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ちんちんエッセイ 『ウケない。』

「まいにち大喜利」の大喜利の講義回をみた。
『「まいにち大喜利 produced by au」・ともしげ大喜利勉強会』

 この動画、とても面白いし参考になる。その一方、講義の肝の一つである「それを言う人に見合った解答」をせよ、というところに、正しいけれど、辛いなあと思った。

 特に動画の最後のほうの、ともしげさんの表情にそれを感じる。
 わかる。自分に見合う、とされたその答えをしたくない気持ち。
 結局、習った講義で学んだことではなく、自分のやりたい答えを出す・モグライダーというお笑いコンビの、ともしげさん。
 そして、その答えで、ウケない感じ。
 
 動画の中でともしげさんは、いつもわずかに背伸びした、頭のいい人のやる解答を出し、それを指摘される。
 ともしげさんにとって一番ウケる回答は、ともしげさんのキャラクター性である「小学校高学年の人」が出すような解答であると講義される。
 でも、ともしげさんのなかで受け入れられなさがあるように見えた。

 ふと、何のためにお笑いをやっているんだろう。

 僕の場合、何のために表現をやっているのかというと、「今の自分ではないどこかへ行くため」みたいなところ、あった気がする。現状の自分が嫌いで、お笑い――僕にとっては文学とか、アートだったけれど、それを選んで、こことは違う何者かになり、何かをすることで、知らない場所に行きたかった。

 でも結局、笑いにしても、表現にしても、ウケ≒観客からの好意的なリアクションは、自分の身体性を越えたところにはない。
 身の丈に合わない表現は、明快にウケない。
 あこがれた表現をしている自分には、なれない。
 ウケが必要な場面では、ありのままの、そこに留まっている、みんなから蹴られ、馬鹿にされ、面白がられている現在の自分が言いそうな事を求められる。
 その方が、安心感があるのだろう。キャラクターに見合った事を発して「観客に分かりやすく、観客が既に知っている事を(少しだけ意外な切り口で)確認」することで、現代のエンターテインメントは成立している。

 動画の中で、ウケなかった解答を出したともしげさんの顔が、俺の顔みたいだった。

 じゃあ顔を隠して、違う名前で、違う人生になりすまして大喜利を答えればいいのかというと、それもバレる。
 動画中で赤嶺総理(芸人さん)が指摘していた通り、何本か大喜利の解答をしていると、人間性が透けて見えてくる、というそれは、詩歌や文学、アートにしても同じだろう。
 出てきた作品を並べた時、自分が無意識に透けてくる。にじみ出てきてしまう。
 
 知らない場所に、いけないのか。

 僕を馬鹿にする学校のクラスの連中のいない、誰も知らない場所で、あの頃の松本人志みたいな解答をしたかった俺はどうすればいいのか。
 そういう夢は、間違いなのか。

 間違いなのだろう。表現の上で、絶対間違いなのだろう。
 誰かに憧れている時点で、それは自分を二番手にすることだから。
 一番じゃなくてはだめだ。それか、唯一のものでなくては。それ以外は、たぶんきっと、表現の上で、笑いの上で、間違いだ。

 でも、間違える自由、ウケない自由だってある。

 俺の人生はきっと、ウケない自由を自分で選んだから、この貧困なのだ。 
 経済的に幸福な国で、自分から貧困になりに行ったのだ。等身大の、自分らしい、身の丈に合った、クラスの連中から蹴られながらニコニコする生き方を選べば、きっと今頃、ご飯は食えていただろう
 
 でもなあ、夢見ちゃったからなあ。たった一言、面白い事を言えば、人生が鮮やかに逆転する感じ。
 何かをしてウケると、クラスメイトは僕を蹴らない、という事を知ってから、僕は表現に走った。その後知識をつけ、アート系・小難しい文学系の理論武装して、今に至る。
 でも、いつだって自分の身体性以上の何かをやろうとして、自分の顔を、器を、身の丈を無視した事をやろうとし続けて、結果、来月の家賃が払えない。

 それは仕方ない。
 諦めよう。
 諦めて、死にながら、家賃を払えないまま、ウケない大喜利を解答し続けよう、と思った。

 フリップに、自分は面白いと思って解答を書く瞬間は大好きだ。とても好きだ。
 解答を出す前に眺める自分の回答は、ほれぼれするくらい輝いて見える。
そして、自信をもって出し、読み上げるネタは、いつだってウケない。でも、僕だけは笑おう。
 
 一度だけ、素人の大喜利大会に出たことがある。2回だけ回答した。まったく受けなかった。以降、ずっと下を向いていた。
 大喜利大会がいいのは、誰も僕を背中から蹴ったり、金魚の入った水を飲ませてこないから、とても楽しかった。

 楽しくありたい。地獄でも笑顔で、笑って生きていきたい。そして、ちんちんをだしていきたい。
 引くんだよな、ちんちんを出すと。通報もされる。
「お前はそれ、一番大喜利でやっちゃいけないことだぞ」と、モグライダーの芝さんの声で本気で怒られるだろう。

 でも、ちんちんを出そうと決めたからなあ。もう決めたんだ。今の自分の経済状況的に、懲役の方が生活は実は楽だ。
 ちんちんをだして、引かれながら、迷惑をかけながら、表現に対して不実な態度であると皆から後ろ指さされながら、死にながら生きていきたい。生きたいんだ、こう見えて。
 生きていい外見ではないし、生きていていいキャラクターでもないけどさ。蹴られたり、死んでる方が、キャラに合っているし、みんなに望まれている気がするんだけど、でも、生きたいんだよなあ。

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