男と女、マジックリアリズム、政治

■池澤夏樹『池澤夏樹の世界文学リミックス』


「世界文学」を紹介する一冊だけれど、まず誤解しないほうがいいことがあります。それは、いわゆる有名な世界文学を網羅する本ではない、ということ。

池澤夏樹という一人の作家が個人的に好む文学をベースに編まれていて、どちらかといえばニッチで聞いたことがないようなタイトルが多いです。だから「有名な世界文学は全部読んだな〜。もっと面白いのないかな〜」というような人に適しているのかもしれません。笑

私はそんなに世界文学を読んでいないので……。知らねえ!って本も多かった。やはり知っている本があると興味がわくので、そういう意味でスラスラ読めないところもあったけど、全体として「ここまでの情報を一冊に詰め込んでくれるのは有り難い」という感想でした。


扱うテーマは多岐にわたります。個人的に引っかかったのが記事タイトルの通りです。


男と女

文学の何割が恋愛をメインテーマにしているかはわからないけれど、やはり多いんでしょうね。池澤夏樹がここまで恋愛モノを押し出してくるのは意外だった。偏見かもしれないけれど、男性が恋愛小説を楽しむイメージってあまりなくて。

選出されているのは「文学性が高い」作品が多く「エンタメ性が高い」ものは選ばれない傾向にあるので、必然的に悲恋が多い。私はハッピーエンドがあまり好きではないので、紹介されているものはそそられるストーリーが多くて、久しぶりに恋愛モノを読みたくなって何冊か購入しました。

あとなんていうか……包み隠さず言うと、エロチックな、情欲的なものが多い。文学ってそういうものかもしれないけれど(なぜ文学はエロいのか?ずっと謎です)。

情欲的ぐらいならまだいいんだけど「しょーもないシモネタ」レベルのが出てきたりもする。笑

大学生のとき、同級生の男の子が「映像は僕にとっては直接的すぎる。小説のほうがいい。なんなら自分の頭の中で妄想するだけでいい」と言っていたのを思い出します(何の話だ)。


マジックリアリズム

偶然にも、次に読もうと思って買っていたのがボルヘスの『伝奇集』です。昔読んでとても面白かった記憶があり、久しぶりに読んでみたくなって。

ボルヘスは厳密には「マジックリアリズム」とは違うらしいけれど、ラテンアメリカ文学の基盤を築いた人のよう。「マジックリアリズム」という言葉は恥ずかしながら知らなかった。でも、ありえない世界と現実世界が混ざった状況がとても好きだから、この界隈の作家に強く惹かれました。

初まりも終わりもない「砂の本」、記述されるもののない世界に造られた「バベルの図書館」など、とにかく概要を読んだだけでワクワクする。


政治

池澤夏樹ってこんなに政治色の強い人だったのか、と驚きました。地理や歴史に詳しくて当時の政治について語る……というのにとどまらず、けっこう政治に物申すタイプなんだな。

政治に関して意見を言うのは全く悪いことではないし、日本人は「言わなすぎ」なところがあるので、発言力と知識のある人がどんどん発信するのはいいことだと思っています。

けれど、文学を読もうと浸っていたところに突然政治がガンガン絡まると、心の準備が……と焦ってしまうんですね。それこそが日本人のダメなところかもしれませんが。


以上が本の感想。以下は蛇足です。

実は最近、政治というものに意見をするのが怖いです。意見する……というと大げさだけど、単純に政治家を非難したり文句を言うのが怖くて、言っている人を見るのも怖いです。というか政治に限らず誰かを非難している人を見るのが怖いです。その傾向がどんどん強くなっていく。

「人を悪く思えない」というと聞こえがいいかもしれないけれど、糾弾すべきこともできないダメな人間になっているのだろうかと悩んでいる。

深刻なのは、かなり酷い罪(大量殺人など)を犯した人すら悪く思えないことです。決して同情したりはしないのだけど、ネガティブな感情の抱き方がわからないせいで、ニュースやTwitterの波長と自分の波長がズレすぎてどんどん怖くなっていく。つい先日も不倫を強く責められている芸能人(これは別に酷い罪ではないと思うけど)を見たり、後手後手の対応を責められている政治家を見ていて、気が沈んで仕事が手につかなくなってしまった。今は毎日そういう話題なので、ニュースやTwitterを見るのが怖かったりします。

自分が頑張って明るい話や前向きに捉えようとしても、波長がズレるんじゃないか。危機感がないとか偽善者だって思われるんじゃないか。それも怖い。

きちんとした理論に基づいた信念ならいいと思う。でもただビクビクと怖がって怯えているだけの人間に成り下がっている。誰も傷つけたくない……という感傷的な考えで、結果として誰かを傷つけているような気もしてしまいます。

というわけで、強い信念をもっている池澤さんの姿勢を見ると、どうしていいかわからなくなってしまうのです。


村上春樹氏が『アンダーグラウンド』という本で地下鉄サリン事件の被害者にインタビューをしていた。その後『約束された場所で』という本を出し、こちらは加害者に取材していた。私は両方読みました。

かの事件の死刑が執行された時に意見を求められた村上氏は、(本来は死刑廃止論者だそうですが)煮え切らないことを言って叩かれていました。被害者だけでなく加害者にも取材した結果として、全員が「人間」に見えすぎてしまったんだと思う。

その気持ちがすごくわかる。正義と悪の二項対立という考え方がどうしてもできない。知れば知るほど、誰かに絶対的な悪を押し付けることなどできるのか……自分にその権利があるのかと、疑いが深まります。例えば今裁判をやっているあの殺人事件でも、犯人が絶対に悪いと言い切れるだろうか?その人を育てた環境、この社会、この世界……他のどこにも悪はないと言い切れるだろうか?私たちは絶対に善であり正義の側にいると、なぜ言い切れるだろうか?……という思いがいっぱいになって、でも周りにそんな意見の人はいないので、辛くなって情報をシャットアウトしてしまう。

せめてこの感覚を堂々と打ち出せるように、思考して補強できたらいいのだけど、思考を精神が拒絶してただのペシミスティックな感情に陥る。

悪い行いを堂々と非難する勇気がなく、政治家や犯罪者を糾弾できる意見の強度がない自分は、果たして大人になれているのだろうか?最近直面している最も難しい問題です。

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