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「此の世に生れてから後にも先にも此の沈黙の数分間程楽しい時を生きたことがなかった」

■谷崎潤一郎『春琴抄』

佐助、それはほんとうか、と春琴は一語を発し長い間黙然と沈思していた佐助は此の世に生れてから後にも先にも此の沈黙の数分間程楽しい時を生きたことがなかった(P.79)

もし日本らしい美というものが何かしら形としてあるのならば、この小説は間違いなくその一つに含まれるだろうと思う。


SM的な関係性やショッキングな展開に目が行きがちだが、谷崎の真に優れているのは、おそらく読んだ人には言うまでもないことだけど、その日本語のリズム感である。

夏目漱石もリズム感がものすごいが、谷崎はそれに勝るとも劣らない。

彼の文章は、上の引用のように、句読点が非常に少ない(この文はまだ終わりではなく、ここから文庫版で6行ほど続いている)。こんなにも句読点が少なくて読めるのだろうか?と最初は怯むけれど、読んでみるとまったく問題なく読めてしまうので驚く。

句読点の挿入は、文章を書く人なら必ず悩む難題だと思う。句読点の入れる位置はその人らしい文章のリズムを生むのだが、ルールや正解がなく、気分によっても変わったりして、難しい。正式な文章では句読点を失くすものとされていたり(結婚式の招待状や年賀状などには句読点をつけない)、日本語における悩ましい問題の一つだ。

谷崎は、句読点を極力減らし、文章と文章が本来切れるであろう場所にも句点をつけないことで、息継ぎなしに語るような独特の文体を生んでいる。これが関西弁と相まって、まくしたてるようなそれでいてなぜだか鷹揚な雰囲気を生んでいる。

句読点は「読みやすくするために」設けるものであるが、谷崎の文章を読んでいると、本当にリズム感があって読みやすい文章には句読点など必要ないのであり、句読点でリズムをとろうとしていることは書き手としての怠慢なのだろうかと感じてしまうほどだ。

この文体がまず、美しさの一つ。


次に美しいのはその「愛」の形。

しかしこれが美しいと思うかはあくまで個人の感覚だ。短い作品だし一生に一度は読んでみて損はないと思うが、この変態性、嗜虐性、公にせず秘め事として持続する関係など、日本的な美だよなぁとしみじみ感じる。

この物語のクライマックスは……ネタバレになるので詳細には書けないが、どうにも日本人同士でしか成しえない恋愛という気がする。

ただし、ちょっと幼児趣味なのが女性蔑視とも取れるので、フェミニストの方々には受け入れられないかもしれない。


谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』という書でも有名で、日本的な光と闇の感覚を特別に大事にしていたひと。

もし、日本の美の感性がどこに存在するかに興味があったら、『陰翳礼讃』は読まないわけにいかない一冊だと思う。


やっぱね、日本人はネチっこいよねぇ。

昔はそれが大好きだったけど、最近海外文学ばかり読んでいるので、好きだけどすこし胃もたれしました。笑

谷崎は、好きな人は好きで嫌いな人は嫌いなタイプの作家だと思うので、一冊読むなら万人向けは『春琴抄』、もう少しチャラいのがよければ『痴人の愛』、物語より思想が読みたければ『陰翳礼讃』という感じでしょうか。

新潮文庫版『陰翳礼讃・文章読本』には筒井康隆の解説がついているようなので、一度読んでみたいな。

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