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「今日というすさんだ一日でさえ、その愛を損なうことはできない」

■村上春樹編訳『バースデイ・ストーリーズ』


誕生日にまつわる(海外の)短編を集めたアンソロジーである。

「文学好きな彼/彼女の誕生日プレゼントにぴったりだ!」

……と早合点されないよう、ご注意を。まずは自分で読んでください。「ん?これはプレゼントして大丈夫かな?」となるかもしれない……


簡単に言うと、暗いのだ。誕生日なのに人を殺した、誕生日なのに事故にあった、娘の誕生日なのにケーキがない、誕生日なのに息子が帰ってこない。ざっとそんな感じ。

私が最も「!?!?」となったのは、

「パートナーの誕生日に、一晩だけのアバンチュールする『相手』をプレゼントする」

という短編である(しかも二つもある)。私の頭がかたいのだろうか……そうじゃないと思いたいけど、正直、ワケがわからないな。普通じゃないだろ。と思ってしまった。笑

翻訳者の村上氏が解説に書いているように、「誕生日といえばハッピー」という強固すぎるイメージが世の中にあるもんだから(読み終わった私ですらこんなにキラキラしたアイキャッチ画像を作っているもの)、作家のみなさんはそれをひっくり返そうと必死なのだと思う。「ハッピーな誕生日なんて描いてたまるか」という荒い鼻息混じりの勢いが感じられて、それはそれで楽しい。

そんな中でも、素晴らしくカタルシスを誘う短編が二つあった。一作目のラッセル・バンクス『ムーア人』と、三作目のウィリアム・トレヴァー『ティモシーの誕生日』だ。

『ムーア人』は、レストランで誕生日を祝われていた80歳の女性が、実は過去に不倫した相手だった──というお話。互いに相手に気づき、少しだけ言葉を交わす。男性は老婆を家まで送りとどける。

80歳の“彼女”の関心ごとは「当時人妻だった自分と一夜を共にした相手が、初体験だったかどうか」ということである。男性目線で描かれるこのストーリーは、冬の寒い日に心がきゅっと縮まるような、切なく、よくできた短編だった。

『ティモシーの誕生日』は、老夫婦が、息子ティモシーの誕生日を祝おうとするお話。仲睦まじい老夫婦はいそいそとはりきって料理を用意するが、はたしてティモシーは実家に帰ってくるのだろうか──。これまた最後には胸が締め付けられるような、素晴らしい一編だ。

どうやら村上春樹氏もこの二篇をきっかけにアンソロジーを構想したらしく、やっぱり良いものは良いよねぇ。と、解説を読んでしみじみ思う。

私は(例によって)記憶力が欠如しているため、自分の誕生日の記憶すらほとんどない。誇張抜きで、去年の誕生日のことは何一つ思い出せない(自分のことすら記憶していないのに、歴史上の人物など記憶できるはずがない)。


今年の誕生日は、私がはじめて迎える「父のいない誕生日」だった。

といっても実家を出て15年以上経つから、誕生日当日を一緒に過ごさなくなって久しい。そうではなく、父がいないというのは、この世に存在しないという意味だ。

私は歳をとった。でも父はもう歳をとらない。そう思うと無性に悲しくなって、ベッドの中で少しだけ泣いた。

たぶん、いまだに父の死をリアリティを伴って受け入れられていないのだろう。ずっと離れ離れだったから余計に実感がわかない。私にとって父はまだ生きている。比喩的ではなくそう感じてしまう自分に気づく。


唯一ちゃんと覚えている自分の誕生日といえば、夫と一緒に暮らしはじめたころ。その年の誕生日は平日だったが、自分でピザを注文した。多少なりともお祝いっぽいことがしたかったのだ。

次第に冷えていくピザと睨めっこしながら夫を待った。

夫は22時ごろに手ぶらで帰ってきた。なんとなく、勝手に、ケーキぐらい買ってきてくれやしないかと期待していたのだけど、手ぶらだった。彼は平日にそんなことをすると思わなかったらしく(平日はかなり忙しい)、すごく謝られた。「かわいそう、かわいそう」と何度も言われた。笑


……なぜだろう?楽しかった思い出よりも、悲しい思い出のほうが、胸に刻みつけられる。悲しい思い出でしか愛を確認できない私は歪んでいるのだろうか?

でもほんとうは、ハッピーな誕生日なんて記憶に残らなくて、私たちはいつだって悲しみや苦しみを共に乗り越えてくれる人こそを愛したいのではないだろうか。

二人の愛は、人生の数々の浮沈や苦悶を乗り越えてきた。今日というすさんだ一日でさえ、その愛を損なうことはできない。(ティモシーの誕生日)

30歳をすぎ、誕生日を以前ほど素直に喜べなくなったあなたには、「ちょっとブラックですけど……」と一言添えたうえでこそっとお勧めしたい一冊です。

そのうちにいつか、船に乗って東京湾の真ん中に出て、盛大に花火をあげたくなるような劇的な誕生日がめぐって来るかもしれない。もしそういう誕生日がやってきたら、誰がなんと言おうと僕は躊躇なく船をチャーターし、花火を抱えて真冬の東京湾に出ていこう。でも少なくとも、今日はそうじゃない。今年の誕生日はそうじゃない。僕は机に向かって、いつもと同じように静かに、一日ぶんの仕事をするだけだ。(解説より)

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