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涙の訳

あの時流した涙は、僕の頭に今でも生々しく残っている。忘れられない ‘2002年5月20日 月曜日’。小学5年生の時の出来事だ。

僕は両親と一緒に姉の高校の卒業式に参加するためアメリカに行く予定だった。当時の僕は、パスポートとチケットさえあればアメリカに行くことができると思っていた。パスポートはあるし、チケットも購入したということで、ワクワク感マックスだった。しかし、問題が起きた。

ビザだ。

911テロ後、ビザを取得するのが困難になったのだ。両親のビザは無事取れたのに、僕のビザが出ないのだ。再申請した。しかし、出発日が近づいているのに関わらず、何の連絡もないのだ。それでも、両親は大丈夫だと言っていたので、当然アメリカに行くものだと思っていた。

忘れられない ‘2002年5月20日’ 月曜日の朝

両親はビザが到着したらすぐに学校に迎えに行くから、学校で待っててねと言った。僕は、心を躍らせながら両親が来るのを待っていた。しかし、両親は来なかった。学校後、先生は僕のことを呼んだ。

“明安。お父さん、お母さんは、アメリカに出発...”

そのことを聞いた瞬間、僕の目から涙が溢れ出た。

生きていたら、世界が終わったかのように感じることがあります。

けど

僕のことを苦しめた ‘その出来事’が、僕を、より磨かれた人間にするということを忘れてはいけません。

僕が流した ‘悲しみの涙’が、後々 ‘喜びの笑顔’に変わるという希望を持たなければいけません。

神様は、耐えられない試練を僕に与えないという御言葉を信頼しなければいけません。

‘米国ビザ事件’は僕に、悔しさを残しました。しかし、その悔しさが、僕が世界に目を向けるきっかけになり、後々世界を旅しながら多くのことを見、聞き、感じ、気付く原動力になりました。

今は受け入れることが難しいかもしれません。しかし、いつの日か振り返った時に、僕の人生において欠かすこのと出来なかった1ページだったとこに気付く瞬間が来るはずです。その時まで、一歩一歩前を見ながら進んで行きましょう!

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