubeでいうと『QuizKnock』がお気に入り。聞いたこともないような難問に瞬時に答える芸能人やクイズ王はカッコイイと思う。そして同じ舞台に立っているつもりになって考え、そんな芸能人たちよりも速く答えられたときは快感だ。
「そのノリで、「この小テストをやってみよう」とか「10分以内でやろう」「こんな問題もあるよ」というふうに提案していく。それぞれのレベルに合ったちょっとした課題を出す。これを解いてやろうという気持ちを起こさせることこそが、教育者がやるべきことだ。たとえば毎日コツコツ、小テスト形式で勉強するとかね。それは会話の中だって成立する。クイズやゲームみたいな感覚で楽しめばいい」
なるほど。その都度小テストで確認するというのは理にかなっていると思う。

「記憶の定着にはインプットよりもアウトプットを重視したほうが効率がいいという研究結果がある。課題の達成率を調査したある研究では、一定の時間をかけて課題に取り組んだ時、100%をインプットに費やしたグループよりも、40%をインプットに、60%をアウトプットに費やしたグループの方が定着率が高かったそうだ。ここでいうアウトプットは、こまめに確認テストをするっていうことだな。自分なりに「覚えた」っていう段階ではまだ不十分で、時間を空けてそれを「再現する」というところまで行かないと記憶に定着しない。勉強が苦手な子や意識が低い子は、覚えたつもりになっているだけで、それをチェックしていないということが往々にしてある。ここはある程度のサポートが有効だろう」

「幅広い知識や教養を身につけるためには、学齢期(義務教育期)に断続的にインプットをするということも極めて重要だ。例えば江戸末期や明治期に寺子屋に通っていたようなのちのエリートは、論語や漢文を訳も分からず素読させられていたそうだ。それで徹底的に言葉が鍛えられ、身体にしみ込んだその内容が、五年後・十年後、あるいは大人になってから、ふとしたきっかけで意味を体感していくことになる。これが人間に深みを与える。実感よりも言葉を先にインプットするということは、言語を習得していく上では至極まっとうなプロセスだ。よってここでは、研究所に来たら毎日の日課として、小学生には新聞の社説の音読(もしくは読みあわせ)、中学生は『声に出して読みたい日本語(斎藤孝)』シリーズ、『小学生なら知っておきたい教養366(斉藤孝)』。高校生は『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』(文響社)という本を読み進めるようにしてもらっている。小学生が新聞の社説を毎日読むことは、語彙が増えるし時事問題にも触れ、僕と意見交換もするからコミュニケーション力も鍛えられる。一石三鳥だ。」


■「進捗管理とフィードバック」

「そして自分がどんな点数を取ってきたかの変遷を記録し、フィードバックする。これも自己管理能力が必要で、また手間もかかる作業だから、それをサポートする。
「これだけのテキストを終わらせた」「定期テストの点数がこんなに上がった」「これだけの本を読んだ、映画を見た」というようなことを一目見てわかるように記録しておく」

「記録ですか」たしかに、なかなか自分ではマメさがないと続かないかもしれない。しかし記録を付けておくことが、あとで見返せるという以上に意味があるものなのだろうか。
「そう。何気ないことに思えるが、これをするかしないかが大違い。そうすることによって自分の成長を確認することができるし、モチベーションの維持にもつながるだろう。例えばこの本質研究所では、学校の定期テストの結果を記録し、分析していくというのもその一環だ。回を重ねるごとに上がっていくか、下がっているのか、一目瞭然だ。
学習塾に通っていても一向に成績が上がらない生徒は多いが、そのほとんどが自分の定期テストの点数も把握していない。直前の点数すら忘れている。ちなみにこれは親にも言えることで、酷い点数を取っている子の親ほど子供の点数を把握していない。関心がないからだ。逆に優秀な生徒ほど細かい点数まで覚えていたりする。そしてケアレスミスによる失点をひどく悔しがる。学習に対する前向きな態度というのはそういうところに如実に表れるものなんだよ。テストが嫌いな生徒からすれば、嫌な記憶は早く消し去りたいという自己防衛だから、分からなくもないがな。でもそれじゃあいつまで経っても勉強ができるようにならないのは自明だ。

かつて岡田斗司夫という人が「レコーディングダイエット」というものを提唱していた。それは、ただひたすら運動の記録や食べたもの、体重の変動を記録するというものだ。たったそれだけ?と思うかもしれないが、自分の変化に自覚的になると、日々の行動が変わるからだ。これで実際に●年で●キロやせたそうだ。当然、学習にも応用が利く。」


「本質研究所では定期テストの成績だけでなく、読んだ小説を記録していく「日本文学マラソン」、観た映画を記録していく「シネフィルノート」なんていうのも用意している。実際に行動を起こすには、環境の整備からだ。これを自分でやるのはなかなか大変だから、ここにわが本質研究所の意味がある。ここでは「進捗管理とフィードバック」を徹底的に提供していく。その効果にハマったら、きっと記録魔になってしまうだろう。
(参考:『メモの魔力』前田裕二)

■「大人の視線」

「そして最後に「大人の視線」だ。それらを演出するのはやっぱり大人でなくちゃいけない。自分自身はもちろん、友達同士や先輩後輩でやるのもハードルが高いだろう。もちろんその役割は親でも構わないんだが、世の中の多くの親は共働きで、いろんな仕事をしている社会人だから難しい。技術も必要だ。そこで効率や多様性を考えたときに、何人かが集まれる学習空間があり、よいファシリテーターとしての大人が一人いるという空間が最適だと思ったんだ。ここにこそ、学習塾の教育者がやるべき価値があると俺は思う」


「塾は必ずしも、先生が教壇に立って、生徒全員が同じ話を聞いているというだけのものではない。かつては十人程度の生徒の前で先生が授業をするような小規模な集団塾が多かった。さっきも言ったように、ここ15年くらいは先生と生徒が1:1あるいは1:2程度で見ることによって、その子のレベルに合った指導をウリにしている個別指導塾という形態が増えている。でもこれも授業を増やせば増やすほど費用がかさんでいくというデメリットがある。そこで急速に伸びている第三の形態が自立型学習塾というものだ。居場所型の学習塾ということもある。

この研究室はあえて言うならその三つ目の形態に近い。もちろん勉強を自分ひとりで黙々と進められるならそもそも塾に通う必要はないのだが、特に十分に自我が発達していないとなかなか自発的に勉強に取り組めない時もある。しかしそこに大人がいるというだけで、学習の効果があるんだ」

大人がいるだけで・・どういうことだろう。

「中室牧子さんの『「学力」の経済学』(★)という本ではこんな研究を紹介している。小学校低学年の子供を持つ親が、家庭での学習にどのように関わっているのかを「勉強したか確認している」「勉強を横について見ている」「勉強する時間を決めて守らせている」「勉強するように言っている」の4つの項目で調べたところ、一番逆効果だったのが「勉強するように言う」だったそうだ」

「ええっ。ふつうは親が勉強しなさいっていうものじゃないでしょうか」これは予想に反している。
「そう思うだろう。実際そういう親は多い。だけど皮肉なことに、勉強が苦手な子供はそれを言われれば言われるほどやりたくなくなってしまうんだな。この本の中で、中室さんは「子供に対して勉強しなさいと言うのはエネルギーの無駄遣いなので、やめた方が良い」と言っている。

では効果があったのは何かというと「勉強したか確認している」「勉強を横について見ている」だそうだ。ストレートに勉強しなさいと言ってはダメで、時間を決めることも重要じゃない。ポイントは親が「興味を持って見ている、関心を寄せている」ということだ。これは一言言って終わりじゃないから、手間暇がかかる。共働きが基本の現代では、なかなか難しいように思うかもしれないが、ここで一つ朗報がある。見ている人は必ずしも親ではなく、他人の親、あるいは近所のおじさんみたいな人でも全く効果は変わらないのだそうだ。
もう何が言いたいか分かるよね」

所長がにやりと笑っている。

「この本では、2000年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大のヘックマン教授のインタビューから、こんな言葉を紹介している。
「親自身が働いていたりして思うように時間を割けなければ、できる限りの時間を割きながらも、部分的に何らかの『助っ人』を頼んで、時間不足を補えばいいのです。かえって親の力量では与えられないような刺激を与えることにもなり、それは本人にも、社会にも良いことでしょう。」(日経ビジネスオンライン、2014年11月17日)

「ただし」

「もちろんここでいう大人は、人間でなくちゃいけない」
「えっ」チロウは一瞬、どういうことかを考えた。「人間じゃないとしたら、ロボットとかですか?」
「変な話に聞こえるかもしれないが、今は人工知能がどんどん進化していて、あと十年もしたら今ある仕事の半分はAIに取って代わられると言われている。ペットも人工知能(ロボット)になる時代だ。そうするといずれは大人の恰好をしたロボットでも良いんじゃないかと言われそうだけど・・・、断じて違う!俺はここだけはAIに代替できないと信じている!」
急に先生の語気が上がった。「それが権力というものだからだ。ロボットには心がない」


「まあとにかくこれが学習塾に絶対に必要な要素「ちょっとした強制力」「進捗管理とフィードバック」「大人の視線」という言葉の意味だよ。

だいぶ話が長くなってしまったが、もう一度この場所でやることの「3.本質を知る」を見てくれ。
3・新しいものに触れるたびに、その歴史や背景を同時に学ぶ。物事の捉え方、人間の感情の動き方、評価のされ方について考える。同時に、これまでに得た言葉・知識・感覚・概念と結びつけていくこと。正しく感想を持つ。
ただしこれは自分ひとりでは難しくて、身近に大人のファシリテーターが必要なのと、さらに同じ体験をする仲間がいることが望ましい。

つまり、所長である僕がこの場所にいるということこそが、重要なんだ!」

■公文式の先進性

「実はそれに近いものをすでに実現している、とても有名な学習塾がある。それが公文式だ」

そういうと所長は本棚から一冊の本を取ってきた。それは『なぜ東大生の3分の1は公文式なのか』(★おおたとしまさ)という本だった。

「このタイトルにあるように、公文式は東大生の三人に一人が通っているというくらい世間に浸透しているものだ。プリントを使ったスモールステップで自主的に学習を進められるような制度設計や、良心的な定額料金など、とても優れている。他にも、先取り学習の推奨や、計算問題に特化して幾何や文章題を一切扱わないなど、特色も打ち出している。やる気がある子はどんどん先に進められるというのが良い。この学習方法が本質的である証拠に、今や国を超えてアジアだけでなく、南北アメリカ、ヨーロッパの国々でも公文式メソッドが展開されている」
公文式なら知っている。小学校時代に友達が何人か通っていた。
チロウの家の近くにも確か教室があったのだが、算数が得意だったチロウは全く通う必要のないものとしてスルーしていた。そんなふうに世界的に広がりつつあるすごい学習塾だとは知らなかった。

「プリントによる学習と、一人の大人。シンプルにして効率の良いこの方法こそが世界中に受け入れられているということは、もっと世間に知られるべきだよな。これは見事に「ちょっとした強制力」「進捗管理とフィードバック」「大人の視線」という三つを体現している。最初は数学だけで始まった公文式も、今は国語や英語の教材も開発している。どんどん進化しているってわけだ。ちなみに公文式に関する書籍も多く、またアンチ公文式とも言うべき一派が多いのも面白いところだ」

「だいたい学習というのは押しつけるものじゃないんだ。やる気のある子はどんどん先に進めばいいし、そこに楽しさを見いだせない子はまだ学習をする心構えができてないのであり、別のアプローチが必要になる。それぞれの得手不得手というものもある。各々が自分にしっくりくるものと向き合っていけばいい。勉強が苦手でモチベーションがないんだったら別にやらなくてもいいんだよ。実際に公文式も、入ってみたは良いけど肌に合わなくてすぐに辞めたという例も多い。立体の体積が求められなくても、英語の慣用表現を知らなくても死にはしない。大学には行けないかもしれないけどな。スポーツに興味があったり、美容やファッションが好きだったり、絵を描くのが好きだったり、ロボットやプログラミングに興味があるのなら、そちらを突き詰めるべきだ」

「さて、その公文式の良いところを参考にしつつ、もっと幅広いジャンルに目を向け、人生そのものへの向き合い方の本質に迫るところを、みんなで一緒に学んでいこうというのがこの本質研究所なんだよ!そして、ここに通う子供たちは生徒であることはもちろん、ときに先生にもなる」
「どういうことですか?」
「学びは必ずしも全ての場面で一方から他方に施されるものではないからだ。所長である俺自身も、日々自己鍛錬を続けているし、子供たちから学びたいと思っている。その場合、君たちは先生にもなるっていうことだ。また、ここにはいろんな大人たちも出入りする。この世界の本質を追求したいという気持ちに年齢は関係ない。大人も子供も平等に、一丸となって全員で学んでいくんだ」

「大事なのは「貪欲に知を求めることに価値を認めているコミュニティ」が存在していることだ。そうすると、そこに集った人間に「学びへの没頭」が生まれる。本質研究所はそういう場所だ」

「ここに人が集まれる場所があり、この世界の森羅万象を学びたいと思っている俺がいる。同じように学びたいと思ってくれる人がいれば、中学生だろうが高校生だろうが、大人だろうが俺はうれしい。決まった時間数の授業を展開するわけでもないし、何の決まり事もない。そしてもし仮に、この場所の家賃だとか土地代(と俺の生活費)をまかなうだけのお金があれば、ここに通う生徒から高額のお金を徴収する必要がそもそもないじゃないか」

この場所は授業がないし、お金もかからない。そういう意味だろうか。

「ただし、最低限の費用は払ってもらう。それは月額一万円だ」

「君たちのお小遣いからしたら結構な金額かも知れない。だけど一般的な学習塾と比べたら屁みたいなものだ。中学生が個別指導塾に週1回通ったら、授業料とシステム維持費・運営費などもろもろの雑費を入れたら一万五千~二万円というところだろう。週二回なら三万円だな。本格的な中学受験に取り組む場合は年間100万円なんて言われている。

しかしこの場所は24時間365日通い放題、質問し放題。自習室や図書館、あっちにある遊戯室の使用も自由。これはもう破格。学習塾業界の価格破壊と言っても良いだろう!」
なんだか理想を熱く語っていた所長が、急に饒舌なセールスマンになったようにチロウは思った。だけどその変わり身の早さが可笑しかったのと同時に、チロウは所長に対して不思議なカリスマと信念を感じた気がした。

その日は結局一時間くらい喋っただろうか。「もし興味があるならぜひ、研究所の仲間になってくれ」と言われてその場をあとにした。話している中で、所長が明るくて親しみやすそうな人柄なこと、教育に対してアツイ思いを持っているということが分かった。また、チロウ自身を大きく導いてくれそうな予感があった。そして何より、堅苦しくない、自由な雰囲気がいいなと思った。そういえば、あそこに通っている生徒がいるんだったらいろいろ話を聞いてみたかったな、と今さらになって思った。一体どんな生徒が通っているのだろう。

うちに帰ると早速母親に「本質研究所」のことを話してみた。
「今日、漱石の研究のために雑司が谷霊園に行ったんだけどさ、その近くに変な塾を見つけて話を聞いてきたんだよ」
すると母親は不思議そうな顔をして「へえ。どんなの?」と聞いてきた。
「本質研究所って言うんだけど」
「本質?なにそれ、本質って」
「人生において大切なことだって」
「なんかざっくりしてるね」
「うん。だけどそこの先生がなんか面白い人なんだ。一応こんなパンフレットをもらってきたよ」

それは三つ折りの小さなパンフレットだった。所長の妙に気取ったポーズの写真と、本質研究所のロゴ、そして三つの基本方針が簡単に記されていた。

「ちょっと興味あるんだけど。ここ通ってみても良い?」
「いくらかかるのよ。タダじゃないでしょう」
「月額一万円だって」
「それだけ?入会金とか、教材買わされたりするんじゃないの。夏期講習だなんだで料金上乗せされたり」
「それが明朗会計、一年中通い放題で定額料金、追加でかかることはありませんだって」
「へえ。まあ今まで塾に通ったこともないし、普通に塾通ってると月に五万とか十万とかなんて話は聞くしね。それぐらいだったらまあ。あんたが行きたいなら良いんじゃない」
「本当に?」
これがチロウ家のノリだ。母親は子供がやりたいということは特に反対せずにやらせてくれる。小学校時代には、友達が通っているいう理由でスイミングスクールに行きたいと言ったときにも通わせてくれた。そういう意味では恵まれていると言えるだろう。そして、中学校で教員をやっている父親は良くも悪くも何も干渉してこない。あるいは子供の教育に興味がないだけなのかもしれない。その後、仕事から帰ってきた父親にそのことを話したら「ふーん。そうか」と返事をするだけだった。

そんな風にして、チロウは「本質研究所」に正式に通うことになった。

(次回に続きます)

ながらくチロウショウジとして同人誌を発行してきました。これからはnoteでも積極的に発信していきます!よろしくお願いします。良かったらサポートしてください。