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国民主権を実現するために。

よく世間話では、「政治と宗教と野球の話はするな」と言われます。

しかし、野球は今や一つの趣味の範囲を超えず、野球の話ができないのであればサッカーの話もゴルフの話もできないはずです。

宗教に関しては、特に日本人は話題に上ることが少ないように思います。日本には神道という、宗教なのかそうでないのかあいまいな存在のものがあり、それが日本人の宗教観のベースになっていると思われるので、欧米や中東のように、宗教の違いによって対立や暴力が生まれるような、そういう状況にはあまり陥らないような気がします。

政治は宗教や野球とは違う。

しかし、政治に関しては、それぞれの人がおかれた環境によって考え方が違うので、無用な対立を最も受けやすい話題であると言えます。そのため国民が最も避けたがる話題になっていますが、それゆえに弊害も生まれています。

昨今、新型コロナウイルスに関する対応や、それよりもっと前からある森友学園の問題、「桜を見る会」をめぐる問題について言うまでもなく、政治をめぐる問題は常に国民の批判にさらされてきました。しかし現状では、選挙があったところで、投票率は50%を切ることがザラにあります。そこでよく「選挙に行ってないくせに政治の批判をするな!」と言われます。

確かに、自ら政治に参加する機会を放棄しておきながら、既存の政治に文句をつけることに納得がいかないという意見は、頷ける部分はあります。しかし、実際選挙に行ったところで、自分の納得する選択ができている人が、どれだけいるのだろうかという疑問は、常にあります。

政治家になるのはどんな人か。

衆議院にしても参議院にしても、自分の住んでいる地域には選挙区というものがあり、そこから立候補している人は限られています。定数が一人という選挙区では、与党と野党から一人ずつしか立候補しないということも少なくありません。つまり選挙に行く以上、その二択以外に選択肢がないということになります。比例代表もありますが、政党単位でも、この政策は支持できるけど、この政策は支持できないとかいうのが、個人でもあると思います。その中から選ばなければいけない気持ちにもなってほしいと思います。

また、選挙に立候補する方もする方です。

法律で国会議員の兼職は禁止されているので、どこかに勤めている人が選挙に立候補しようとする場合、当選したらその仕事を辞めないといけません。選挙の当日まで、自分が仕事をする会社に在籍していて、当選した瞬間に会社に退職届を出すというのは現実的ではありません。つまり、選挙に出ようという人は、事前にその仕事を辞めておくのが普通だと思われます。

しかし、言うまでもなく、国会議員は期間に定めのある職業です。それ以前に、選挙に落ちたらただの無職になってしまいます。一度レールから外れると、元に戻るのは難しいとされている日本の社会において、そのようなリスクをとれる人は多くありません。いるとすれば、元からレールに乗っていない人と、最初から国会議員というレールに乗っている人です。国会議員になるために必要な、地盤・カンバン・カバンというのは、このレールのことを指しています。国会議員の中に二世議員が多いのは、そういう理由によるものと考えられます。「元からレールに乗っていない人」というのは、自営業者(芸能人を含む)と、ガチの無職などが含まれます。しかし、ガチの無職の人が、選挙資金を集めて、選挙で当選するのは、かなり難しいと思われます。自営業者は、全就業者中のわずか1割と言われていて、その中でも選挙に当選する人と、そうでない人がいます。

ごく限られた、選挙に出るリスクをとることができる人だけが選挙に出ることができ、大多数の国民は、そのごく限られた選択肢の中から、政治家になる人を選ばなければならない。これで、私たちの民意が政治に反映できると思うのは、さすがに楽観的過ぎると思います。だから、有権者が国政に参加する権利は、選挙以外にあってしかるべきだと思います。

そもそも、直近で国政選挙が行われる見通しが立ちません。参議院選挙は昨年行われたところで、解散はないので2022年までありません。衆議院選挙は2017年に行われたので、来年までには行われるはずです。解散ということになればそれよりも早くなる可能性はありますが、解散は内閣の考え方次第なので、国民はどうすることもできません。しかも昨今の状況を見ると、選挙会場として学校の体育館を借りて、そこでクラスターでも発生すればシャレにならないし、それ以前に、今は政治的空白を作っている場合ではありません。内閣の構成員も、自分のクビがかかっているので、よほど自分たちに利があると思わない限り、衆議院を解散することはないでしょう。

直接民主主義にでもするのか?

もうこんな人しか国会議員になれないのなら、いっそのこと国会議員を廃止して、直接民主主義に戻した方が、民意を反映させやすいとさえ思ってしまいます。ネット投票などがもっと普及すれば、個々の政策について、広く国民に賛否を問うということができるようになるかもしれません。実際に行政を行う官僚が、そのデータを恣意的に解釈するという可能性も無きにしも非ずですが、そうなればもはや何を信じればいいという段階になるので、そこまでは考えないようにします。

幸い、今は国民一人一人が、外部に意見を出すツールを持っています。メールアドレスと電話番号があれば、誰でもSNSのアカウントを作ることができます。ただ、それが政府に届くかと言われれば別問題ですが、選挙は待ってられないし、選挙で満足する選択ができない以上、国民にできることをして、国会議員の意識を変えていくしかないと思います。様々な意見が寄せられるとは思いますが、その意見を調整して、具体的な国政のせいかとして上げていくのが、国会議員に求められています。

(ただ、昨今の政治に関する行動を見ていると、国会議員としてより、人間としてどうなのという件があることも否めないのですが…)


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