暗号作成と暗号解読の行く末は…

■サイモン・シン『暗号解読(下)』

サイモン・シンは本当に面白いです。

シンの才能は、高度な内容をわかりやすく説き明かすだけにとどまらない。より素晴らしいのは「そこに感動がある」ことだ。(略)本書を読み進めるにつれて、暗号そして暗号解読は、人間の欲望や生き抜くための必死の努力から生まれたものであることに気づかされるだろう。そしてシンの手にかかると、血なまぐさい謀略や裏切りの連続であるはずの暗号の歴史が、卑小も偉大もひっくるめた愛すべき人間の営みとして浮かび上がってくるのである。(P.321)

と訳者があとがきで書いているとおり、ただわかりやすいだけでなく、人間に焦点をあてているので感動があるのです。


この本は暗号の歴史の後編にあたり、RSA暗号や量子暗号といったかなり高度な暗号の説明がされている。しかし、上巻から順を追って読んでいけば、それらの高度な暗号もなんとなく理解できてしまう。シンの理解力と要約力は本当にすごい。

オリジナルな研究をやるということは、愚か者になることなのです。諦めずにやり続けるのは愚か者だけですからね。(略)コケてもコケても大喜びできるぐらい馬鹿でなければ、動機だってもてやしないし、やり遂げるエネルギーも湧きません。神は愚か者に報いたまうのです。(P.120)

というのは、公開鍵暗号の生みの親であるヘルマンの言葉。説得力が半端じゃない……。


量子力学/量子コンピューター/量子暗号の話になると、それまでの暗号とは次元が違ってくる。

量子力学の話は、いつ読んでもぶっ飛んでいて大好きだ。この説明とかも(いたって真面目な話なのだけど)笑えてしまう。

多世界解釈を支持する人たちの信じるところでは、対象にいくつかの選択肢があれば、宇宙は必ず分裂する。そして分裂した宇宙のそれぞれにおいて、可能性の一つ一つが実現しているのである。このように分裂して増えた宇宙のことを“多宇宙”という。(P.243)

言っていることはわかるんだけど、感覚的には圧倒的に追いつかない、それが量子力学の語る言葉だ。自分の見ている世界とどうやって折り合いをつけたらいいかわからない。


詰まるところは、

「最先端の量子コンピューターが開発されればRSA暗号の地位は危うくなるだろうから、それに先立って量子暗号という絶対に解読不可能な暗号を作ってしまえ!」

というのが現状らしい。

しかし、技術とは別のところでいまだ解決されていない問題がある。暗号そのものがはらんでいる「個人のプライバシー」対「犯罪の抑制」という対立構造だ。

暗号は個人のプライバシーを守るが、同時に犯罪(秘密の通信)も守る。逆に、犯罪の抑制には暗号を解読する(または使用不能にする)ことが必要だが、それはすなわち個人のプライバシーを侵害することになる。

そこを解決しないままに量子の世界を突き進んで大丈夫なのだろうか?そればかりが不安に思えて仕方がない。

以前読んだ本の内容を思い出した。

科学には、未来に何が起こるべきかを知る資格はない。宗教とイデオロギーだけが、そのような疑問に答えようとする。
『サピエンス全史(下)』P.87
科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。イデオロギーは研究の費用を正当化する。それと引き換えに、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物事をどうするか決める
『サピエンス全史(下)』P.89

科学者や研究者は、ひたすらに進化を求めてしまう。彼らには「より速く」「より大きく」「より深く」「より強く」というシンプルな目標しか見えないからだ。その結果をどう使うかを考えるのは、彼らの仕事ではない。

だから、イデオロギーだったり政策という形で、舵を取る人間が必要になる。……はずが、そういう種類の人間のほうが明らかに不足しているように思える。

私は、科学にとても興味があるし、量子や宇宙にも強い関心がある。だからどんどん研究が進んで新しい事実を知れるようになることは、単純に楽しいし、ワクワクして見ている。

でもそれは「単純」な感想すぎる。これだけ知恵をつけて文明をつくってしまった私たちにとって、物事はそう単純には済まされないのではないか。


……というわけで、理系だけじゃなく文系の人間が必要だ!(唐突)

最近の流行りは理系らしくて文系が軽視されているようだけど、本来なら社会学とか哲学、文学、考古学、心理学、経営学、政治学、えーとあと何があるかわからないけど、そういう文系の人たちがきちんと舵を取らなきゃいけないはず。

とは言いつつ私も文系の限界を感じて理系に逃げた一人なので、何も言えないのですが。この問題はずっと気になっていて、ずーっと未来を憂いています。笑


人類は目的も定めずに(短期的にはあるかもしれないが、長期的にはない)どんどん暗闇をなくし、物事を白日の下にさらそうという努力ばかりしていて、結果として「逃げ場」を消してしまっている。もがいている内はその努力は自分たちのためだと感じるかもしれないが、いずれ自分自身を苦しめる結果になるのではないだろうか。核兵器の発明だって、医学の進歩だって、なんだってそう。


……と激しく脱線しましたが、面白い本です。読者への挑戦状もワクワクしました。『フェルマーの最終定理』も久しぶりに読みたい。

この本を締めくくる最後の一文を、以下に。

犯罪者を保護することなく情報化時代を豊かにするために、政府はどのように量子暗号と向き合ってゆくのだろうか?(P.287)


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