「この証明を完成させるための方法がある。でも私には時間がない」
■加藤文元『ガロア 天才数学者の生涯』
この証明を完成させるための方法がある。でも私には時間がない。 ー 284ページ
ガロアは弱冠20歳で死んだ。彼はすでに大きな視点で数学の未来を自らの内に描き、世に伝えんと必死だった。が、その短い生涯のうちではガロアの理論はついに理解されなかった。
冒頭の引用はガロアが死の直前に残した言葉である。この言葉を知らなくても、数学好きな人ならばちょっと既視感を覚えるかもしれない。
「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」
(サイモン・シン『フェルマーの最終定理』より)
フェルマーのこの走り書きはあまりにも有名である。
彼が本当に「真に驚くべき証明」をもっていたかは定かではない(実は証明できていなかったのでは?と疑問を抱く声もある)が、この言葉に数学者たちは翻弄され、焚き付けられ、ついにワイルズが最終定理を証明したのは1995年のこと。
ガロアの場合、足りなかったのは余白ではなく時間だった。
彼は後に「ガロア理論」と呼ばれる素晴らしく画期的な理論……いや、素晴らしく画期的すぎてあまり理解されなかった理論、を伝えんと、死の前夜を徹して友人に手紙を書きまた自らの論文に加筆していたようだ。
20歳。
その理論の骨格は数年前にはできていたという。ちょっと信じられない。
疑う余地のない天才の死はあまりにも早かった。
僕を忘れないでほしい。この国が僕の名を心に刻みつけるほどには、僕は長く生きられない運命だったのだから。 ー 282ページ
素人の私にはその「ガロア理論」とやらはわからない。この本はゴリゴリの数学書ではなくて伝記なので、数式や詳しい説明はほとんど出てこない(だから、安心して読んでほしい)。
それはちょっとやそっとの解説で素人が理解できるような理論ではないようだ。
だが、かいつまんで説明されている内容と、著者が書いた『物語 数学の歴史』に出てきた「対称性」の話を組み合わせて、なんとなくぼんやりとイメージできた気がする。
そのぼんやりとしたイメージ程度でも私は心が震えて、ガロアの素晴らしさに感動すると同時にその孤独さを想い、悲しかった。
素人の私が拙い言葉で説明することを許してほしい(多少間違っているかもしれない)。
ガロア以前の代数学は「いかにして解くか」という、数とアルファベットを用いたゲームだったように思う。ガロアが取り組んだ(うちの一部である)「五次以上の方程式」についても、「一般解が存在しない」ということが予見されていたものの、数学者たちの関心は「一般解が存在しないという事実を、これまで積み重ねてきた数学の決め事を用いていかに証明するか」という方向に向いていた。
これはごく自然なことのように感じられる。目の前に解けていないものがあり、解けそうな気がしたら、できるだけ美しい解き方を探す。なんの飛躍もない真っ当な流れだ。
でもガロアは──まだ高校生ぐらいの少年だったガロアは、一気に飛躍してしまった。数学を天上から見下ろすかのごとく、全体で理解してしまったようだ。
彼は「難しさ」による分類、言葉を変えて「曖昧さ」による分類、という理論を提示した。これに関する説明は私の力では到底無理だ。全然わかってない。しかし、彼が必死で数式に向かう大人たちを小馬鹿にしても許されるぐらいの高みに達していたことは、私にもなんとなくわかった。
私は最近「直観」についてずっと考えている。直観という脳の作用が気になる。一体それはなんだろう、どのように生れているのだろう、と気になって仕方がない。
ガロアの業績はまさに「直観」だったように思う。
物事を具体的に見たり細部を観察して積み上げても得られないもの、いや、それらも礎となっているがしかし圧倒的に「ひいた」視点からみて初めて得られるもの。
直観は、大きい。
直観は、根本的で、かつ、体系的である。
直観は、新しく、また創造的で、未来に開かれている。
今の私にはその程度の語彙でしか表現できないが、ガロアが見つけた「群」なり「集合」なり「曖昧さ」という、当時は新しすぎてガロア自身が説明する言語体系に不自由していたと思われるものたちが、きっと、10代後半の彼にとっては──彼の脳内では一つの「絵」として浮かんでいたのだろう。そのことだけはわかった気がする。
その「絵」は、(彼に到底及ばないのは重々承知したうえで勇気を出して述べると)本書を読んでいる私の頭の中にもうっすらと雲のように浮かびかけた。ガロアの1/100にも1/1000にも満たないようなぼんやりとした「絵」だと思うけれど、彼はこの「絵」を100倍も1000倍も解像度の高い「絵」として脳内に描いていたのだろう、ということが感じられた。
これがきっと「ガロア理論」なのだ──。
この感動を私は言葉にできない。
いつもこうして、感じたことや考えたことを言葉にしようと必死でキーボードを叩くが、その試みは直観的であればあるほど結実しない。
「言葉にできない」というフレーズは極力使いたくない。書くからにはどんな感覚もどんな感情も言葉に変換したい、どんなにダサくても冗長でもいいからできるだけ正確に伝えたい、と思って書いている。
でも今はどうしても言葉にできない。
そのことが悲しく、もどかしい。だからこそガロアがこの「絵」をものすごい解像度で脳内に抱いてしまっていたとしたら、それを伝えなければいけないと感じて必死で戦ってそれでも「絵」の解像度に対して言葉が不足して(さらに歴史や不運も手伝って)理解されなかったことがきっとこの100倍も1000倍も苦しかっただろうと思う。
彼を指導するのは本であり論文であり、そしてなによりも自分自身の脳だったのだ。誰も当時のガロアを激励し方向付けるものはいなかった。彼はまったく孤独だったのである。 ー 64ページ
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