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斎藤孝『斎藤孝の知の整理力』

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要点整理

「引き出せる、言葉の数が、知性である」
・実際に使える言葉が増えることで知的になる。
・知識は、自分の経験と紐付けて覚える。
・体系的な知識は、その骨組みを理解する。
・知の能力に含まれるのは、歴史・他の知との繋がり・速さ。
・自分より優れた人の、考え方・概念を我が物にする。
・「ストーリー」と「感情の動き」が記憶へのスイッチ。

意見まとめ

問題解決訓練所となっていく学校では、子供の柔軟性や純粋な知的好奇心が二の次にされる可能性がある。

知的であることと人格

知的な人は、人間的な器が大きい。そういう意味で言うと、知性は「優しさ」でもあるのです。

知的であることは単に知識が広いことや頭がいいということを意味しない。人格的な面においても優れていると筆者は考えている。我々にしても、「知的な人」と聞くと、好印象を持つのではなないだろうか。

さて、では「知的」になるにはどうしたら良いのか。もっと言えば、知的な人が社会の中で量産されるにはどうすれば良いのか。真っ先に思いつくのは、学校教育だろう。学校での経験は、知識、思考力をつけさせるのみならず、子供の人格形成においても重大な役割を果たしていることには異論ないだろう。

果たして学校教育は、本書でいうところの「知的な人」を生み出せるようになっているのだろうか。検証していく。

「知的」の定義と学校教育の目的

「知的」の定義を明らかにするため、本書から、筆者の考える「知的」をいくつか抜粋する。

・知性とは「言葉」であり、「相手に伝える力」なのです。
・知性のある人は、豊富な経験と高い問題解決能力を持つため、生産的でありながらスマートで知的なアウトプットをします。
・「物事を歴史的に見る」
・「空間的な視野の広さ」
・知の食わず嫌いをなくす

ここから「知的」と親和性の高い概念を抽出すると、
「言葉」「経験」「問題結能力」「生産的」「歴史的」「視野の広さ」「寛容さ」
が挙げられる。

さて、では実際の教育はどのような理念を持っているのだろうか。文部科学省の出している「学習指導要領」の改訂に向けた考え方を見ていく。

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下の画像は、今後の教育に向けた、どちらかと言うと教師へのメッセージだろう。

ここから先ほど挙げた知的な概念と照合する。
「言葉」→「知識」「表現力」「対話的な学び」
「経験」→「社会と連携・協働」?
「問題結能力」→「学びを人生や社会に生かそうとする」「未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力」
「生産的」→「表現力」
「歴史的」→?
「視野の広さ」→「公共の新設」「新しい時代」
「寛容さ」→?

知的な学びと学校教育のギャップ

もちろん、上の図はあくまでも概観であり、本来の学習指導要領は、総則と各科目を含めて膨大な分量でその理念や目的が記載されている。

それでも、全体のビジョンを示した上の図は、今後の教育の「骨格」となっていくものであり、方向性を示すものでもあるので、著者の考える「知的」との違いをここで明らかにしていく。

結論から言うと、今後の学校教育は、
「社会問題を解決することを目的に、即効性の高い教育を行う」
という印象を受けた。そのため、「問題解決能力」や「生産性」には重きが置かれているのだろう。

その一方で、「言葉」「歴史的視野」「寛容さ」といった、すぐに効果のでない、その上時間がかかる、そして有用性の証明しにくい概念が抜け落ちているのでないかという危機感を抱いた。

さらには、「学びに向かう力・人間性等の涵養」という表記はあるものの、学習に限らない、広義の「人格や人間性」にもあまり触れられていない。文言として折り込みにくいのかもしれないが、もう少し、例えば「多様性」や「自由」といった人格も含めても良いのではないかと思った。

感想と今後の教育に望むこと

筆者は知識には「体系的」と「カオス型」があると述べている。学校教育で主に学ぶのは前者の方である。教えやすく、効果が測定しやすく、足並みを揃えられる。それに対し後者は、基本的に個人個人の興味や体験、偶然によってもたらされる知識であり、その量も質もバラバラである。

そんな「カオス型」は、やはり学校教育には向かないのかもしれない。だが、今後さらに教育に目的意識を強める傾向が高まるのなら、私はその動きに反対する。

子供に社会に関心を持ってもらいことには賛成である。しかし、大人の想定する「社会」とは一体なんだろうか? ビジネスの作り出した虚構の温暖化問題か、それとも一部の利権に振り回される政治・経済だろうか。

そんな「社会」を教え、さらには子供に解決策を求めてどうすると言うのか。それらは完全に大人の問題であり責任であり、大人の喧嘩に子供を出すのはとんだ筋違いではないか。

雑多な知識を浴びるように見ることも、知識を獲得するうえでは非常に大事なことです。
自分が好きなものは吸収が早いので、それを利用して掘り下げ、横に広げていくのです。
関心が広くなることが「生きる意欲」につながっていきます。

いろいろなことを知って、経験して、体験して。その中から自分の「大好物」を見つけて。それを起点に知識も感心も、縦にも横にも広がっていって...。

純粋な好奇心に突き動かされて、いつしか「社会」につながっていく。そんな子供が、何よりも幸福であると思うのは、私を含めて少数派だろうか。

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