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察して論で会話しない

Boyaです!

こんにちは!皆さんは他人とコミュニケーションしている時に無意識に察して当然みたいな会話の流れを感じることはありませんか?

日々の夫婦の会話や会社の同僚との会話、友達などでこんなパターンの会話の流れになってるんだから、「言うまでもない」という風潮を感じることはたたると思います。

日本人は「察しと思いやり」が信条とされているため、その風潮は強いと思います。察することは大切ですが、他人に求めるとなるともっと大切な思いやりを見失うことになると経験上感じます。

察してほしいという気持ちを止めることで僕は大分コミュニケーションがしやすくなりました。そんな察することを他人に要求する「察して論」について記事を書きたいと思います。

それでは言ってみましょう!

「察して当然」「察してよ」という気持ちは基本的に自分に余裕がない時に考えてしまう気持ちだと思います。他人に配慮する余裕がないために、自分の価値観を相手に押し付けているような状態なのではないでしょうか。

多様化した世の中で他人の思考や振る舞いを察する(先読みする)ことは難しく自己開示することに慣れていない国民性になっている日本では非常に難しいのではないでしょうか。

この察して論で物事を考えているとどんなデメリットがあるのかを僕の経験上でまとめたいと思います。

察して論のデメリット

・他人にプレッシャーを与える
・他人が自分の期待通りに動かない一つ一つにストレスを感じる
・コミュニケーションが成立しない
・マイノリティーを許容できない
・自己発信が不得意になる

などなど、人間関係構築の要素が尽く成り立たなくなるのではないかと僕は考えます。

「ここまで言ったんだから」や「この状況なんだから」という気持ちの後に「言葉で言わなくてもわかるでしょ?」「いちいち言わせないでよ」という振る舞いや雰囲気を出すと「相手はわからなくても空気を読んでそれ以上聞かない」という心理になってしまいます。プレッシャーを与えるのは言葉で表現するだけでなく、振る舞いや語気などノンバーバルコミュニケーションで与えているケースもあるため、要注意です。

察して論で考えていると他人が自分の期待通りに動かないことに対していちいち気になったりします。それは相手だけではなく自分自身にもストレスです。

また、最後まで明示的に言葉で表現しないため、コミュニケーションが成立せず、相手は誤解した状態で進めてしまう危険があります。例え定型的定例的な事項においても明確に表現した方が良いです。

察して当然と考えている場合、基本的には自分なりに定型化されたパターンに相手も当てはまる(テンプレート化)と考えているのではないかと思います。そのため、例外的な思考パターンで相手が動くと許容できなかったり、苛立ちを表します。「この会社にいるのだから、こういう考え方をするものだ」というように入社時オリエンテーションで習った知識や手法についてならまだしも生き方の思考パターンを強要しているケースもよくみてきました。

察して論が強い人は自己発信不得意な人が多いと思います。特に自分の気持ちを素直に伝えることが著しく不得意で他人からも誤解されているケースが多々だと思います。普段から自己発信になれていないので、「他人が勝手に理解してくれる」と無意識に期待している人が多いように思えます。そして、いざ自分が素直に気持ちを伝えようとすると普段から慣れていないので周囲の反応が薄く勝手に傷ついてしまうということも良く聞きます。

察して論の人は基本的に自己中心的に物事を考えているように思います。自己発信が苦手だからどうしてもそうなってしまうということも自分の変化を恐れて普段から自己発信を怠っているとも言えます。

それではどうやって「察して論」から抜け出せば良いのか。僕なりの考え方をご紹介します。

察して論から卒業するポイント
・明示的な言葉伝えることを意識する
・人それぞれで受け取り方が異なることを理解する
・普段から自己発信を特訓する

明示的な言葉伝えることを意識する

正確に伝わらない場合は言っていないのと同じです。そのため、相手に正確伝わるように「明示的な言葉」で伝えることを意識します。感謝しているならば「ありがとう」とはっきりと伝えるなどです。YesやNoかを質問されているのに背景などを説明してわかりづらくするのではなく、「私はNoです」と最初に答えて、「なぜならば〜〜〜」と説明するのです。

人それぞれで受け取り方が異なることを理解する

人によって受け取り方が異なることをしっかりと理解しましょう。
「こういう流れの会話ならばこの解釈して当然だ」
というような認識でいると尽く認識の不一致が起きることは多々あります。仕事においてはこういうシチュエーションに陥ることが多々あります。同じ部署やチームにいて皆同じ情報や共通認識でいるから、「皆まで言わなくても理解していて当然」というようなことは多々あります。

時間がもったいないから詳細に説明しないということは多々あります。しかし、そこから誤解が発生して間違った成果物が出てくることはオフショア(海外などに仕事を発注したりする)などを経験した方は多いのではないでしょうか。

この考えは私生活にも現れます。同じ屋根の下で住んでいるのだから、皆まで言わなくても同じ考えのはずという感覚で皆まで言わないと「実は本心は違っていた」ということがあるのではないでしょうか。例え家族や家庭であっても、会社、学校、近所付き合いなどでそれぞれが別な環境で別な会話を経験してきているのだから、受け取り方が異なることを理解していてください。

そのためにしっかりと相手の意見を聞き、考えや本心を聞き出すことが大切だと思います。

普段から自己発信を特訓する

とにかく普段から自分の素直な気持ちや考えを自己発信することが大切だと思います。普段周囲にいる人もいきなり重大なことを普段何も言わない人が言うとショックが大きいので、普段から少しずつ練習していくことが大切だと思います。また、普段から自己発信しつつ、他人からの考えを聞き慣れて分析する癖をつけておくと、良い意味で「察しと思いやり」をする力が身につくと思います。

受け身ではなく主体的に自己発信する。しかも、自分の考えを押し付けるのではなく冷静に相手に伝える特訓をしていきましょう。最初は周囲の人も少しびっくりするかもしれませんが、「今までは自分の気持ちを表現するのが苦手だったから少しずつ表現しようとしていくので協力してくれる嬉しい」と言ってみると良いと思います。そこで茶化してくるようだったら、その方との関係性を見直せば良いと思います。

今回は「察して当然」という考えを「察して論」という僕なりの造語で説明しました。人間関係を構築していく上で障害になりがちな思考の癖のため、ぜひ皆さんも注意してみて欲しいなと思います。僕はこれを意識することで僕と良く会話する人からは「僕が何を考えているのかわかりやすい」と好感を持ってくださっている方が多いです。

やはり何を考えているかわからないと思われることは不安に繋がってしまうため、できる限り透明性を持った印象を与えることが大切だと思います。

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