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なぜ“難しい本”を読むのだろう

以前から気になっていたこの問いを、普段ほとんど読書をしない夫にぶつけてみた。答えが面白かったのでメモしておく。

“難しい本”って、どうして読む必要があるんだと思う?
例えば同じ内容を『漫画でわかる〜』的な本で読むのって、ダメなのかな?」

このことをずっと考えていた。

私自身「できるだけ原本を読みたい派」なのだが、その理由をうまく説明できずにいた。「なんとなく、そのほうがいいような気がするから」としか言えなかった。

それと最近「『読書』といってもいろいろあるよな」とも考えていた。エンタメ的な読書とビジネス志向の読書がシェアとしては多いと思う。でも私はいずれでもない読書が好きだな、と……。

それは「ちょっと“難しい本”をあえて読みたいな」という意識でもある。決して「難しい本読んでます!」とマウントをとりたいわけではないんだけど笑、ただ、「なんとなくそのほうが面白いし、なんとなく意味があるような気がする」というモワっとした理由だった。

さて、「難しい本を読む理由」について、夫はなんと言ったか。

彼は以下のような二つの理由があるだろうと言った。

(1)読みやすく書き直された本には誰かの思考が加わっており純度が下がるから
(2)わかりやすく(特にビジュアルで)表現された内容は想像力を必要としないから

この二つの答えが非常に的確な気がして、ちょっと驚いてしまった。


彼はまず(1)を言った。

「そりゃ、(二次的に)手を加えられたものはダメだよ。絶対に手を加えた人の考えが介入してるじゃん。それはよくない」

こんなに簡単なことをなぜ説明できなかったのかと、私は、恥ずかしくなってしまった。

その通りだ。「難しいこと」が大切なわけではなかった。大切なのは「本物かどうか」だ。

特に「漫画でわかる!〜」などで描かれるものは往々にして古典であり、往々にして難しい。難しいからこそ漫画で説明しなければいけないのだ。

しかしある意味では、わざわざ漫画で説明しても需要がある程度に価値あるものだ、とも言える。

その真髄が果たして漫画で100%正確に伝わるか?──ノー、だと思う。

別に漫画じゃなくてもいい。私が以前読んだ阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』などは好例だろう。

これを読めば、旧約聖書のことが“なんとなく”わかる。とてもわかりやすい本だった。

でも……この本と聖書が完全なる別物であることに、疑いの余地はない。

聖書は、ただの物語だけではない。その本自体の中に『聖書』の音がある。息づかいがある。厚みがある。余剰空間がある。わかりづらく、無駄に思える部分もひっくるめてそれは『聖書』であり、永遠のベストセラーはあくまでこちらの『聖書』なのだ。

私は『旧約聖書を知っていますか』『新約聖書を知っていますか』を両方読んだが、それは物語の概要を読んだにすぎず、『聖書』の真髄に触れられる行為ではなかったと思う。


次に(2)について。

「じゃあさ、漫画で『源氏物語』読んでもだめなの?」と問いかけた私に対して

「だって、見れば『セックスしてる』ってわかるじゃん。一瞬だよ。見ちゃうと一瞬なんだよ。それじゃ想像力がまったく使われない」

これは私にとって「なるほどなぁ」という視点だった。彼いわく「俺は漫画ばっかり読んでるから逆にわかるけどね」と(なぜか偉そうに)言っていたが、私には欠けている視点だった。

文字情報は曖昧である。

確かに「AとBはセックスをした」とは書かれない(まぁ、書かれる場合もあるが)。しかし「状況からして……」とか「次の日にこうなったってことは……」とか「Aのこの台詞からして……」という風に、無意識のうちに想像している。

言われてみれば確かに、漫画のようなビジュアル表現では想像する必要があまりない。裸だし。ベッドあるし。抱き合ってるし……となる。

漫画が良いとか悪いとかではないが(私は漫画も好きだ)、たしかに、漫画化あるいは映画化・ドラマ化されてしまうと、想像する余地がかなり削がれる。読書は私たちの想像力を鍛える営みなのだと再認識した。

──だからといって、「難しい本を読んだほうが絶対いい」とは思わない。たまにはわかりやすく書かれた本を読みたい時もあるし、漫画化された作品が素晴らしい時もある。

また、ビジュアル表現だけがもつ芸術性は言わずもがなである。

ただ、「純粋であるから」と「想像力が鍛えられるから」という二つの理由は、私が抱いてきた疑問に対してかなりうまい答えになっていると感じたので、ここに書き記しておく。

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