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ちんちん短歌にとってちんちん短歌とは何か

 ちんちん短歌にとって、ちんちん短歌とは何なんなんだろうなあと思った。これは、ちんちんにとって、ちんちんとは何か、みたいな事なんだろうか。要するに何が言いたいのかというと、何が言いたいんだろうなあという事なのである。もう何がいいたいのか。

 あらためて説明ですが、私たち「ちんちん短歌出版世界」は、『ちんちん短歌』をこのあいだ出版しました。ちんちん短歌が千首収録されています。
 以下、収録されているコラムより部分抜粋。これは、文学フリマのwebカタログにも掲載したもので、無料で読めたのでこちらにも再録します。一応これが、本にするとき考えた理屈ではある。

 短歌に「ちんちん」を入れたいとおもった。
 ちんちんという単語を入れた短歌というものを、私はあまり知らなかった。私は三十四年、人間をやり、無職をやってきたが、無職だけどそれなりに短歌は好きで、「あなたはなぜ仕事もせずに短歌ばかり眺めているんですか」と、当時専門学校生だった交際相手になじられたこともあった。
「死んでください。もう二度と会わないでください」
「どうしてセックスのことしか考えないのですか」
「あなたにとって私は所詮子供ですよね。子供相手にセックスするのって犯罪だと思います」
「死んでください。わたしが病院に行くお金を払ってください」
「もう二度と会わないでください」
 とか、そういう声は心の中の思い出の中でよく聞くものの、他人の口から「ちんちん短歌っていいよねー素晴らしいよねーうひゃあー」という言葉は、ついぞ聞かない。
 ちんちんを短歌にいれたら、きっといいぞ、これを「ちんちん短歌」と名付けて、楽しんで作ろう、これで俺は、文筆っぽい仕事をやってる人っぽくなるのだうひゃあ、と、その時私は希望のようなものを持っていたが、検索をかけたら私がちんちん短歌の事を思い抱く前から、ちんちん短歌はあった。単に私の勉強不足だった。万葉集や古今集和歌集をあたり、ダイレクトに「ちんちん」が読み込まれていることはないのを確認したつもり(※)だったが、甘かった。すでに多くの人がちんちんを短歌にしたため、面白がっており、詠み方のコツなどを伝授するブログもあった。
「ちんちん短歌」は、私の発明などではなく、ごくありふれた花であって、花壇に植物は性器むき出しのままでいてその辺にあって、風にゆられて、いいにおいを出している。そのことに、人々は別に無頓着でいる。正気でいる。こんなにたくさん性器が、そこにあるというのに。
 だが不思議なことに、ちんちん短歌は生まれてはいたものの、はぐくまれ、育てられた形跡はなかった。
 少なくない人が、ちんちんという単語を短歌の中に入れて、面白がったり、連作をしたためていたりする。だが、そこまでだ。誰も専門的に、ちんちん短歌を追及したり、量産をしようとする人間はいなかった。ずっとずっとちんちん短歌を詠み続け、死ぬまで作り続け、死ぬまで愛していこうという人間はこの世にいなかった。
 それはなぜなのか。
 世界がなかったからじゃないか。
 ちんちん短歌を専門的に詠んでよい、作ってよい、という世界が、まだこの世にはなかった。だから、滅びた。偶発的に「ちんちんを短歌の中に詠みこむと、なんだかおもしろい」という発見はあり、数首生まれる。だが、世界がないので、生まれてきた子供たちはそのまま、地獄の穴へ落ちていく。どんどんどんどん、生まれては、落ちていく。まるで俺みたいに、何にもせずに、ぼーっと過ごしながら、ただ下の方へ、下の方へ、より下の方へ。
 ちんちん短歌の世界を私が作ったら、落ちていくべきはずのものたちは、留まることができるんじゃないだろうか。生きることができるのではないか。
 生きてさえいれば、別れた交際相手もまたセックスしてくれるんじゃないだろうか。交際相手だけではない。私が「いいなあ、セックスをしたいなあ」と思った人たちにも、ちんちん短歌を通じていろんなことができるのかもしれない。生きてさえいれば。
 だから、世界を作ろうと思った。ちんちん短歌を詠まれ、さらに作られ続ける世界を作るためには、まずはちんちん短歌そのものもたくさん作ろう。そしてそれらをまとめて出版という形で、ちんちん短歌を具現化させよう。具現化のために、それで、だから、私は、ちんちん短歌を、とりあえず千首詠んだ。これを、世界、としたい。
 それが、「ちんちん短歌出版世界」であり、まずは世界を作って、ちんちん短歌がこの世にあるよ、といろんな人に知ってもらいたい。そのうえで私がしたいのは、短歌を使って人と知り合って、セックスがしたい。
 平安人がセックスをするとき、まず覗きをしてから、短歌を作って送ったのち、返事が来たらアポをとり、その後セックスをしたそうだ。ちんちん短歌のある世界では、短歌を使って他人とセックスできるような、そんな世界になったらいいなと思っている。
 つまり私はセックスがしたいのである。世界の中にいて、生きて、ちんちんを出し、セックスをして、生きていきたいのである。

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 これを『ちんちん短歌』の序文として載せたのだけれど、でもこれも「藤田さんにとってちんちん短歌が必要でやりたかったんだなあ、セックスしたかったんだなあ」は伝わるものの、ちんちん短歌にとって、もっといえば、短歌にとって、短歌とは何なのかが、まったく理由になってない。

 このへんを、増補改訂版にむけて、考えなきゃいけないんじゃないかなあ。

 そもそも、たくさんの人が短歌を詠んでいる。こんなにたくさん短歌があるのだから、もう、いいんじゃないか。なぜ、新しく歌は詠まれなくてはならないのか。

 そもそも、なぜ人は、また新しく生まれてくるんだろうなあ。そのためになぜ、ちんちんは射精しなくちゃいけないのかなあ。このへんを考えてちんちん短歌を作らねばならないと思った。

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 本日の有料パートは、『ちんちん短歌』で巻末に載せた短歌のリファインです。
 一番最後に載せた短歌なのだから、当然気合が入っているやつだ。でも、ふと「正直な気持ちをうたってはいるけど、範囲が狭くないかなあ」と思ったのだった。歌人の人は嘘でも遠くに届く歌と、正直でも足元に落ちる歌と、どちらを採用しているんだろうなあとおもったりなんだり。

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