自己啓発本について思うこと

今日は、読書関連でもちょっと毛色の違う話を書いてみたいと思います。


はじめに

私は自己啓発本を読みません。「なんとなく読まない」ではなくて「あえて読まない」という選択をしています。

これから書く内容において、自己啓発本を楽しんで読んでいる方を否定するつもりはありません。ただ、もしも「楽しいから」ではなくて「人生がより良くなるかも」という理由で読むとしたら、それはちょっと違うかも……という個人的な考えを書きます。


内容よりも「誰の言葉か」が大事だと思うから

そもそも自己啓発本とは何か?

ざっくり説明すれば「より良く生きるためのノウハウ」が書かれた本だと思います。

「自己啓発本」といってもサブジャンルはたくさんあると思いますが、その多くは、失礼ながら無名の著者によって書かれています。ベストセラーの本でさえも、「初めて名前を知った」という著者が多いのではないでしょうか。中には有名人が出している場合もありますが(例:ホリエモンとか)。

私はまず、この「無名の著者」が書いている、という点に疑問を感じます。なぜなら「より良く生きるためのノウハウ」ならば、その人がどう生きているかを知らなければ意味がないと思うからです。

例えば職場にすごーく仕事ができるカッコいい人がいたら、事細かに仕事のやり方を聞いたり真似したくなると思います。でも、全然仕事ができなかったり、自分にとっては憧れられない人の話を、聞きたいでしょうか。

前提として、その人に対する尊敬の念や憧れ、真似したいという感情がなければ「より良く生きるためのノウハウ」なんて聞いても無意味だ、と私は思います。

極端な話、実際に会って話してみたらめちゃくちゃ嫌な人で、全然好きになれない!……という可能性だってある。

「30代からの〜術!」とか「モノを〜個に厳選すれば幸せになれる!」といったキャッチコピーは刺激的ですが(それが売れる理由だと思います)、そのキャッチコピーを実践している著者がどんな人物像なのかを知らずに読んでいる人が多い気がするのです。

実践した先の人物像が見えていない場合……最初は言われたとおりに試してみても、着地点がわからないので、ちょっとやって「なんか違う気がする」となって、また別のを試して……となり、時間がもったいない。

だから、自己啓発本を読むなら、憧れの人が書いた本のほうがいいと個人的には思います。例えばホリエモンが大好きならホリエモンの言葉を読んで真似するのはいいと思います。「どうすればいいかわからない」と悩んだときに、言葉を摂取したいならば、きちんと理想像が結べているということが大切だと思うのです。


経験を欠いたノウハウは身につかないから

ただ、私が自己啓発本自体を読まないのにはもっと根本的で強い信念があります。

資産運用のやり方とか、Webデザイナーで稼ぐにはとか、上手な文章の書き方とか、そういうのならまだわかります。専門家の知識を得るためには莫大な時間や費用が必要とされるので、ノウハウを本で得るのは有意義だし有効な投資です。いちいちゼロからやる時間はないし。

でも「生き方」についての専門家なんていない。私は、そう思っています。

有名人だろうと、精神科医だろうと、哲学者だろうと、みんなそんなに「生き方」が上手いわけじゃないはずなのに、どこの馬の骨かわからない(すみません)他人にノウハウを聞く必要なんてないと思います。人生というのは、みんなが同じスタートラインに立って、(境遇の差はもちろんあれど)平等に進んでいくものではないでしょうか。

なおかつ、「人に教えられたノウハウは身につかない」と私は思っています。なぜなら、「人に教えられるとその瞬間に思考が停止するから」です。

「わからない→本を読む→実践する」というプロセスは肯定されがちですが、私は否定します。そのプロセスを信じてしまうと、「他人の言葉を摂取する前にまず自分で考える」という癖が失われるからです。

先ほど書いたような専門知識は別です。考えるための前提となる知識すらない状態なので。でも、「生き方」についての前提知識は、本を読める人なら誰でも持っている。なぜならすでに生きているからです。

自分で考える癖がないと、どうなるか。「なぜそういう行動をとるのか」が腑に落ちていないまま言われたとおりに行動してしまうので、その結果失敗したときに「なぜ失敗したか」もわからなくなり、また本を読んで……の悪循環になる。そんな気がします。

よく「こんなに有名な人がたくさん経験して失敗して得た知識を1500円で買えるなんて安い!」という文言を目にしますが、世の中そんなにうまくいくわけがないと思ってしまいます。ハイコスト・ハイリターン/ローコスト・ローリターンの原則がそう簡単に崩れるわけがない。どう考えても1500円は安すぎる。

1500円で得られる知識がそれなりでしかないのは、経験が伴わないからだ、と私は考えます。「たくさん経験して失敗して得た知識」が数十ページの文章で得られるわけがないのです。経験しないと(=自分の頭と体を使わないと)本当の意味では得られないものなのに、なんとなく得られた気になってしまうのはちょっと怖いです。

だから、本気でその知識が得られると感じて読んでいる人がいるとしたら、それは違うんじゃないかな。と思います。

ただ、最初にも書きましたが、多くを求めるのではなく読むこと自体が純粋に楽しいのであれば、一つの趣味として否定されるべきものではないとも思っています。私もエッセイなどを読むのは好きです。


おわりに

熱弁を振るいましたが、ふと、大きな自己矛盾に気づいてしまいます。

そもそもこの投稿自体が「自己啓発」的内容であり、「私という人間を知らない人(=ほぼ全員)にとっては全く読む意味がない」という事実を自分で熱く説明しているのです。

ちょっと、世にも奇妙な物語みたいになってしまいました。笑 涼しくなるといいな……。

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