赤いハンドバッグと一冊の本

もう何年前のことだろう?計算するのも億劫なほど歳を重ねてきた。──少なくとも自分では、そう感じる。


二度目の大学卒業後、就職した小さな職場は超体育会系だった。毎晩終電で帰宅し(それも女だから許されただけで男は自転車通勤ないし泊まり込みだった)、平均5時間睡眠、週休1日。

「終電なので帰ります」

と言う私に対して、何かとっても言いたげに

「──はい。」

と答えたボスが忘れられない。

体力のない私はわずかひと月でドロップアウトした。

仕方なく、卒業した大学でちょっといかがわしい仕事をして食いつないだ。が、冬ごろにそのいかがわしい仕事すらも消え失せそうになり、この先どうしようかと困り果てた。

そんな折だった。都内のルミネに入っているセレクトショップで、赤いハンドバッグを見た。

・・・

手の届きづらい棚の上方に飾られたそのバッグは、カッチリしているのに懐かしい佇まいで私を見下ろした。本体は朱色に近い赤色。やや丸みを帯びさせた四角い形状に、ステッチが効いている。持ち手と取り外し可能なショルダーストラップは、いわゆる革っぽい明るめの茶色。

ありそうでなかった鮮やかな赤、その色を引き立たせるかのごとくマニッシュで角張った形、野生味を抑えたなめらかな革の質感、少しレトロな金色の金物が色気を足す。

一目惚れだった。

「5万円超のバッグなぞ買っている場合ではない」。そう自分に言い聞かせて帰ったもののどうしても我慢ができず、次の日かそのまた次の日か、ルミネにわざわざ出向いて買ってしまった。

包容力は今ひとつだった。革の質感にハリがあるうえに、形状を保つために内側に折られたマチ部分が邪魔をし、物があまり入らない。

それでも──だからこそ、と言うべきか──「美しさを維持するためには何かを犠牲にしなければならない」という感覚を、私はこのバッグを通じて学んだ。

・・・

その後私は二度就職(転職)した。一人暮らしから二人暮らしになり、ついには三人家族になった。世間では平成が令和に移り、コロナが流行ってまた収まりかけた。森ガールが廃れ、真っ赤なリップとハイウエストのタイトスカートを経て、多幸感溢れる色とローウエストのバギーデニムが街を彩りはじめている。

それでも私はまだ、この赤いバッグを超える美しいバッグに出会えていない。

私が当時掲げた目標も、道に迷った時に戻ってくる場所も、このバッグだった。

「こういう美しいものをつくりたい」

夫はその抽象的な感覚を理解できないようで、やんわりと否定されたりもした。けれども私は譲らなかった。この赤いバッグは私の心を支え続けている、いわば道標だ。



──お盆明けの気だるい通勤電車の中で、一冊の本を開いた。

かつて私が勤め、一ヶ月で辞めた職場。そのボスが執筆した本だ。

私自身元スタッフなどと言えない立場だと思っているし、向こうも同じ認識だろう。全く連絡を取っていないからもう名前も覚えていないかもしれない。正直、私だって普段はすっぱり忘れて過ごしている。けれどもこの本が無性に読みたくなり、買った。

私が辞めた後に事務所はどんどん規模を拡大し、国内外問わず仕事が殺到する売れっ子になった。その経緯が書かれている。

記された言葉を読むと、文章として特別上手いわけではないのに心を打った。おそらく嘘もあるだろう。というより、汚いことは隠しているだろう。私みたいに体調を崩して辞めた人も多いと噂に聞く。けれども、少なくとも本に書かれた言葉や作品の説得力は凄かった。

誰かに伝えたくて、伝えるための言葉が頭に浮かんで、制御できなくなった。良い本に出会うといつもこうなってしまうのだ。

ふと、新しいことをやりたい、と思った。

曲がりなりにも重ねてきた仕事の経験と、文章を書くことへの尽きない渇望とを、この方法で一つにまとめられるかもしれない──。

運命の悪戯とはこのことだろうか。

・・・

やれそうだ。いや無理かもしれない……不安だ。儲かる気がしない。と行ったり来たりをこの数日間繰り返している。

でもなんとなく手応えがある。自分の感覚に、だ。

誰かに話したらこのアイデアをサッと盗まれてしまいそうで、落ち着かなくて、相談すらできずにいるのだが。


──あの日みつけた赤いハンドバッグと同じように、いま手元にあるこの本が、新たな道標になってくれる予感がする。



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