【教育×小説】本質研究所へようこそ(15)【連載】

■第六章 身体を動かす

六月のある土曜日。翌日の日曜日に登山のイベントが企画されていた。行き先は高尾山。東京から登山に行くといえば定番の場所だ。こんな機会でもなければなかなか行くこともないだろうと思って、チロウは参加を表明していた。

登山を翌日に控えたこの日の夜、本質研究所では各々自分の好きなことをして過ごしていたんだけど、所長に部屋に集まるように言われた。

「さて、全員揃ったかな。といっても行くのはチロウくんとサラちゃんとマオちゃんだ」
ユキもその場にいたけど、今回は参加しないようだ。東京児童合唱団の高校部に所属しており、明日は大きなイベントがあるらしい。

「わが本質研究所の学徒たるもの、どこに行くにも見識を深めて欲しいと思うわけだが、よりその学びを充実させるためには事前の準備が重要になる。たとえば、修学旅行なんかで京都・奈良にいくときには必ず東大寺の大仏だとか、金閣寺だとか二条城だとか、それらがどういう歴史があってどういう場所かということを、旅行前に調べたりするだろう」
調べ学習、などという名前がついているアレだ。「確かに、やりました。でも実際に見る前だと、なかなかイメージできないんですよね」とチロウは答えた。
「そう。これが難しいところでね。実際に見て初めて興味を持つというのが普通だからな。でもやっぱり社会の歴史の授業がある程度頭に入っていないと、何がなんだか分からないって側面もある。サラちゃんも小学生の時に京都・奈良に行って、調べ学習をした?」
「うーん、行ったけど・・したかな?全部同じ班の人に任せちゃったから覚えてない。あ、大仏の鼻の穴には入ったよ」
「・・・鼻の穴と同じ大きさの柱のことだね。いかにもサラちゃんらしいな(笑)。そこを通るとどんないいことがあるの?」
「知らない」
「君は村上春樹か?」
「・・・」所長の問いは虚空に消えていった。

「健康になったり、縁起がいいとかですか?」チロウはそれらしい考えを口にしてみた。
ユキが「無病息災だとか、願いが叶う、頭がよくなる、なんて言われているよ」と教えてくれる。
サラは「そうなんだ~じゃあサラも賢くなったんだ」と感心したように言う。サラはいつもこんな感じだ。

「観光旅行でも家族旅行でも、特に有名な場所に訪れる場合はぜひ、事前にその場所について調べておくことをオススメする。そうするとより興味が持てて、記憶にも残りやすい。今回は高尾山。大して遠出というわけでもないんだけど、東京では有名な場所だし、せっかくだから高尾山について調べようじゃないか。皆、自分のスマホを出して。研究所のiPadでも良いしパソコンを使ってもいいけどね。今から10分間。各自で調べたことをまとめて教えてくれ」

チロウはかつて一度だけ高尾山に行ったことがある。たしか地域の子供会の遠足だったかな。だけど小さい頃だったし、連れて行かれたという記憶があるだけで、ほとんど高尾山に関する知識はなかった。近場にある山というくらい。
チロウは早速、googleの検索窓に「高尾山」と打ち込んだ。

「さあ、皆、どうやって調べたかな」
「Wikipedia!」とマオが嬉しそうに答える。
「僕は登山観光ガイドみたいなサイトを見てました」とチロウ。
「今は何を調べるにも最初にヒットするのはWikipediaだ。概要をサッと調べる分にはこれがとても便利。他にも観光ガイドや、市区町村のサイト、登山者の体験ブログなんかも参考になるかもしれないな」

「最寄駅は?」
「中央線の端っこにある」
「JRの中央快速線のことだな。確かに高尾行きという電車があるよな」
「最寄駅は京王線高尾山口だよ。新宿から1時間くらい。」

高尾山は新宿から京王線で約一時間というアクセスの良さや、よく整備されている登山道、ケーブルカーなどがあり、首都圏に住んでいれば気軽に山登りを味わえる定番スポットだ。年間の登山者数は260万人を超え、登山者数は世界一なんだって!世界一は意外と身近にあるものだなと思った。東京都八王子市にあり、標高は599m。

「うん。だいたいの情報はつかめたようだな」


その日の夜に、LINEグループで明日の持ち物一覧が送られてきた。
「カバンはリュックで。底が厚く歩きやすい靴、汗を拭くタオル、帽子、あとは水筒にお茶かスポーツドリンクを持参すること推奨(ペットボトルでも可)。シャツは綿100%のものだと汗が乾きにくいから、速乾性のある生地のもので」

日曜日。空は青く澄み渡り、行楽には最適の天気だった。
一行は当日朝、JR目白駅前で集合した。参加メンバーは、所長、チロウ、マオ、サラの四人だ。
山手線に乗り、新宿へ。京王高尾線に乗り換え、高尾山口駅を目指す。



京王線の電車に乗り込むと「マオちゃんはここに座ってくれ」と言って進行方向が見える窓側にマオを座らせ、所長はその隣に陣取った。ボックス席の向かい側にチロウとサラは並んで座った。「君たち、後ろ向きだけど堪忍な」

電車は新宿から一路、東を目指す。
新宿を出てしばらくは、都会の真ん中を走る。すぐ近くを高速道路が走っている。
チロウたちが乗っている快速の電車が、となりを走る各駅の電車を追い越していく。
「マオちゃん」所長がマオの肩を叩いて窓の方に注意を向ける。
「ほら、隣の電車を見て。同じ方向を走っている電車を追い越すとき、ゆっくり進んでいるように見えない?」
「あ、本当だ!」
「なんでだろうね」
「向こうも動いているから?」
「そう。同じ方向に動いている車両から見ると、お互いはゆっくり走っているように見える。もし同じ時速で走っていたら速さゼロ、つまり相手の車両は止まって見える。こういう問題、算数の旅人算の問題で見たことあるだろ」
「ある!速さを引いたり足したりするやつでしょ」
「それそれ。今その状況じゃない?」
「あっ、そういうことかあ。ゆっくり動いているように見えるね。乗っている人の顔までよく見えるよ」マオは算数の文章問題で出てくる状況を、実際に目の当たりにしていた。これこそが、知識が現実と強固に結びつく瞬間なのだ。
「速さに関連する計算として他に流水算や通過算なんていうのもあるけど。中学受験や適性検査では定番の問題だから、イメージをつかむためにもよーく見ておいてね」

また所長の講義が始まったなと思って、チロウはふと隣のサラに小さな声で話しかけた。
「また講義が始まったよ」
「ホントに、どこでもすぐ始める人だよね」とサラ。
所長は指で向こうの方を指で示したり身振りを交えながら、マオに熱心に話しかけている。とにかく教えたいことが無限にあるのだ。本質研究所では、このようなレクリエーションもすべて学びの場となる。

「でも面白いよね」サラが言葉を続けた。
「えっ」チロウは少し驚いた。
「なんか大人なのにはしゃいでいるっていうか、楽しそう」
「なんでも知っているし、すごいよね。勉強になるよ」
「そうそう。所長の話は難しくてよく分かんないときがあるけど、一生懸命なんだなってのは伝わってくる。それにあんまり無理強いはしてこないし、聞いたらいろいろ教えてくれるし。まあ聞いてないことも勝手に説明してくるんだけどね」
「教育に対してすごく熱心なんだよ」
サラが他者をそんなふうに評することがあるんだということや、軽快なイジリを入れるのが意外だった。加えて、前みたいに一言返事をされるだけかと思っていたのだが、普通に会話ができたことにも驚いた。初めて研究所で会って以来、相変わらずサラは学校には来たり来なかったりで、ほとんど誰とも会話をしていなかったし、研究所でもゲームをしていることが多くて話す機会がなかった。だけどサラは所長が言う通り、打ち解けるまでに少し時間がかかるだけなのかも知れない。

「じゃあ逆方向を走っている電車とすれ違う時はどうなる?」
「速さを足し算する!」とマオが答える。
「正解。こちらが時速100キロ、向こうも100キロだったら、合わせて200キロ」
ちょうどその時、すぐ隣を豪音と共に向かいを走る車両とすれ違った。普通の電車だと思って油断していたけど、想像以上に速くて驚いた。お互いは時速100キロで走っているのだけど、動いている電車の中から相手の電車を見ると、まるで時速200キロで走っているように見える。めったに体験できない速さ。よくよく考えると不思議な現象だ。まるで新幹線が隣を通過していったみたいだ。お互いが新幹線だったら、どうなっていたのだろう。

「ビックリしたあ」マオが目を見開いて驚いていた。話をなんとなく聞いていたチロウも実際に驚くくらいの音とスピード感だった。
「普通の急行列車でも、すれ違う時はだいぶ速く感じるね。しかし良いタイミングだった。今驚いたのはすごく大事だよ」
「どうして」
「ちょうどこういう話をしていたから驚けたんだよ。これがもし、普通に話していたり、ぼーっとしていたり、寝ていたりしたら気づかなかったかもしれない。何か大きい音がしたなあとは思うかもしれないけど、それで終わり。だけど、その理由がわかると納得できるし、体験を伴っているから記憶に残るよね。これの積み重ねが、知識がある人とない人の差になっていくんだよ」

所長が良く言っている、「日常の全てが学びになる」とはこういうことなんだなと、チロウは思った。

「実際の速度じゃなくて、こちらの車両から見える「見かけの速度」のことを何て言うんだった?」
「あー何だったかな、忘れたー」
「相対速度じゃない?」
「それ!」
「何回か教えているぞ~。「相対的に」っていうのは「他のものと比べて」という意味。じゃあ「相対」逆の意味、対義語は?」
「他のものと比べないで、っていうこと?うーん、分かんない」
「チロウくんは知ってる?」
急に所長が話を振ってきた。
「えっと・・「絶対」ですか」
「正解。さっすが~。中学生だったら知っておかないとね。基本的にあらゆる熟語には対義語があるから、調べる習慣を付けると良いぞ。「相対」と「絶対」は特に重要な言葉だからゼッタイに覚えような!」
とっさのクイズに答えられて誇らしい気持ちになった。サラが感心したのか、それとも不審に思ったのか、どちらともつかない表情でこちらを見つめていたのが視界の端に映った。


「皆に関わりがある言葉で言うと「相対評価」と「絶対評価」かなあ。昔学校の成績は相対評価だったけど、今は絶対評価だとされている。通知表に1から5の5段階があるとして、昔は評定の5を取れるのはクラスのせいぜい7%程度、4は20%程度、真ん中の3の人は40%という感じで決まっていたんだ。だけど今はある基準をクリアしていれば理論上全員が5を取ることも可能だ。ほかの人とは比べないで、その人の点数がどうかということだけを見るってことさ」
「なんか難しいけどいろいろ変わったんだね。どっちが良いんだろう」
「平等であることが重視される時代だから、絶対評価が採用されているって感じかな。たとえば極端に全員が優秀なクラスだと、平均的な成績だったとしても数字としては低いものが出てしまうかもしれない。だけどそれはそれで問題がある。それぞれの学校が独自のテストを作っているわけだから、勝手な「絶対評価」をしているに過ぎない。しかし現状では、学力試験で地域全体での「相対的な」評価に落とし込まなきゃいけないわけだから、学校によってレベルが違えば不公平になる。どんな仕組みにしても完全に公平というわけにはいかない」

「今、速さが「速い」とか「遅い」とか言っていたわけだけど、あらゆる評価は相対的なものだ。これって意味わかる?」
「どういうこと」マオは言っている意味が分からなくて、ポカンとしている。
「たとえば「速い」と「遅い」が評価だ。他にも何かを食べて「おいしい」とか「まずい」、誰かが「可愛い」とか「可愛くない」とか。「好き」と「嫌い」でも、「お金持ち」と「貧乏」でも良いんだけど、厳密にはそういう評価をするには必ず「他のものと比較してどうか」ということでしか評価できないんだ」
「そうか、それ単体ではどんな評価もできないんですね」チロウは感心して思わず口にしていた。

「日本で一番高い山といえば?」
「富士山!」マオが元気よく答える
「正解!標高は何メートル?」
「3776m!」
「そう。ものすごく高い山だ。だけど世界一のエベレストと比べたら?」
「あっ・・低い」
「低いってことになっちゃうんだよな。エベレストは8848mだから半分よりも低い」
「そんなに違うんだ!富士山も大したことないね」
そんな会話を聞きながらチロウも感心していた。数字を知っているとよりスケールの違いにビックリする。
「そう考えると、高尾山は600m・・低すぎじゃない?笑。それでも山のふもとに立っていざ登ろうとすると、やっぱり高いと感じるものだ」

「つまりどこの視点に立つかによって評価が変わってくるわけ。「尺度」の概念というのは、互いの差(ここでは高低差)こそが重要だからだ。とはいえ、富士山は一般的にものすごく高い山で、どこどこと比べて低いなんてことをいちいち言っていたらイヤな奴だから、僕たちは共通の認識で感覚的に会話しあっている。それがいわゆるコモンセンスとか常識と言われるものだ」
「空気を読むってこと?」
「そうだね。日本に住んでいる限りは「富士山は絶対的に高い」と言って良いんじゃないか。ただ、あらゆる評価は相対的なものだってことを知っていると、いざというときに自分を助けてくれる」
「どういうことですか」
「家がものすごく貧乏だとか、病気や事故に見舞われたときのような、自分が辛いと思ったときでも、他のもっとつらい状況の人と比べたら自分はマシなんじゃないかとか、そんな状況の中でも幸運だったんじゃないかという視点が持てるからさ。もっと大きなスケールで言うと、貧しい地域で紛争に巻き込まれるリスクを考えれば、現代の日本に生まれたことが幸運だという言い方もできる。もし自分が戦争の時代に生まれてきたらどうだろう。満足に学校にすら通えない環境に居たらどうだっただろう。明日食べるものがなかったとしたら。そうすると、今の自分にできることは何かなと考え始めることができる。
つまり、何かに思い悩んだり絶望的な気持ちになるのを防いでくれるんだよ。あるいは逆のパターンで、スポーツや勉強で自分が褒められたときに、もっと上がいるはずだと自分を向上させることができる」
どんな価値判断も相対的なもの。その考え方は判断を一歩踏みとどまることによって、より世界に対する解像度を上げてくれるかもしれないとチロウは思った。
「安易に評価を下さないで広い視野を持つ人が、クレバーな大人さ」

多摩川を越えたあたりから急に景色が開けてきて、街の雰囲気が変わった。畑や田んぼ、緑が目につくようになった。
「だんだんのどかな雰囲気になってきたなあ。さて、せっかくだから東京西側の話でもしようかな」

また所長の講義が始まるようだった。
「東京は高度経済成長の時代、西に向かって伸びてきた歴史がある」
「どういうこと」
「今僕たちはどちらの方角に向かっている?」
これは東京の地図を思い出せばイメージできる。23区から地図の左方向だから・・方角で言うと西だ。
「西、ですか」チロウは答えた
「正解。みんなは多摩ニュータウンという言葉を聞いたことがあるかな」
誰も答えない。聞いたことがない言葉だ。

「まあ歴史的に言うと、国と言うものはこれから発展していくという段階では人口は増え、十分に国が成熟すると人口が減るという傾向がある。何しろ日本は第二次世界大戦で焼け野原になったわけだから、その後に産めよ増やせよという時代が来たわけだ。戦争が終わって安心したから、みんなたくさん子供を産んだんだね。それが第一次ベビーブームだ。このとき生まれた人たちを「団塊の世代」という。経済評論家の堺屋太一がつけた造語だよ。とにかく子供の数が多かった。どれくらいかというと、一番多い時が1年で200万人。少子化の時代と言われている君たちの世代は、だいたい90万人だ」
「半分以下なんだ」
「今、日本人が子供を産まなくなったのは、この国が十分に成熟した証拠だということができる。受験競争で教育にお金がかかり過ぎたり、色んな娯楽にあふれていたり、給料が安くて結婚がしにくくなっているというのも一つの原因だろう」

確かに今は少子化の時代で、チロウたちは同年代の数が少ないと言われている。だけど大人の数が多くて自分たちは少ないということを、実感することは難しい。それが良いことなのか、悪いことなのかもよく分からない。あまり多いと、競争が激しくなって大変そうだろうなとは思う。しかし逆に少子高齢化が大きな問題だという話も聞く。

「戦後しばらくすると、徐々に経済が好調になってお金に余裕ができた。そのときに庶民が何を買おうとしたか。家だ。とにかく土地の値段が上がり続けた。土地やマンションを買えば必ず値上がりするという時代が訪れた。そうなったら皆が我先にとマンションを欲しがるよな。それで都心に人口が増えるのに伴って、ほとんど誰も住んでいなかった東京の西の方向に街が開発されていった。それは鉄道会社の仕掛けから始まる。まず私鉄が整備され、その沿線にマンションや団地を作る。大きなショッピング施設を作る。学校や病院もできる。こうやって新たな街が形成されていくんだな。それが多摩ニュータウンだ。他にも、都心に人が増えてくるにあたって街が次々に形成されていった。そしてますます人が流れ込んでくる。その結果が現在の東京だ」

「都市開発によって計画的に作られた街の団地に住むというのは、当時はとってもオシャレなことだった。そこで昭和の一般的な生活のあり方が作られた。都心から一時間程度で通える地域に皆が家を買った結果、昼間と夜間の人口の違いや、通勤ラッシュ、核家族と専業主婦、というようなライフスタイルの形成につながっている。大都市で働く人が家を構えている街を、ベッドタウンという。
東京で言うと具体的には武蔵野市、三鷹市、立川市、多摩市、八王子市といったところだな。今回の目的地である高尾山は八王子にある」
「じゃあこのへんも大きな街なんだね」
「だけどその割には閑散としてるよ」
「そう。高度経済成長の時は良かった。日本の経済も上向きだったから。だけどそんな状態は当然だけど永遠には続かない。土地の値段が上がり続けるなんて幻想だったんだ。それを実態がない経済だということでバブル経済と呼んだ」
「バブル経済ってよく聞くけど、それなんだ。実態がないのに価値が上がり続けちゃったんだね」
「皆も知っている通り、バブルは弾けた。これがバブル崩壊だ。それでせっかく買った土地が大暴落して大損をした人が大勢いる。まあそれはしょうがないとして、バブルが崩壊してから日本全体の景気が悪くなった。家を新しく買う人も少ないし、団地に住んでいる人は高齢化して、その子供たちは団地を出て都心に安いアパートを借りて暮らす、という風に生活スタイルが変わってきた。そうすると何が起こるか」
「街に人がいなくなって寂しくなるね」
「寂しいだけで済めば良いんだけどね。実は大きな問題を抱えているんだ。作りすぎてしまったマンション、街全体の管理が難しくなってくる。人がまばらになると犯罪率が増える。空き家率が30%を超えると飛躍的に犯罪が増えることが統計的に分かっている。寿命を迎えたインフラを改修しなければならないのに、人口が減るにつれて税収がどんどん減っていく。ところでインフラってわかる?」

「・・・」サラにもマオにも理解が難しいようだ。
「正確にはインフラストラクチャー。一般的には我々の生活を支えてくれているもの、なくては困るものだと思えばいい。たとえば電気、ガス、水道、高速道路、トンネル、橋など・・。それで、水道管にしても高速道路にしても大きな橋にしても、寿命が大体50年くらいだって言われている。永久に存在し続ける建造物なんてものは存在しない。これらが老朽化するとコンクリートが崩れたり、ネジが錆びたりして、トンネルの天井が剥がれ落ちたりなんていう事故も起こっている。水道管は地中深くに埋まっているから、そもそも水漏れに気付きにくいし新しいものに取り換えるのも一苦労だ。長持ちさせるためには定期的にメンテナンスや改修工事が必要だ。これに莫大な費用が掛かるから、なかなか進んでいないのが現状なんだな」

「50年か、、すごく長く感じるけど。いつ50年になるの?」マオが素朴な質問をした。
「良い質問だね!」所長は池上彰先生のようにノリノリだ。「日本が集中的にインフラ整備をした時期がある。それはいつだと思う?」と質問を投げかける。
「日本が発展したとき」
「何かイベント?」
「それは東京オリンピック。1964年のことだよ」
東京が文明開化を果たしたということを示す、初めてのオリンピック。それから56年が経過している。

「これは東京に限った話じゃない。むしろ東京は人が多いから財政的にはまだマシかもしれない。地方も含めて日本全体で取り組んでいかなきゃいけない課題だ」
今、寿命を迎えつつある日本中のインフラ整備をどうするか、高齢化が進み、建物も老朽化しているニュータウンの団地をどうするかなど、思った以上に大きな課題が山積みになっているということを知らされた。

(次回に続きます)





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