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なんでちんちんはセックスをしたいと思わなければならないんだ。

 セックスは人類の義務なんだろうかというか、生命体としてセックス、生殖はしなくちゃいかんのだろうか。

 私がちんちん短歌を詠む最大の動機が「セクシャルな短歌を詠んで面白いとおもってくれた女の子とセックスをしたい」というもので、実際とてもセックスがしたい。だが、なんでセックスをそんなにしたいのだろうか。そんなことに欲望している間に、例えば石や川の流れを呆然と見て禅の修行をしたり、フルート練習したり、山手線全駅丸暗記に費やせば今頃私は、鉄道好きな面白お坊さんになっていたかもしれない。

 その夢を自ら破壊して、したいしたいといつも自主的な水中でもがきながら、セックスを想っている。
 そういえば、ちんちんをまんこに入れる式のセックスは、もう半年以上やってないかも。コロナ禍の中、2020年の3月にまんこに入れる式のセックスをし、その後女の子と計3回ほどラブホテルにいったりはしたが、いずれもちんちんをまんこに入れるセックスはしなかった。

 ちんちんをまんこに入れないと、セックスにならないのだろうか。

 その3回のラブホのうち、一人目と三人目は同じ女性だった。処女の人であり、まんこが異様に小さく、指を入れても痛がるので、いつもちんちんを入れないでおわる。
 指でまんこを触り、気持ちよくなってもらい、その間に私のちんちんも触ってもらい気持ちよくさせていただいたのだが、これはセックスだったのかどうか。生殖とはあまりにも関係のない。受粉未満の行為である。

 二人目の女性は、かねてからよく連絡をしあっている人で、その日はご飯を食べて、そしてホテルに誘った。だが「セックスをしたい」とちゃんと伝えておらず、布団に押し倒すと、「そういう関係ではない」「あなたではセックスしたいと思わない」「ご飯が楽しかったのになんでセックスしようと思うのか」「セックスをしたいと事前に伝えてくれれば私はちゃんと断った」「優しくしたいとか言いながら曖昧にラブホテルに誘うのは一貫していないし気持ち悪い」「ムカついたからまんこを自由に使ってください。私はもう知らない」と怒られ、ではと女の子にパンツを脱いでもらい、ちんちんを入れようとしたが、ちんちんが全く立たなくなってしまっていた。
 それを見て、女性はすごく傷ついた。
「ちんちんをたたせる魅力が私にないと言っているも同じ」「私に性的魅力がないのが悲しい」「犯すなら殺すつもりで犯せ」「はやくレイプしろ」「私に正義や優しさを説くのならセックスの了承もなくホテルに誘うな」「本当に世界全部が嫌だ」「地球が嫌だ」「宇宙よ壊れろ」「私は恋人がほしい」と泣かれてしまった。

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 その間、私はちんちんを立たせようと、手でちんちんを何度も何度もこすり、勃起をしよう、勃起してほしい、頑張れ、頑張れ、と、自分の事だけ考えていた。ちんちんのことだけ考えていた。

 なぜ私は、セックスをしたいのだろうか。

 川はセックスしないよなあとぼんやり思う。
 川は流れ、動的でアクティブなのに、セックスしない。滝川の流れが巨石によって分かれても末には合流し、また流れる。雲もそうだ。雲はセックスしない。火山も、風も、石も、月も沙漠も、セックスはない。
 自然て、超清純なアイドルだな、と思う。彼らにファンが付くのも納得である。セックスしないのに、あんなに生き生きと暮らしている。
 それに比べて私はどうだろう。
 理屈をこねるわりには、結局曖昧に女性を誘い、だからと言ってレイプもできない。まんこを自由に使えと足を広げられたのに、ちんちんが全く立たなかった。また、相手のまんこが小さいからといって、ちんちんを中に入れることをためらい、受粉にもならない事をしている。

 セックスが最優先であれば、レイプすればいいのに、それをしないという事は、私のいう「セックスしたい」は口だけ、嘘つきなのだ。なにかを隠そうと、藤田は嘘をついている。ちんちんをまんこに入れることが最大の目的ではないじゃん。

 俺は川になりたいのか。

 川は幼少期に身近にあった。川の向こうへ行くと、隣の学区になり、知り合いが全くいなくなる。5時を知らせるチャイムの音楽が違う。何より、川の向こうに行くと、笑いながら蹴ってくる知り合いがいない。
 知り合いがいない場所に行くには、川を越えなくてはいけない。川には水が流れている。人は水に濡れたくないからと、橋を架ける。向こう側とこちら側がつながる。

 セックス。

 私は川を越えていきたいのかなあ。ちんちん短歌を詠むことで川を。
 普通の短歌だと、きっと「短歌を好きっぽい人」のところにしかいけない。
 もちろん、すさまじい短歌なら別だ。だが、すさまじい短歌をすさまじいと思える力が、私や、川の向こうの彼らにもあるとは思えない。みんな疲れている。みんな死にかけている。みんな希望がない。すさまじさを受け止められる力は、誰にも残っていない。
 逆に他人が、こちら側に来ようとして、かっこいい短歌を詠んでも、今ちょっと受け付けない。だめだ。つらい。そんな思いのこもったものはうけとれない。そちら側で蹴られててください。とてもじゃないが他人に優しくできない、私、今。

 だが、笑いだったら。
 それも練った笑いじゃなくて、とても低俗で、だめで、無様で、ばかで、愚かで、下で、下で、地獄で、くさってて、半笑いで、しかも気持ちのいいだけのものだったら。

 前回いろいろ考えていた「女性蔑視」はここに由来するのかなあ。私は今、ばかで、愚かで、下で、気持ちのいいものを求めている。対等に、お互い人間として、という、人間を人間たらしめ、尊敬しあい、お互い成長しあえる緊張感の関係性では、とてもやっていけない。
 でも、ちんちんなら。まんこなら。そこそこやっていけるのではないか。
 ただ動物のように盛るんじゃない。ぎりぎり、冗談ですよ、の範囲で、人間としての尊厳を57577の、古典的リズムの助けを借りて、橋を架けるなら、ほんのわずかに届く気がする。届かれても迷惑ではない、まんこに入れても迷惑ではないちんちん。

 もっといえば、許されるんじゃないか。
 これだけ下なら、だめなら、無価値なら、クズなら、許してくれるのではないか。迷惑も掛からないし、「まあ、いいか」「ここにいていいよ」「めいわくではないし」「多少は気持ちいいのだから」という事にしてくれるのではないか。

 ちんちんを許してほしいのだった。
 ちんちんが許されたい。くずで、だめですみません、そう謝って、「許されないですよ」「でも、どうでもいいですよ」というのを、言葉以外で届かされたいのかなあ。どうでもいいことを、許されたい。どうでもよく、ちんちんをまんこに、一時的に居させてほしい。

 どうせ、すぐ帰る。

 川のこっち側には。5時のチャイムが鳴ったら、帰らなければいけない。蹴ってくる知り合いたちにまた会って、笑顔で笑われて、明日も学校に行かなくちゃいけない。
 川の向こうには誰も知らない場所があり、そこにはエロ本が落ちている。私はそこに行き、地面に落ちているエロ本を立ちながら見て、家に帰った。

 三島由紀夫の死を知ったのは、川の向こうに行って帰ってきた、その日の夕方のニュースだった。今でも覚えている。2001年、9月11日。

 タワーから煙が出ていた。世界の終わりの始まりの日だった。

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 本日の有料記事は、先日行った「藤子・F・不二雄ミュージアム」がとても楽しかったなあという所から、第一歌集『ちんちん短歌』内に少しだけあるドラえもんについての言及のある短歌の抜粋と、新作のちんちん+ドラえもん短歌をのせました。

 というか、ドラえもんにもしちんちんがあったら、第4巻で骨川ごときに親友奴隷をさせられなくて済んだだろうにということと、未来人セワシによりジャイ子が生むはずだった六人の子供の魂を消滅させてまでのび太を導きたかった「正しい大阪への道」とは何か、等を、書きました……。

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