あれも読書、これも読書。

ひさしぶりにKindleで読書をした。

私は基本的にデジタルで本を買わないと決めている(理由は以下の記事をご覧ください)。

それでもたまーにKindle(アプリ)を利用する。一時的に必要な知識やスキルを補うための実用書や旅行本などは、別に形として残さなくていいしむしろかさばるのが嫌だし、利便性や価格などもろもろ考えてKindleで買う。

今回は投資や資産運用に関しておさらいしたくて人気の本を買った。昨日の朝ポチっとした本を、今日の昼休憩で読み終わった。

面白かったからすらすら読めた……といえばたしかにその通りだ。でありながら、別に内容が薄かったわけでもない。

ただ、なんだろう。
「あぁ、これも読書なんだな」
という、えもいわれぬ違和感がある。


Twitterを見ていると「年間○百冊読んでます」という読書家の方がちらほらいる。そして固定ツイにあるおすすめ本のほとんどは今日私が読んだような実用書やビジネス書だ。

その「年間○百冊」のうたい文句を見るたびに「嘘やん」と思っていたが、今日、「なるほど、こんなにすらすら読めたら年間○百冊は可能だな」と感じた。

ただ速く読めるというだけではない。なんていうかな。心につっかかる部分が全くなくて、疑問に感じたり悩んだりすることもなくて、イメージする必要もなくて、だから読書が全く苦しくなかった。


そう、私は読書が好きでありながら、同時に苦しいのだと気づいた。

少し前に読んだガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』やいま読んでいる志賀直哉『暗夜行路』は、いずれも「タイトルはいかついけど意外と読みやすいじゃん」と感じる部類の小説だ。単純に面白い。

しかしそれでも、今日の読書に比べると何倍も苦しい。

面白い。けど、読むのが苦しい。「辛い」ではなく「苦しい」が近い。

苦しいな〜じゃあもっと苦しくない本を読もうか。と思う時もあるけれど、じゃあ今日読んだようなすらすら本を毎日読んでいれば幸せになれるかと問われると、違うなと感じてしまう。

苦しいからこそ、私は何かを体験している。

うまく言葉にできずもどかしいけれど、そんな風に感じる。


私は、読書には苦しみが伴うものと思っていた。いつからかはわからない。わりと最近かもしれない。

──苦しい読書を続けて、あなたは立派な人間になっているの?

と聞かれると、別にそんなことはない。文章力も人間力も上がったようには感じられない。この読書が何かの肥やしになっているか?わからない。

けれどもとにかく、苦しみの伴う読書こそが「私のしたい読書」だ。それ以上でも以下でもない。

誰かにお勧めしたり押し付けたりしたくはないけれど、これが今の素直な感情。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?