ちんちん短歌を詠む以上歌会に行ったら犯罪になる気がする。
わたしたち、ちんちん短歌出版世界の出版した短歌同人誌『ちんちん短歌』には、コラムが3つくらい収録されている。その中に、こんな事を書いた。
私は、ちんちん短歌を詠んでしまう以上、今後一切、「短歌」は詠まないし、あらゆる短歌結社に所属することもない。歌会に参加することもなければ、新人賞的なものに投稿することもしないし、できないと思う。ちんちん短歌と銘打ち、短歌を出会い系ツールとして扱ってこの界隈にセクシャルなものを持ち込む以上、それだけの覚悟と制約は必要だと感じている。
特に、「歌会」には、ちんちん短歌を作ってしまった以上、絶対に参加しない。
(『ちんちん短歌』39p)
簡単に言えば、私が短歌を詠むということは、「セックスさせてください」なので、「歌会」みたいな、男女混合の密室空間に行くのはご迷惑をかけちゃうのはつらいなあ、という事である。
コラムにはこのあと続けてこんな風に書いた。
こうした短歌を思いついた時点で、私の存在は誰かにとっては精神的な暴力でもありうることだろう。自分の存在は、性的につらい思いをしている人を傷つけうる。私がこの世に生きて普通に生活して、時にすき焼きを食べて笑顔で下落合で暮らしたりしながら、ちんちん短歌を作るという現実は、誰かにとっては耐え難い屈辱でもあるだろう。
誰かにとって私は、生きているレイプ魔でありうることは、強く自覚しなくてはならない。
ちんちん短歌を出した時点で、どこか犯罪者になった気持ちでいる。短歌文化を愚弄し、「セックスしたいです」と放言し、へらへらと笑って年に一回くらいすき焼きを食べている生活は、収監されていない犯罪者と同じようなものではないか。
数日前、過去にセックスし、その事実を私の中では恋人という事にしている女の子と久々にご飯を食べた。コロナの中、本来は自粛しなくてはいけない世界で、女の子と見た映画の話やこの世の地獄の話などしていたが、「罪は償えないよ」と彼女は言った。
「罪は償えない。男が昔やった女の子への罪は、絶対に償えないよ。贖罪は自己満足だよ」
ちんちん短歌を発表してしまった時点で、世の中に対して償えないんだろうなあと、ふと思った。私がどんなに、「新人賞的なあれには出ません」「歌会に出ません、結社に参加しません」「飯を食って死にます」と言おうが、そんなことは、ちんちん短歌を出してる時点で自己満足なんだろうなあ。確信犯的に「こういう短歌を、半ば冗談で作り、この世にあるというだけで、嫌な思いをする人がいる」と思ってやって居るんだから、作り手に完全に悪意がある。短歌の世界を少しばかにしているニュアンスが絶対にある。
これらに対して、許されること、償いの方法はないんだろうなあ。
ちんちん短歌の話というより償いの話になるんだけれど、私は絶対に犯罪者か、それに準ずる何かになるような気がしていて、中学時代からどうやって償ったらいいかを考えていた。謝る。絶叫して謝る。土下座する。泣く。騒ぐ。自傷してみる……それらを頭の中でシミュレーションしていたが、「結局表現じゃないか。謝罪したいまごころがあっても、表現の問題になってしまうじゃないか」とやさぐれた気持ちになった。まごころは絶対に伝わらない。こっちがどんなにまごころを持っていようが、叫んだり、負け顔を見せるという、嘘をつかないと謝罪した感が出ない。まごころを持ったまま、ただ立ち尽くしていたら、怒られる。悲しまれる。
嘘は絶対につきたくないのだが、償いのためには嘘をついて表現しないといけないのか。そんな絶望を中学時代に考えていた。当時、すき焼きが全然おいしくなかった。すき焼き、全然おいしくない。嘘をつかないと償えないのなら、このすき焼きは何のために摂取するのだろうか。そんなことを思っていたら、精通した。その日の夕食はすき焼きだった。
そんなわけで現在に至るのだが、そのなかでも短歌を詠むという行為は、他の表現より嘘をつく濃度が低くて済むような気がする。なにより一人で完結するし、人と連携するときにつく嘘を極力減らせる。映画や舞台、歌や格闘技、将棋、セックスといった表現方法は、人と接しなければ表現ができない。その時に嘘をつかざるを得なくなる。それが本当につらい。
ただ、完全に正直ではあれない。やはり「おもしろくしよう」という嘘が、「償い」のための「表現」としてはあまりにも不誠実な態度に思えて仕方ない。面白くしようとしてる時点で嘘をつかざるを得ない。人と円滑に楽しく過ごそうとすると嘘をつかざるを得ない。正直な気持ちに従うと、私はきっと人を殺しかねない。他人に対する憎悪や嫌悪感が根底にある。
そこを正直にいつか表現してしまうのではないか。そしてそういう罪を、いつか償わなければならないのではないか。
自分本位のセックスばかりしてしまったなあと、前にセックスした女の子に申し訳ない気持ちがある。ご飯の後にラインで「私は恋人でしたっけ? 私はセフレではなかったでしたっけ? 私はどちらでも楽しかったからどちらでも別にいいです」というのがきた。
どうすれば、罪を抱えながらちんちんは立つことができる自分を許せるのかなあ。ちんちん短歌は贖罪にならなかったなあ。どうすればいいのかなあ。悩んでいるのである。今晩はすき焼きにするべきかどうか。
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今日の有料記事は「なんでもちんちんでいいのか」問題を考えたい。その「ちんちん」は他の言葉で置き換え可能だったりしないか……を悩んでいます。
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