【教育×小説】本質研究所へようこそ(13)【連載】

■第五章 集中力を養成する(ゲームをする)

研究所に行くと、部屋には二人。机に所長とマオが互いに向き合って何やら話し合っている。奥の部屋にも誰かがいるようだった。マオは学校の宿題でもやっているのだろうか。

「今日はイギリスがEUを抜けるとどうなるのか、という話だったね。ところでマオちゃん、そもそもEUとは何のためにあるものか知ってる?」
「ヨーロッパの人たちが協力し合うため?」
「ほとんど正解だ。ヨーロッパというのはいち早く産業革命を成し遂げたイギリスを筆頭に、産業国同士が隣接している。そうすると資源の奪い合いになって、とにかく戦争が絶えなかったんだな。資源というのは特に植民地などのことだ」
「どうして国が隣り合ったら戦争になるの?譲り合えばいいのに」マオが素朴な質問をしている。
「マオちゃん。俺もそう思うよ。だけどね、人間というのはある程度の人数が集まって、守るべき食糧や資源があると、必ず隣同士の集団で争いを起こしてしまうんだ。それは歴史が証明している。だって稲作が始まった弥生時代の日本ですら殺し合いをしているんだからね。大航海時代のヨーロッパ人にしても然り。それ以前に、我々ホモサピエンスは他のサピエンス種を滅ぼしたからこそ繁栄した種族だ」
「これからもそうなの?」
「少なくとも日本は70年以上、戦争をしないでいる。だけど世界にはまだまだ争いが絶えないよな。もしかしたら人類が成熟して、争いをしないで済む世界が実現するかもしれない。そのために何とかやっていこうと世界中の人が知恵を絞っている。その一つとして、何とかして戦争をなくすために、皆で協力しようとして立ち上げたのがヨーロッパ連合。これをEU(European Union)というんだよ」
「イギリスはヨーロッパのリーダー的存在でしょ。せっかく今までうまくやってきたのに、なんでイギリスはそのEUを抜けようとしているの?」
「一言では説明しにくいけどな。庶民の気持ちになって考えてみると分かりやすいかも。精神的にも物理的にも国境がなくなって、難民がどんどん移動しているということは聞いたことがあるよな?そうすると貧しい国の人たちは豊かな国に移動することになる。それは受け入れる国の、特に一般的な庶民としては、自分たちの取り分がどんどん少なくなる感じがして嫌なんだ。そりゃあ別の国の貧しい人を助けてやりたいという気持ちもあるけど、限度があるだろう?特に生活に余裕のない人ほど、受け入れるのは心情的に難しくなる」
「うーん」
「マオちゃんにはちょっとイメージしにくいかもな。でもこれが特定の立場の人になったつもりで考えてみる力、つまりは想像力ってことだ」

どうやら所長とマオは、新聞の社説を取り上げて議論をしているみたいだ。たしかこの本質研究所では、小学生は社説の読み合せと解説が奨励されていた。マオはここに来るたびにこれをやっているらしい。
チロウがその様子を眺めていると、所長は一段落着いたところで声をかけてきた。
「やあ、チロウくん。来てたんだ」
「はい。こんにちは」
「マオちゃんと今日の新聞の社説について話していたところだよ。こうやってインターネットで読めるものをプリントアウトしているんだ」
そう言いながら所長はプリントを1枚渡してきた。社説というのは新聞の一面の下の方に日替わりで載っている千字弱くらいのコラムのようなものだ。主要な新聞のものはネットで無料で見られるらしい。それらが四紙ぶん、ずらりと並んでいた。これを全部読むだけで骨が折れそうだ。マオはここに来るたびに、その日の社説から一つを選んで、所長と一緒に読み合わせをしているという。そして適宜質問したり、内容を200字で要約するなんて言うこともしているらしい。なんでも、中学受験の適性検査対策なんだとか。


「家で新聞を読んでいるかどうかと、子供の学力にキレイに相関関係があるなんていう研究もあってね。新聞というのは日本語文章のベースとなる熟語と文体だから、それは当然の結果と言える。新聞が読めるということは、国語の文章問題が解けるということだ。だけど最近は、新聞を取る家庭も少なくなってきたしな。だからこうやって習慣的に新聞記事に触れる機会を作っているんだ。チロウくんもタイミングが合えばぜひ参加してくれ。小学生だけじゃなく、中学生でも絶対に有効だと思うから」
「分かりました」そう言って、もらったプリントを眺めた。「中東に自衛隊派遣」「日韓首脳会談」「EU離脱 性急な決着は避けよ」なんていう文字が目に飛び込んでくる。見たことはあるけどよく知らないこういった話題について、教えてもらえるのはありがたい機会かもしれない。せっかくだから家に帰って読んでみよう、そう思ってカバンにしまった。

「今日は世界情勢の大事な話だったね。」
「うん。適性検査では時事問題も出るみたいだから心配だよ」
「こういうのは毎日の積み重ねが大事。一日一個、ここで読む練習をしておけば何も心配することないよ」
「うん。じゃあ今日はこれで終わりっ」そういってマオは一式のプリント類をまとめると、別の冊子を出してきて次の作業に取り掛かった。

「ところでチロウくん、今日はずいぶん早く来たね」
「はい。水曜日は部活がない日なので」
「チロウくんは何の部活に入っているんだい」
「陸上部で長距離をやっています」
「そうか。いいね、自分との戦いという感じで」

もともとチロウは運動が得意じゃなかった。というか今でも得意じゃない。身体が細くて力がないし、小学校時代は50m走で10秒を切ったことがなくて女子にも負けていた。球技は全般的に苦手だし、鉄棒や器械体操もダメ。要するに運動神経がないのだ。その中でも比較的マシだったのが持久走だった。持久走やマラソンといえば子供が嫌がる代表的なものだが、チロウはなんとなく自分にその特性があるんじゃないかと感じていた。たとえばスイミングスクールで100mや200mを泳ぐとなったときに、思いの他、周りの皆がそれを嫌がっていることに驚いた。自分はそれをむしろ楽しいことだと思っていたからだ。もしかしたら、そこに自分の特性があるのかもしれないと気づいた。

そしてその直感は当たっていた。中学に入って最初の体力測定。持久走のテストでクラスで二番が取れた。自分が運動の分野でこれほど良い順位が取れるということが初めての経験だった。それをきっかけに、思い切って陸上部の門を叩いた。種目は長距離走である。そこから一年、今では少しずつ自分の力が伸びているのを実感している。部活は月、火、木、金の放課後と、土曜日の午前中だ。今日は水曜日で、ノー部活デーなので早めに研究所に来ていた。

「スポーツは良いぞ。まず健康な身体を作ることができる。健康維持のためにはとにかく運動が一番だ。それに集中力を養うのにも、最近では脳を鍛えるにも運動が最適だというのが定説になっている」
「そうなんですか」運動することで脳が鍛えられるというのは本当だろうか?
「アメリカのネーパーヴィル・セントラル高校では、朝に●分ほどのランニング(0時限体育)を取り入れると、リーディング力と理解力をテストの成績が17%も向上したそうだ。脳がシャキッと目覚め、記憶力、集中力、学習態度が上がる、という効果があるのだろう。ただし、過度に負荷をかけるのは逆効果で、じんわりと汗をかくくらいの軽い運動だ。詳しくは『脳を鍛えるには運動しかない!』(★)を参照だ」

「陸上の長距離は、長時間にわたって自分を追い込んだり、淡々と同じ動作を続ける精神的な訓練になるだろう。体力と持続力がついて、一石二鳥だと思う。ただ、あんまり心肺機能を追い込むのも健康に良くないから、ほどほどにな。ハハハハ」
「分かりました」

「今ランニングやマラソンがブームになっている。東京マラソンなんか倍率が10倍以上で、走りたくても走れないんだよ」
「そうなんですか!」
東京マラソンは、毎年二月くらいに東京駅前や浅草、お台場ビッグサイトなどを走る大きな大会だということは知っていた。だけど、申し込みをすれば誰でも出られるものだと思っていた。
「そう。俺からしたら42キロ走るなんてまともな人間のやることじゃないと思うんだけど(笑)。それに、走りたければ参加費を払ってまで走らなくても、勝手に自分で距離を決めて走ればいいのに、と思うが。ま、東京の道路の真ん中を走れたり、名所を回れたり、公式記録として認定されたり、なにより体験としての価値があるわけだ」
「僕もいつかはフルマラソンにチャレンジしてみたいと思っています。今はまだ身体が持たなそうですけど」
「死ぬまでに一回はチャレンジしてみたいってのはあるよな。とにかくそんなに今ランニングが盛り上がっているのは、現代人が健康的に生きたいというモードになっているのと、自分を律するということに多くの人が価値を認めているからだ」


「例えば村上春樹という有名な作家がいるんだけど、彼は毎日一時間以上のランニングを欠かさず、フルマラソンにも毎年出場しているそうだ」
「すごい。たしか毎年ノーベル賞が期待されている人ですよね」
「小説家には二種類のタイプがいて、昼間だろうが深夜だろうが自分の好きな時に仕事をしたいというタイプと、毎日職場に出勤するように規則正しく決められた時間に執筆したいタイプ。春樹は完全に後者だ。朝起きたらコーヒーを入れて、リフレッシュする。5,6時間、机の前に座ったら、午後は昼寝をしたり音楽を聴いたり本を読んだりして過ごす。そんな生活で運動不足にならないように、毎日一時間以上は運動をするのだそうだ」
「健康的な小説家って意外な感じですね」
「そう。寝る時間も起きる時間もめちゃくちゃ、徹夜・酒・タバコは当たり前、借金は借りても返さない、果ては思い悩みすぎて自殺、若くして病気で亡くなる、なんていう文学者のイメージがあるからかな」
「僕が調べた夏目漱石も、ある時期に引きこもったり、血を吐いて生死をさまよったということがあったそうです」
「修善寺の大患だね。その経験が死生観に影響を与えて、作風が大きく変わったと言われているよ。ちなみに前期三部作が恋愛をテーマにした『三四郎』『それから』『門』、後期三部作がエゴイズムと苦悩を描いた『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』『行人』『こころ』だ。やっぱり人間は、生死をさまようと見えてくる境地というものがあるのかもしれないなあ」
さすが、所長はなんでも知っているんだな、と思った(前期三部作と後期三部作。メモメモ)。

「長編小説ともなると一年以上かけて、来る日も来る日も自分の世界に入って、集中力と想像力を働かせて、孤独な作業を続けることになる。並大抵でない持続力がいる。春樹が言うには、その持続力を身につけるために必要なものは何かと言ったら、シンプルに基礎体力(健康)を身につけることだと言うんだ」(「一に健康、ニに才能」というのが僕の座右の銘である。なぜ「一に健康」で「ニに才能」かというと、単純に考えて健康が才能を呼びこむことはあっても、才能が健康を呼びこむ可能性はまずないからである。)

「やっぱり体力は大事なんですね」
「だけど、ただの体力自慢になってしまってもダメで、そこは精神的な持続力、つまり集中力との両輪になっていないとダメだと思う。なんで毎日一時間も走り続けることができるかといえば、身体を健康に保って良い小説を書き続けたいというモチベーションがあるからだ。
春樹は元々、高校時代には学校の英語、つまり受験英語には全然興味が持てなかったけど、海外の小説を原典のまま読み通す集中力があった。なぜかというと、やっぱりそれが楽しくて、英文にかじりついてでも小説を楽しみたいというモチベーションが先にあったからじゃないかな。やっぱりやりたいことが先にあったからこそだ。そして集中力をここぞという場面で発揮するためには、ある程度の訓練がいる」

「集中力をつけるのに欠かせないものがある。それがゲームだ。勉強にしろスポーツにしろ遊びにしろ「これは面白い」っていう瞬間がないと続かないし、そもそもやろうという気にならない。ところでチロウくん、ここでは勉強とおんなじくらい、ゲームも推奨されているということは知っているよな」
「はい。なんとなくは」始めにもらったパンフレットで、ゲームが本質研究所の柱の一つであると書かれていたような気がする。
「ゲームといっても広い意味で、「あらゆる物事をゲーム感覚で楽しむ」というような意味だ。勉強だったらクイズ形式やパズルにしたり、テストで点数やタイムを競ったり。スポーツなら試合形式にしたりするということ。身体を動かすゲームもやるし、もちろんテレビゲームや昔ながらのカードゲーム、ボードゲームも含まれる」

■まずはテレビやタブレットを使わない、アナログなゲーム

「たとえば、先ほどからあそこでマオちゃんがずっと格闘しているのは、この研究所おすすめの「計算ブロック」だ。(宮本算数教室『計算ブロック』)」
(参照:計算ブロック

「あ、そうだったんですね」新聞社説のタスクが一段落してマオが何やら熱心に取り組み始めたと思ったが、パズルをやっているのだった。
「これはものすごく頭を使うし、漠然と計算ドリルをするよりもよほど頭が鍛えられる」
「ねえ、数字が合わなくなったんだけど・・」ちょうどその時、マオが困ったように所長に助けを求めてきた。
「どれどれ・・あっ、ここ。3マスで10のところ、1,2,7にしているね」
「え、だって1+2+7=10でしょ。1,2が余ってて、他の数字は使っているからこれしか入らないんだよ」
「甘い!かけ算かもしれないだろう」(あるマスに示された数字を、和差積商のいずれかの演算を使って作る)
「でも10は2×5しかないよね。数字を3つ使えないよ」
「かけ算しても結果が変わらないものがあるだろう」
「あっ!1だ!」
そういって勢いよく修正を始めた。マオはこのパズルをすごく楽しんでいるようだった。

「さっそくチロウくんにもやってもらうおうかな」
そういってマオが取り組んでいる「計算ブロック」という算数のパズルと同じものを渡された。
「これは宮本算数教室という中学受験塾で実践されている算数パズルだ。宮本算数教室は中学受験で圧倒的な実績を誇っているが、受け入れを開始する小学校3年生では、1年間ひたすら算数パズルだけをやらせるそうだ」
「そうなんですか」中学受験をするための教室で、ひたすらパズルを解くというのは意外な感じだ。中学受験の算数と言うと、つるかめ算や旅人算などの特殊な算数というイメージがある。

「これで圧倒的に集中力が養成される。頭を使い続けるという体力を、最初に鍛えておこうということなんだな。これはどんな科目においても、モノゴトを考える上では欠かせないものだ。
(参考:『強育論』(★)『伝説の算数教室の授業』(★))
しかもこれは大人がやっても十分楽しめるという非常に優れたパズルだ。俺自身もよくやっている。じゃあ早速初級レベルのものをやってみてくれ」

■計算ブロック
どの列にも1~5の数字が入る。(5×5マスの場合)
ブロックの中の数字は、太線で囲まれたブロックに入る数字の和になる。この条件を満たすように、数字を埋めていく。すべてのマスを埋められたらクリアだ。これは数独というゲームに近い。たとえばヒントになるのは、横一列で3マスで6というもの。これは1+2+3しか有り得ない。すると、同じ行にはあとは4と5のいずれかに決まる。同様に7だと1+2+4で確定。

やってみるとこれが意外と面白い。易しすぎず、かといって全然解けないわけでもない。しっかりと頭を使って検証すれば正解にたどり着くのだ。数字を勢いよく埋められるときは快感だ。ものの数分で最初の一問が解けた。そしてマスずつサイズが大きなものを解く。そうか、だんだん仕組みが分かってきた。何とか解ける。なるほど、これは面白いかも!


「さすが、チロウくん。筋がいいね。だんだんレベルが上がってきたら、もっと難易度を上げることができる。マスは最大9×9まで。ルールも追加される。一番すごいのが「9×9マス、四則バージョン」だ。」

そう言って所長は『賢くなるパズル四則上級(宮本算数教室の教材)』というものを出してきた。今やったものよりもはるかに全体の面積が大きく、数字がでかい(笑)

「+・-・×・÷、全ての可能性を検討しないといけない。
最初のヒントになるのは以下のとおり。
①、2マスで大きい数字
たとえば2マスで56だとすると「7×8」、72なら「8×9」しかない。
②、3マス以上で小さい数字
3マスで6なら「1、2、3」で確定だ(これは1+2+3でも1×2×3でも同じという特殊例)。これらはまず数字が絞られるパターン。
③、数字が極端に大きいもの
100を超えるような数字は積で確定だ。マスが極端に大きいものも見つけやすい。5マスや6マスも使っていればたいてい和か積の判断ができる(3マス以上に差と商はない)。

でも中間のものだと大変だ。ブロックが曲がっていれば同じ数字も使えるから、重複することも考えないといけない。3マスで20なら「1,4,5」「5,7,8」「4,7,9」重複を許すなら「2,2,5」「6,7,7」「4,8,8」の可能性が出てくる。あまりに大きな数字だと「掛け算じゃないと間に合わないよな」とわかるが、20くらいの数字だと足し算でも間に合ったりする。とはいえ23のような素数なら間違いなく足し算(10以上の素数は積では作れない)。これも数学的な頭の使い方だな。可能性を全て潰していくっていうのが、ものすごく良い頭の運動になるんだ。これは包含関係や論理展開の理解にも通じる。ある条件を満たすパターンを見つけたからといって、それが答えであるとは限らない。そこで一歩踏みとどまって、他の可能性を検証すること、その精度。もちろん「これしかない」と判断できることも必要な力だ。ありもしない選択肢に惑わされてもいけないしな。学校のテストで高得点をたたき出すってことは、取捨選択の精度と速度が両立してるってことだ。この「計算ブロック」はこれ以上ない良質な訓練になる。

「これの9×9マス四則バージョンは俺が本気を出しても一時間以上かかったりするんだが、時間があっという間に感じるほど面白いよ」
「所長もこのパズルを一時間以上もやっているんですか?」
「ああ。深夜に一人でな」
チロウは、いい年した大人が夜中に数字パズルを必死に解いている姿を想像したら、ちょっと面白いと思ってしまった。

「これは今ここで解いてしまうのはかなり難しいだろう。チロウくん、まずはこの中級の冊子をあげるから、時間のあるときにぜひチャレンジしてみてくれ」
「いいんですか!ありがとうございます」
そういって真新しい『賢くなるパズル四則中級』をくれた。これは良いものをもらった、とチロウは思った。

さっそく家に帰ると冊子を開いてみる。
最初は何も書き込まれていない状態から、よく眺めていると、特徴的な数字の並びから徐々に数字の可能性が絞られてくる感じだ。トライアンドエラー。ここでやや負荷がかかるが、かちっとハマった時が面白い。数字を書き込むたびにゴールに近づく手ごたえも良い。同じ数字でも、いろんな組み合わせで作ることができるということが分かった。たとえば2マスで8なら「1+7」「2+6」「3+5」「1×8」「2×4」「9-1」これだけ検証しなければならない。こういうのは算数で数字に対する感性を磨くのにもってこいなのではないだろうか。
そして素数の存在にものすごく敏感になる。それが数字を予測するヒントになるからだ。19や23は足し算でしか作れない(1とその数自身しか約数を持たないからだ)。25の倍数は積であれば絶対に5を2回含むし、49なら7を2回だ(和で49はまず有り得ない)。これってついこの前、学校で習った中学三年の素因数分解の考え方そのものだ。2マスの35が「5×7」で確定するのもそうだし、56が「7×8」だと決まるのも素数だからこそだ(7を因数に持つ数字は7を使わざるを得ない。7の倍数である56が3マスなら1×7×8、2×4×7など、いずれにしても7は含まれる)

すべてのパターンを検証しなければならない。これがすごく数学的な頭の使い方の訓練になっていると感じる。パッと思いついたものを書くとたいてい間違う。本当に合っているかどうか、他に可能性はないか検証するという作業が、苦労するけどものすごく精神力を鍛えられている気がする。そしてこれしかないという正解を見つけた時の気持ちよさは何とも言えない。

チロウは(そしてマオも)そこまで気づいていなかったが、実はこれこそが計算ミスを防ぐための最も本質的なマインドセットであり、計算練習そのものである。検証のスピードと精度を上げること。実はこの検証作業こそが、数学のみならず、社会人になってからの事務処理能力の向上に抜群の効果を発揮するのだ。ゲームをしているつもりで、最高の成果を上げる。これこそが一番の狙いだ。

結局、中級は難なくクリア出来てしまうということが分かったので、のちに上級にチャレンジすることになった。9×9マスの最高難度のものは、最初の1問を解くのに2時間近くかかってしまった。途中で断念する時もあった。一度ズレると修正するのは絶望的なのだ。そういう時はイチからやり直すに限る。だけどコツを掴んでくると1時間弱でクリアできるようになってきた。宮本算数教室というところではこれを小学生に解かせるというのだから驚きだ。

(次回に続きます)


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