考えること、書くこと。

頭の中には素晴らしいアイデアが浮かんでいるのに、いざそれを文章にしようとすると、書けない。そんな経験をする人も多いだろう。

私は今、まさにしているところだ。

そこで気付く、これは何も文章に限ったことではないのではないかと。

画家は、頭の中に完成された絵があるのではないか? 音楽家は、頭の中ですでに音楽が流れているのではないか? スポーツ選手は、頭の中で理想的な動きができているのではないか? 研究者は実験結果が、お笑い芸人は爆笑のネタが、起業家はビジネスアイデアが、政治家は政策が、、、。

こういった、「頭の中ではできているが、実際には出来ない」ことは、なぜ起こるのだろうか。

理由は2つのうちのどちらかだ。
①現実が思考に追いついていない。
②思考が現実に追いついていない。

言うまでもなく、私を含め大勢の人は②である。

①は一握りの天才にしか許されない。作家であれば言葉が、画家であれば色やモチーフが、音楽家であれば音が、まだ現実世界に存在していないと言ってのけるほどの才覚を持つことになる。
例えばレオナルド・ダ・ヴィンチ。彼は生前に大量の手書きメモを残していたが、その中にはヘリコプターの設計図も存在していたそうだ。前例も、素材も、技術も、動力もない時代に思いついてしまう。これこそ、現実世界を超えた頭の持ち主と言えるだろう。

さて、凡人に話を戻そう。結局のところ、「それ」を現実世界で実現できないのは、我々にそれほどの能力がないだけの話である。しかし、「それ」が頭の中にあるうちは、都合の良い脳の機能が、都合よく解釈し、改変し、「それっぽい」物から「それ」を作り出してくれるのである。

幸福になるための、完璧な方法が一つだけある。それは、自己の中にある確固たるものを信じ、しかもそれを磨くための努力をしないことである。   
             カフカ『罪、苦悩、希望、真実の道についての考察』

結局、頭の中で考えることはとても楽で、少なくとも自分にとっては素晴らしいものなのである。だから、大勢の人は、

⑴まず表現をしない
⑵ふと表現をしてみて、脳内と現実のギャップに苦しむ
⑶そして居心地のよい脳内の世界に逃げる

というプロセスで、自己防衛に走っているのだと思う。

だからこそ、表現までたどり着ける人間は、希少で、貴重で、今後も価値を持てるだろう。

前置きが長くなった。長々書いてしまい申し訳ない。結局これは、私が、これから文章を書いていく上での、書かない自分への叱咤激励であり、書かない言い訳への先回りである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?