【教育×小説】本質研究所へようこそ(7)【連載】

「話が逸れてしまったから元に戻そう。語彙を増やすために読書をしようという話だったな。読書だけじゃないぞ。本や雑誌、新聞記事を大量に読むのと同時に、ニュース番組を聞き逃さないようにじっくり聞いたり、その都度大人にきちんと解説してもらっていれば、自然と語彙が鍛えられていく。

語彙が豊富な人、あるいは言葉を獲得しようと努力している人と、語彙が貧しくてその獲得も諦めてしまっている人が、共存しているとどうなるか。話が噛み合わなくなる。だって見ている世界が違うわけだから。使っている言語が違っているようなものだから、コミュニケーションが取れない。そうすると同じくらいのレベルの人と固まって過ごすようになる。これが世界の分断の始まりだ」

「非行に走って高校すら退学になってしまった中卒と、真面目に勉強して社会問題についても常に考えている大卒の社会人。日雇い労働者と大企業勤めの社会人、年収一千万プレイヤー、あるいは会社の経営者。まるで別の世界に生きている。この世界の認識から日々の関心、使用言語に至るまでまるで違う。このような状態を世界が分断されているという。人はどうしても価値観が合う人とつるんでしまうものだ。ツーと言ったらカーと返ってくる関係性を心地よいものと感じる。そしてその差は取り返しがつかないくらいに広がっていく。もし、人の頭の中に浮かんでいる感情の量やイメージの量を測定できるスカウター(fromドラゴンボール)みたいなものがあったら、そこには信じられないくらいの差があるだろう。そしてそれは確実に語彙量と相関するはずだ。

「もちろん全ての人と分かり合う必要なんてないし、不可能だ。だけど少なくとも、そういう現実があるということは知っておくべきだ。自分はどちらの人間になりたいか。ただ確実に言えるのは、言葉を知らない人は、言葉を知っている人よりも苦しい立場に立たされるということだ。それも、知らず知らずのうちに。きちんと勉強している人は実力を認められやすく、いい会社に就職できたり、給料が高くなったり、自分で会社を興したりする。一生懸命勉強して、より自分を高めていく意欲も持てるかもしれない。でもそういうものを諦めた人は、その日一日が生きられればいいと考える。努力することが成長に結びつくと思えなければ、楽な道に流されてしまう。高校や大学を出たらとりあえず就職面接をして、雇ってもらえたところで言われた通りの仕事をこなす。努力するモチベーションもないから収入は低いままだ。休みなく働いているのに貯金ができない人のことをワーキングプアと言う。

それはルールを作る側と、決められたルールの中で生きていく側、ということもできる。生産者と消費者。ちょっと古い言葉で言えば、資本家と労働者階級(プロレタリアート)だ。そういう構造が分かっているならまだ良い。しかし問題なのは、この世の中にルールをつくる側がいるということすら知らないことがあるということだ。一番格差が広がる瞬間は、ルールの説明もないまま、その勝負が始まっているときだ。サッカーやバスケのルールを知らない小学生が、試合中のフィールドに放り出されるようなものだよ。これは冗談みたいな話だが、この社会では本当にこういうことが起こっている。当然、ルールを知らされていない側が勝てるわけはない。この現実社会には、ソーシャルゲームのように親切なチュートリアルは存在しない。そのことすら知らされないままに勝負は決しているんだよ。

持って生まれたものが違うのだとか、家が貧乏だとかを言い訳にすることがあるけど、そんなことはない。社会に出て活躍するには学歴すらおまけでしかない。この世界の構造を早いうちから知ろうとしたか、思考停止してしまっていたかが決定的だ。なぜ仕事ができて高収入で有名な人に、高学歴な人が多いのか。語彙を鍛えてこの世界のことを知ろうとしたかどうかが、学歴として現れる傾向があるというだけだ。受験戦争の勝者であるということは、戦略的にどう取り組んだら効率がいいかとか、どこに力を入れてどこは手抜きができるかということを、広い視野をもって考えたという公算が高い。このようなモノの見方をメタ認知とかメタ視点という。言われたことだから嫌々暗記する、というのでは到底太刀打ちできない。戦いが始まる時点で勝敗が決している感じだ。


文明社会は、時代が進むにつれて進化してきた。今は成熟社会だから経済的にも停滞しているように見える。少子高齢化が進んで暗い未来ばかりが喧伝されている。例えばつい30年前くらいまで世界中で栄華を極めた日本企業も、アメリカやアジアの国々に追い抜かされてしまった。だけど長い目で見れば、技術的にも学問的にも進化してきているのは間違いない。

産業革命以降、かつてはやっぱりヨーロッパが先を行っていて、とにかくヨーロッパに追いつくことに必死だったんだ。江戸時代には蘭学と言ってオランダから医学のことを学んだりしてきたし、フランスからは思想哲学を、ドイツのワイマール憲法は20世紀民主主義憲法の先駆けと言われている。これらを参考にして国づくりをしてきた。そんなふうに日本は外国から新たな概念を持ち込んだりしているんだよ。ところが当時、それらの概念に相当する日本語がなかった。そこでどうしたかというと、夏目漱石や福沢諭吉、西周など、明治初期に活躍した文化人が新たな言葉を作ったんだ。

例えば「経済」「哲学」「宗教」「思想」「社会主義」「共産主義」とかいう抽象的な概念を表す言葉。これらは元々中国から取り入れた漢字の中にもない熟語で、先人たちが日本に根付かせた新しい言葉なんだよ」

「私たちが普通に使っている言葉じゃん。意外に歴史が浅いんだね」ユキが感心したように言った。
社会の授業で聞いたことはあるけど、いまいち意味はよくわからない、難しい言葉ばっかりだ、とチロウは思った。

「その通り。日本で日本人によって作られた言葉だから和製漢語と言ったりするよ。先ほど挙げた人名は、これから日本の文明を開花させていこうという時代に、外国からいろいろ学んで日本に紹介していた人たちだ。当然、彼らにとって外国語の勉強なんか空気を吸うように当たり前にやっていただろう。とんでもないエリートだよ」
「じゃあ順番でいえば、英語圏に先にそういう言葉があって、後で日本語を当てはめたわけ?」
「そういうこと。もちろん日本の方が歴史が古いものだってあるけどね。古代ギリシャやローマ、中国が発祥のものもある。そんな風に歴史的な背景も含めて理解するっていうのもメタ認知の一つだね」

「だから僕たちはいち早く文明開化を果たした欧米諸国、また日本の先人たちに敬意を払いつつ、そういう言葉を概念と一緒に、正確にかつ積極的にインストールしていくべきじゃないか。この世界を認識するための武器の準備をしてくれているんだ。それをまず勉強しないという手はないだろう」

「そのために手っ取り早く最適な方法というのが読書なんだよ。ただし、視線を走らせるだけではダメで、語彙を増やすための読書というのは少し骨の折れる作業だ。知らない単語が出てきたら近くの大人に教えてもらうか、辞書で調べるしかない。最初は大変かもしれないけど、これが大きな力になる。電子辞書かスマホの辞書機能が便利だ。この「分からない単語があったら調べる」という態度を今ここで作っておくことが、決定的に重要なんだ。それは生きる力に直結する」
「生きる力?」
「冗談抜きで生死に直結するといっても良い。大学の先生がよく警鐘を鳴らしているのが、大学生が文章を驚くほど読めていないと言うんだ。知らない言葉の意味を調べるという作業を放棄してしまった人は、いつしかその文字を飛ばして読むようになる。分からないものが視界にあるのは不快だから、無意識のうちにシャットアウトしてしまうんだ。人間の適応能力というのは驚くべきものだよ。それが不快なものであれば、目の前にあっても認知できなくなる。自己防衛の一種だな。当然それでは意味が通じないか、あるいは重大な情報が欠如した状態になるから、読んでいるつもりでも全然読めていないということになる。その悪い習慣がついてしまったら、文章の意味が取れなくても気にならなくなり、助詞や助動詞の作用もどうでも良くなってくる。「係り受け」と言うんだけど、どっちがどっちに繋がっているとか、修飾しているとか、主語・述語の関係とか、判断できなくなる。国語だけでなく、数学や理科の文章題が解けないというのは、多くは文章が読めていないことに起因する。英語だったら単語の意味を判断した上で、日本語とは構造の違う文章を捉えなければならないから、そのレベルが一段増す。文章読解力の弱い生徒は、英文の日本語訳もうまく構築できない。それはもはや英語力以前の問題だ」

「英語ができない、といっても様々な段階があるのね。それはそうと、文章が読めないとどうして生き死にに関わるっていうの?」

「僕たちが文化的な生活を送るには、どうしたって文章を読まなければいけない場面が出てくる。それでたとえば法律に関する文章や公的な文書、生活に関わるあらゆる契約書、こういうものが読めなかったらどうなるか。」
「あ・・」
「生きる力に直結するってのはそういうことだよ。この社会では、文書を読んで約束を了承し、サインを書く、ということ無しに生きていくことはできない。適切に文章が読めなければ、社会人に必要な契約一つ満足にできなくなる。税金を払う、家賃を払う、就職をする、給料をもらう、商売をする。しかるべき時にしかるべき場所で契約をする。自分にどんな権利が認められているかを知る。困ったときには法律と弁護士に助けてもらう。生きる上で必要なあらゆる手続きができない人間は、生きていくのに苦労するだろう。」

「現にそういう人はこの社会に多く存在している。生きるために生活保護を受けるという人もいるが、そのハードルが高かったりする。生活保護は、日本国憲法で「健康で文化的な生活」を送るために保障されている立派な権利だ。それなのに、本来なら生活保護をもらうべき人がもらえていなかったり、貧困状態にあるシングルマザーだったり、食べるものがなくて万引きを繰り返してしまったりという人は、社会との接点が持てなくなってしまっている人が多い。軽犯罪をしてつかまって、刑務所にいた方が生活が安定するという逆転現象まで起こる。役所に行って書類を提出するということすら、彼らにとっては困難だからだ。そこまで行くと精神疾患も絡んでくるから難しいんだがな。例えば『累犯障害者(山本譲司)』『最貧困女子(鈴木大介)』なんていうルポを読むと、その実態がわかる。
その最初のつまづきが、目の前の文書が読めないということだということでもある。」



「もっと卑近な例もある。よくスマホを見ているとネットバナー広告で、定価が5000円くらいするサプリが「初回のみ100円」という風に書いてあったりする。お試しのサービス価格だというわけだが、よくよく注意事項を見ると小さな文字で「最低4か月の購入が必要、2か月目以降は7000円です」と書いてあったりする。つまり全然安くないんだ」
「ひどい。ほとんど詐欺じゃん」
「月ごとに値段を変えているだけでウソはついていない。それでも大きく数字だけ書かれるとついつい飛びついてしまう人は多いだろう。金を儲けるためにはどんな手段でも使うという抜け目ないやつがこの世界には多い。スマホやWi-Fiを2年契約した時のキャッシュバックも酷いもんだ。「契約から1年後に指定のメールアドレスに申請すること」と書いてあったりする。それが分からなくなったり、忘れてしまったり。これはあわよくば払わないで済ませて得をしたいという悪徳業者の考え方だ」
「通信会社でスマホを契約すると強制的に入らされる有料アプリもそんな感じだよね」
「そうそう。そうやってこちらが気を付けないと払わされてしまう無駄な出費のことをフーリッシュペナルティ(愚者の罰金)という。こういったトラップを回避するだけの知性と読解力を身につけなければいけない」


ユキが「あ、そういえば最近新しく実施された模試の国語で」と言い始めた。「架空の契約書を読んで「どんなトラブルが想定されるか」「どんな文面であるべきか」というものを答えさせる問題があったよ」
「そうそう。これからの受験生はあんな問題を解かないといけないんだ~って気の毒になったよ」そう言って所長は笑った。
「ひどいなあ」ユキは憂鬱そうな顔をした。「あれ、見るだけで読む気なくすんだよね」
「生きる力をつけるためさ」

■漢字の割合が多い教科

「ところで、中学校の五教科のうちで、教科書の文章中に出てくる漢字の割合が多い科目ってなんだか知ってる?」
所長がそう問いかけると、ユキが「それは普通に国語じゃないの?漢字の問題だってあるし。英語や数学ってことはないでしょう」と言った。
「僕も国語だと思います」チロウは率直に答えた。
「残念。実は教科書の文章において、漢字(熟語)の率が高いのは理科社会なんだ」
「ええっ」

「考えてみてくれ。理科や社会に出てくる単語って、やたらと長ったらしい名詞ばっかりだと思わないか。というか覚えるべき言葉は基本的に漢字で構成されている熟語だ。
理科だと「飽和水蒸気量」「等速直線運動」「初期微動継続時間」「示相化石」に「示準化石」、「恒星」と「惑星」と「衛星」、「被子植物」と「裸子植物」、「双子葉類」と「単子葉類」。「質量」に「密度」に「湿度」に「電流」に「電圧」に「抵抗」。
社会だと「墾田永年私財法」「武家諸法度」「日米修好通商条約」「排他的経済水域」「本初子午線」と「標準時子午線」、「地中海性気候」に「温暖湿潤気候」、「促成栽培」に「抑制栽培」に「施設園芸農業」」
「確かに、言われてみたらそうかも。並べられると頭がパンクしそう」
これは目からウロコな指摘だった。確かに所長が言う通り、理科社会は漢字ばっかりだ!
「このような用語を説明しようとすると、割合として熟語の量が多くなる。つまりは漢字だ。自然、教科書の説明文は漢字の割合が多くなる。これらは中学校のうちに当然知っておかなければならない言葉なんだけど、理科や社会が苦手な子は、これらの覚えるべき熟語をまるで暗号かのように捉えていて、頑張って暗記するものだと思っているんだ」
「一生懸命ノートに書いて覚えたなあ。私は今でも世界史で苦労してるよ」とユキは愚痴をこぼす。
言葉を覚えるという行為に、漢字を覚えるというハードルが乗っかっているのだ。それはあまり考えたことのない視点だった。

「そりゃあ、わけの分からない漢字の並びを暗記しろと言われたら誰だって嫌になるし、そもそもその行為に意味なんかない。一日で忘れるのがオチだ。でも理科社会で出てくるこれらの言葉は当然のことながら、わけのわからない言葉なんかじゃない。れっきとした意味のある、熟語の組み合わせなんだ。つまりその言葉を元々知っていれば圧倒的に理解が早いし、そのぶん覚えやすくなる。たとえば「飽和」というのは「最大限まで満たされた状態であること」を指すが、その言葉を知っていれば「飽和水蒸気量」という言葉を初めて聞いたとしても、その意味が推測できるはずだ」
「そうか。ある空間内に存在できる水蒸気の限界量だものね」
「そうだね。これが「飽和」という言葉を知らなかったら、まず「ホウワ」が何を言っているかが分からない。漢字など到底イメージできない。ここで漢字も含めて頭に入れようとすると脳に労力がかかる。このちょっとしたコストの違いが決定的なんだ。その後に、水蒸気が満たされるってどういうことか――ここで容積の増減する器のようなものをイメージする――という抽象的な理解に入っていく、ということが求められる。それなのに「ホウワ」ってなに?知らない~もういいやって、最初の段階で脱落してしまう。この最初のステップが決定的で、一事が万事これの積み重ねなんだよ」

「言葉がスッとイメージできる生徒はどんどん新しい内容を獲得していく。もっと言えば漢字から意味が推測できる。「墾田永年私財法(743年)」なら「田んぼを開墾した分には、永久的に私財として認められるということだ」と納得できる。意味と結び付けられると、飛躍的に物事は覚えやすくなる。語彙量とは、新たな事柄をキャッチして包み込んで取り込んでいくための、張り巡らされたクモの糸のようなものだ。そのための土壌をまずは構築しなければいけない。

「これは暗記するというのとも違うんだな。」
「どういうこと」
「もともと知っている語彙の中から引き出してくるという感じだから。世の中にはうまいことテスト対策をして、まあ一夜漬けなどをして暗記して、定期テストでそこそこ良い点数を取る生徒もいる。だけどそういう見せかけだけのメッキは必ず剥がれる。それはたとえば実力テストや模試、あるいは受験本番という場面でな。そこには「暗記」はあっても「納得」はないからだ。一時的に身につけた知識はすぐに忘れる。結局、範囲が限定されている試験にしか対応できないんだよ」

「耳が痛いなあ。たしかに定期テストで良い点をとっても、実力テスト(模試)で取れない人っているよね」
「残酷だけど、本当の力が露呈する場面だよな。結局何にも身についてないじゃんというやつ。意外にそういう生徒は多くいると思うよ。もちろん逆もいるにはいるが、数はそんなに多くない。定期テストはそこそこで、実力テストだと不思議と良い偏差値を取る生徒。それは知識を体系的に溜め込んでいくスキルはあるけど、単に普段の定期テストの準備をしていないだけだろう。特定の分野にだけものすごい集中力を発揮する研究者タイプかもしれないから、大化けする可能性はある。だけどそれだってある程度の水準はクリアしているはずだ。定期テストがボロボロで、実力テストは平均以上ということはまずないだろう。定期テストなんてある意味では簡単なものだから。

「要するに、何かが「分かる」ということにもグラデーションがあるということだ。問題に「答えることができる」のと、完全に「分かる」のとは同じようでいて全く違う。自分は今完全に理解したなとか、答えはわかるけどどうしても納得できないなとか。もちろん習ったときに納得するのが一番の理想だが、最初は完全に納得できなくても良いんだ。さらに奥深い領域があるんだろうということを自覚するだけでいい。何年か経った後にようやく分かるということもある。その場で完全に理解しなきゃいけないということはない。」

「その場で完全に理解しなくても良いのね。」
「それが先ほど「出会うことがまずは重要」といった意味だよ。ただし、このモヤモヤした状態は不安定で居心地が悪いものだ。それを受け入れるだけの精神力がいる。
思想家の内田樹先生は、「読解力というのは目の前にある文章に一意的な解釈を下すことを自制する、解釈を手控えて、一時的に「宙吊りにできる」能力のことではないか」と言っている。」

(次回に続きます)

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