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I'm 汀艷 / 나는 정염이다 / 我是汀艳 2024年4月

私は瑠璃のようにも玻璃のようにも高貴に輝く存在ではないけれど、一瞬でもそんな玉よりも艶やかに煌めく自由な水しぶきのような存在でありたい。

名前勝ち ~本名~

実は、私は自分の本名が嫌いです。苗字が嫌いな理由は単純に親族同士の人間関係によるものです。これは私が嫁ぐなりなんなりすれば済む問題ですので、そのうち解決したいと思っております。(言うだけならタダですので、突然の結婚願望の表明。) 名前が嫌いな理由は少し複雑で、名前そのものは、(明記すると身バレしそうなので暈し暈し…)同世代によくいる名前で、決して昨今問題視されているキラキラネームではありませんので、表向きにはわかりにくいので、あまり人にお話ししたことはありません。 (経緯が経緯なので、また今度ダークサイド随想録を投稿するときにでも。) 
ただ、「名は体を表す」とはよくいったもので、私も例外なく、その通りだと実感している出来事が多々ございます。(身バレしそうなので暈し暈し…) 私の本名には「ひらく」という意味を持つ漢字が使われておりまして、実際問題、私の人生の要になっているものたちは、殆どお膳立てなんてされてきやしませんでした。すべて自分から求めたもので、当然、容易に手には入りませんので、望むものを手にするための「あの手この手」を、常日頃から考えておりました。すぐにものにはならなくとも、手の出せる所から、潜り込める所から、道を探る(未知を探る)行為が、まわりまわって良い人と巡り合わせてくれたり、抱えて余る問題たちの解決の緖に繋がったり、自分の道を切り開くという意味では、名前の通りに此処まで不恰好ながらなんとか気合いで来られた気がしております。

名前負け ~名取~

私が嗜んでいる(これも暈し暈し...)とある古典芸能に於きまして、順当にいけばではございますが、あと3年ほどで平弟子から名取にランクアップさせて頂ける予定になっております。(実は、自分側で決める一文字は内々定しております。) ただ、その名取は、流派の方からは(暈し暈し…)とある美しい花の一文字を頂くという事でして、ルッキズムに長年苦しめられてきた私としては、もう吹っ切れてるとは言いましても、デフォルトで「あ…私ったら…名前負け…」と、心の片隅で怯んでいる節がございます。邦楽器の世界あるあるかも知れませんね。これは、芸で埋め合わせをするしかありません。聞き手の心にまで届く「声」と、聞き手の心の目に情景を映す「糸」を、常日頃のお稽古から自分自身に求め続けなければいけません。それが、私なりの美しい名前を頂く覚悟でございます。

名づけてしまったからには ~汀艷~

私は汀艷。

汀艷は私(本名)じゃない。

私(汀艷)は誰でもない。

誰でもないから誰にでもなれる。

例え芸名であろうとペンネームであろうと、自身に名づけてしまったからには、(生まれつき変えられない条件はあるにしても) どういった為人でいたいのか、どう立ち振舞いたいのか、何を表現したいのか、そして、どう終わらせたいのか。色々と考えなければなりませんね。幸い汀艷は、私(本名)と違って前途洋々です。積極的に、でも謙虚に、自身を何者かと問いながら、活動に花を咲かせていきたいと考えております。

桜が満開の代々木公園にて。



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