私が私に言いたい事

 表現することというのは,自分にとって幼い頃からとてもハードルの高い行為だった。乏しいボキャブラリーで,内面にある名状しがたい感情と沸々と浮かび上がっては消える思考を,正確に他者に伝えるという難題。


 私は生来完璧主義のきらいがある。自分の思っている事が相手にずれて伝わってしまうというのは私にとって非常に歯痒く,また許しがたいものだった。こと文章や絵は,一発で正確に表さねばならぬ,と最早病的に完璧さを追求しようとするため,白紙のまま進まないのが常。おかげで作文は小学2年生からまともに書いた覚えがない。

 

ところが,学校のお勉強だけなら,表現がどうたらと考えずとも文章で書くもの以外はそれなりにできる。作文は先生に怒られればそれで済んでしまう。立ち向かわずにやり過ごす事を覚えた少年は,その範囲を長期休暇の宿題,日頃の課題へと範囲を拡大させていった。


 結局小学4年生以降,宿題をしっかりマジメにやった記憶は無い。毎度未提出。明日出しますを先生が諦めるまで言い続けた。ワルガキだ。それも救いようのない類の。結果として,私は成人してからも逃げ癖が抜けず,目標へ歩みを止め続けるハメになっている。

 

 こういった面倒くさい気質は,この他人に読ませる気のない回りくどい文体からも伺えることだと思う。成長してなお己の感情を言葉にできない私は,混沌のパルスを打ち込んでは消し推敲して白紙に戻す行為を繰り返し,思いついたフレーズをそれっぽく並ばせてこの文章を作っている。脈絡(ラクミャクだと今まで勘違いしていたことをここに告白する)など存在しない。因みにこの無為な文章を書き終えるのにも90分以上かかっている。


 言語化,形にするのがニガテで,何事も苦にならない範囲で行おうとする怠惰で怠慢で退屈な人間。では,なぜそんな私が今自分のことをウダウダと書き綴っているのかといえば,一言で ”修行” これである。目標,あるいはなりたい自分になるために必要なこと。言語化能力,論理的思考,堪え性,立ち向かい続ける気力。齢20を超し漸くそれらを獲得せねばならぬと悟ったのだ。


 これからこうして自分の考えを文字に起こすことで,カオスな思考をまとめる練習をしていくわけだが,これは何も「必要だから」というだけではない。私の貧弱なアウトプット能力は,今まで自分の”好き”を言語化することの妨げであった。私は誰で,どういう人間で,何がどうして好きなのか。いずれ自分が納得できる文章として表現できるといいな,と思う。


自己紹介も出来ないのかこの人は,とお思いか。私も自分にそう思う。私が何を思っているのかわからない。こいつは誰だ。私がこの枕草子を続けることができたら,わかるようになるのかもしれない。



以上,はじめての記事は自己紹介やこれからやりたいことを書くのがおすすめです,とnoteに言われて書いた記事でした。

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