「恋は画家で、相手は画布だ」

■武者小路実篤『友情』

「男と女はそう融通のきかないものではないよ。皆、自分のうちに夢中になる性質をもっているのだ。相手はその幻影をぶちこわさないだけの資格さえもっていればいいのだ。恋は画家で、相手は画布だ。恋するものの天才の如何が、画布の上に現れるのだ。(略)恋が盲目と云うのは、相手を自分の都合のいいように見すぎることを意味するのだ。相手はそう唯一と云うことはないのだ。その人にめぐりあわなければ恋は生じないときまったものじゃない」(P.31)


エラリー・クイーンを読んでいて、どうもうまく世界に入れなかったので、休憩しようとこれを読んだ(ブックオフで100円)。

純度100%でひたすらに三角関係だけを描いている面白い小説。短いので一気に読める。


主人公「野島」がとにかく思い込みが激しい人で、申し訳ないけど時々吹き出してしまった。

まず、彼の結婚に対する考え方が現代と大きく違うところが興味深い。

彼は女の人を見ると、結婚のことをすぐ思わないではいられない人間だった。結婚したくない女、結婚出来ない女、これは彼にとっては問題にする気になれない女だった。 (P.12)

なんと歯切れのよい。笑

片思いする相手、そして恋愛というものへの理想化も甚だしい(彼にとってこれが初恋)。

彼は自然がどうして惜し気もなくこの地上にこんな傑作をつくって、そしてそれを老いさせてしまうかわからない気がした。(P.17)
杉子は彼のすることを絶対に信じてくれなければならなかった。世界で野島程偉いものはないと杉子に思ってもらいたかった。彼の仕事を理解し、讃美し、彼のうちにある傲慢な血をそのままぶちあけてもたじろがず、かえって一緒によろこべる人間でなければならなかった。(P.20)

恋がこんなに盲目だと思うと、恐怖すら感じてくる。

この野島は売れない劇作家?なのだけど、いちいち表現が回りくどいのも愉快。

彼はその話を聞いた時、矢張り少し淋しくなった。物質論者ならば、その一言で野島の脳のなかに何か毒素が生まれたと云うにちがいない。野島も亦そんな気がした。嫉妬、そんな名のつく。(P.19)

いやいや、一言で言えよ、と。笑


そんなグズグズした野島に対して、恋い焦がれる相手の兄が放ったのが、冒頭の一文。

「恋は画家で、相手は画布だ。恋するものの天才の如何が、画布の上に現れるのだ」

恋は運命なんかじゃない、と、浮かれる状態を批判する発言。野島はこの発言を聞いて、考え方が合わない!と捉えてしまうわけだけど(こんだけ思い込みが激しいから無理もない)、私はこの兄に「よく言った」と拍手したい気分だった。

好きな人が地球上唯一の相手ならどうやってみんな結婚するというの?確率から言ってそんなことはありえない。「恋は画家で、相手は画布だ」、素晴らしい。的確。

しかしそこで落ち込む野島に、三角関係のもうひとりの登場人物、大宮(イケメンでスポーツ万能で頭がいい王子様みたいな人)はこんなことを言う。

「恋を馬鹿にするから、結婚が賤しくなり、男女の関係が歪になるのだ。本当の恋と云うものを知らない人が多いので、純金を知らないものが、鍍金(めっき)をつかまえるのだ」(P.36)

これまた素晴らしい表現。確かにそうかもしれない。大宮いいやつ。


そんなこんなで、推理小説ではないのですが、構造が推理小説と似ている。最後の種明かしを読むと「そうだったの!?」と驚き、最初からもう一度読み返したくなる(私は騙されるために生きているような人間なので、普通の人は驚かないかもしれない)。野島にはちょっとひくなぁ、大宮かっこいいなぁ、などと思っていると最後はけっこうやられる。全員醜く、人間らしくてよい。

あと最近、同性愛について考えることが多いのですが(旅行先で見た芸術家が兄弟そろって同性愛で……どういう思考回路なのかを分析している)、『友情』の最後を読むと「女って嫌だな」と思っちゃいました。笑

同性愛が不自然だとされるのは、子孫を残さないイコール純粋な肉欲になってしまって、汚らわしいという印象なのだろうけど、逆に、理性的に突き詰めると同性愛にたどり着くのかも?と思ったり。子孫を残す+欲望を満たす、をなぜセットにしなければならないのか?そこを切り離したほうが整理されてないか?と思う(深く考えてはいない)。

しかも女という、醜くて面倒な存在を相手にしないといけない、と考えると嫌になっちゃうよなぁ。わかる。女って面倒だよなぁ。自分が男だったら同性愛になるかも。笑


楽しい休憩になりました。

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